パズル
ホテルに戻り、部屋のドアを開けると、彼女は頬を膨らませてベッドに座っていた。
「俾番我呀(返して)」
彼女が手を差し出す。
「あぁ、返してやる。質問に答えたらな」
ホルスターからパラ・オーディナンスを抜き、安全装置を分かるように解除する。彼女は驚いた表情もせず、俺を見つめる。
「君は關香梅じゃない。まして、中国人でもない。君は誰だ?」
何時でも撃てる様に右手の人差し指は引き金の上に置く。
「……」
「答えろ」
考えさせては駄目だ。こういうタイプは助かる為に、いろんな嘘をぶち撒ける。考える暇は絶対に与えない。
「そうよ。あたしは關香梅じゃないわ」
日本語で返ってきた。
「中国人でもないんだろ?」
「半分は中国人よ」
「残りの半分は?」
「日本人」
俺は左手でラークを出し、茶色のフィルターをくわえる。
「一本いいかしら?」
俺は昼間の彼女とは別人と思いながら、ラークの箱を渡す。
「中国で育ったのか?」
ジッポで火をつけてやり、自分の煙草にもつける。
「えぇ。香港で育ったわ」
何故か、彼女の瞳が憎しみと怒りの色に変わった様な気