決意
その後、阿蓮とたっぷり三回交わった。俺と阿蓮はベッドで横になっていた。流石に三回もやれば、ばててしまう。
「裕一」
腕に抱きついていた阿蓮が呟く様に呼んだ。
「何だ?」
阿蓮を見ると何か決心をしたのかいつもの明るい表情とは打って変わり、真剣そのものだった。
「あたしたちどうなるのかな?」
「さぁな。生きるか死ぬかなんて誰も分かりはしない」
阿蓮が抱きついてきた。俺は阿蓮の髪をいじる。
「あたし……裕一と一緒にいたい」
髪をいじるのを止めた。
「一緒に逃げよ」
俺はラークの箱から最後の一本に火をつけた。煙を天井に吐きながら、考える。阿蓮の言葉が何回も頭の中で木霊する。
「裕一はあたしの事嫌い?」
「……まさか。今までに会った女の中で一番さ」
阿蓮は笑顔になり、ゆっくり唇を重ねてきた。俺もそれに答える。唇を剥がし、煙草のフィルターを阿蓮の小さな口にくわえさせた。
ベッドから抜け出し、ズボンを履く。ベルトで固定してから回転式拳銃のM629ESを腰に差し込み、シャツを着る。コートを拾う。
「ねぇ」
振り返り、阿蓮の目を見た。そこには闇もなく、偽りもなく、純粋な目をしていた。
「考えといて」
コートに腕を通し、再び唇を重ねた。すぐに剥がして部屋を出た。エレベーターで駐車場に下り、ランサーに乗り込んだ。携帯電話が震えた。画面を見るとお馴染みの非通知が映り出されている。
「もしもし?」
『調べてきたぜ』
大林だった。
「それで?」
『お前……前に中国人を殺さなかった?』
中国人という単語に過剰に反応してしまった。頭の中で後頭部が吹き飛んだ女が手招きしていた。
呉に突然呼び出しを食らった俺はすぐに駆けつけた。するとそこには呉以外に三人の男と全裸の中国人女がいた。女の膣から夥しい白濁の精液が流れ出ている。
三人の男が女をトヨタのクラウンのトランクに放り込むと躊躇いなく閉じこめた。呉が俺の耳元でこう囁いた。
「あの女を処理してこい」
それだけ言うと黒のメルセデスベンツに乗って去って行った。俺は半強制的に車に乗せられ、静かに車を走らせた。
俺は黙って車の向かう先を見ていた。俺にはそれしか出来なかった。煙草を吸う事も、話す事も。次第にフロントガラスに雨が打ちつけてくる。
車は人気のない路地に止まった。そこで車を降り、雨が降る外に出る。トランクから女が出され、ふらふらと立っていた。一人の男が近づいてきた。
スーツの中に手を入れ、ゆっくりと出す。回転式拳銃が握りながら。それを差し出され、丁重に受け取る。ラバー製の銃把を握り、短い銃身を持ち上げる。銃身にはパイソンと掘られていた。
「さっさと殺れよ」
後ろにいる男が楽しそうに言った。俺を試しているのだ。俺は撃鉄を起こし、銃口を女の頭に合わせる。引き金を引く。喧しい銃声。銃弾は女の頭には当たらず、コンクリートの壁に抉り込んだ。
女がふらふらと歩き出した。
「早くしろ」
後ろにいた三人の内、一人が黒星を抜き出していた。再び撃鉄を起こし、震える手で狙いを定める。片手では無理なので両手で持つ。狙いが定まる。引き金を引く。再び喧しい銃声と共に強い衝撃が腕に伝わる。
銃弾は女の後頭部に吸い込まれた。頭が破裂。人形に様に崩れ、ゴミの山に倒れ込む。もうぴくりとも動かなかった。その代わりに穴の開いた頭から真っ赤な脳味噌が雪崩の様に流れ出てきていた。
パイソンの銃口から白い煙が吐き出されていた。俺はゆっくりと銃口を下ろし、女の死体を見る。真っ赤な血が雨によって流されていく。
耐えきれず吐瀉物を撒き散らした。男たちが笑う。三回程吐くと気分が落ち着いてきた。
「乗れよ、木村」
今すぐにでも男を殺したかったが、その後の事が目に見えている。俺は黙ってパイソンを握りながら車に乗り込んだ。手からパイソンを剥ぎ取られ、車が動き出す。俺は窓から女の死体を眺めていた。
『聞いてるのか?』
頭を振り、頭の中をすっきりさせた。
「あぁ」
『それで、どうなんだ?』
「一人。女だ」
それを言った途端に大林が笑い出す。俺は底なし沼の中に入った様だ。
『多分その女だ。いいか? その女はな、劉の母親なのさ』
もう浮き上がってはこれない位置まで来ている様だ。
『これはお前に対する復讐なのさ。中国人てのは根に持つタイプだからな』
だが本当に復讐だけなのだろうか。復讐だけなら俺を殺して終わりなはずだ。まだ何かある様な気がする。
「ありがとな」
電話を切った。ハンドルを握り、アクセルを踏み込む。静かな駐車場から外苑東通りに出た。外苑東通りを歌舞伎町方面に向かう。死神を乗せて。
歌舞伎町に着いた時には日にちが変わっていた。車を花道通りにある新宿ハイジア駐車場に止めた。そこから歌舞伎町を眺める。嫌な気配が蠢いてた。とても街には行けそうにない。
携帯電話を取り出した。頭に叩き込んでいる番号を押す。コールが鳴る。……一回……二回、コールが途切れる。
『何だ?』
萩原の声が聞こえてきた。
「情報が欲しい」
『じゃいつもの場所で』
電話が切れた。俺はポケットに手を突っ込む。舌打ち。煙草が切れた。
“一緒に逃げよ”
突然、阿蓮の言葉が頭の中で蘇る。取り合えず歩いた。自分でも驚く程、動揺しているのだ。頭を掻き、落ち着かせ様と同じ場所を何度も行き来する。
車のエンジン音が駐車場に響き渡る。俺は車と車の間に身を潜める。目の前をレガシィが通り過ぎていく。舌打ち。今のは覆面パトカーだ。そして乗っているのは……。
レガシィが止まり、中から萩原と歌舞伎署の工藤が降りてきた。最悪だ。
「木村。早く出てこい」
工藤の声が静かな駐車場に響く。俺は渋々車の影から出る。だが俺も馬鹿じゃない。大勢の刑事が出てきた時の為に手を後ろに回し、いつでもM629ESを抜ける様にした。
「俺一人だ」
「あんたの言う事なんて信じられるかよ」
工藤が笑う。その隣で申し訳なさそうに萩原が立っていた。俺は銃把を握りながら工藤と萩原に近づく。人の気配はない。
「何の様だ?」
「何の様かだと? 自分の組に追われ、指名手配されてる奴が暢気な事言ってられるな」
指名手配か。いつかはなるとは思っていたがな。
「煙草ないか?」
工藤がスーツのポケットから赤いマルボロの箱が出てきた。それを差し出され、一本抜き取る。
「木村、さっさと街から出ていけ。街を血で濡らすつもりか?」
ジッポで火をつけ、ゆっくり煙を吸い込む。頭がゆっくり回り出す。煙を吐く。
「…………」
工藤はスーツの中に手を入れ、一枚の写真が出された。その写真を受け取り、目を落とす。そこには赤い丸サングラスをかけ、コルトM733を構えていた。忘れもしない、あの男だ。
「こいつは劉が雇った殺し屋だ。名前はゴーストと言うらしい」
写真を返す。奴とはその内会いそうだ。
「元アメリカ陸軍で射撃の腕が良いらしい。そんな奴までも敵にまわしてまで残る理由があるのか?」
「……個人的な問題だ」
ゆっくり煙を吸い込み、吐き出す。なんだが自分が自分ではない様に感じてきた。一体俺は何がしたいんだ。誰か教えてくれ。
「……そうか」
工藤の目が変わり、冷たく冷酷な目になった。俺は工藤の目から離せなかった。
「次に会う時は覚悟しとけよ」
そう言ってレガシィに乗り込む。エンジンがかかり、レガシィが駐車場を出ていく。俺は見送りながら短くなった煙草を捨てた。
「正一郎。調べて欲しい事がある」
萩原は黙って聞く。
「林を調べてくれ。いつ日本に来たのか、昔の事もだ」
「あぁ。分かったよ」
萩原の肩をぽんと叩き、ランサーのある場所に向かう。車の列から白のランサーをみつけ、乗り込む。次はあいつの所だ。ランサーのエンジンを可動させ、駐車場を後にした。
花道通りを走り、風林会館の所で左に曲がり区役所通りに出た。区役所通りは大分交通量が減ったが、歌舞伎町の光のせいで賑やかさは変わらない。
区役所通りを進んでいくと職安通りに出て、大久保に入った。大久保の中を車で走らせていたらコンビニと居酒屋の間に階段があった。車を止め、エンジンを切った。車を降りて人に見られない内に階段を駆け上がる。
木製の扉を開けた。店の中はジャズが流れ、落ち着いている。だが誰もいなかった。一人を除いて。
カウンターに煙草を吸っている女が座っていた。女は紺色のジーンズにフードの付いた黒いパーカーを着て、中に白いTシャツを着ていた。
化粧はまったくしていない。それでも整った顔だちで、美人だ。髪はショートで真ん中で分けている。身なりを変えれば忽ち男どもが寄ってくるだろうに。
カウンターの奥ではグラスを磨いている口髭を生やした男がいた。男の体格はがっちりしており、黒いズボンに白いシャツに黒い蝶ネクタイをしている。顔は穏やかだが、何処か暗いイメージがある男だ。
「珍しい客だな」
男が呟く様に言った。
「来ちゃ悪いのかよ」
女の隣に座った。灰皿には既に六本の吸い殻が入っていた。
「来ると思ったわ」
女の名前は菅原雅美。元殺し屋だ。今は逃がし屋という仕事をしている。主に国外逃亡の手配をしている。
ここに来るとは自分でも思ってもいなかった。
「手配出来るか?」
菅原はゆっくりとグラスに入った酒を飲み干す。
「ニューヨーク行きなら」
駄々をこねてる暇ではない。
“一緒に逃げよ”
再び阿蓮の言葉が頭の中で蘇った。俺は阿蓮と一緒ならと考えているが、もう一人の俺が拒む。理由は分かっていた。それは終わりのない逃避行をするという事なのだ。
「それでいい」
「それじゃ今夜、芝浦ふ頭の一番奥に来て」
頷いて席を立った。
「じゃ、夜に」
そうに言って店を出た。階段を下り、さっさとランサーに乗り込んだ。エンジンをかけ、再び職安通りに出る。速度を多少上げて、歌舞伎町を離れた。いつ見つかるか分からないからな。
ランサーを走らせ、阿蓮のいるホテルへと向かう。真っ暗な空が少し明るくなっていた。 |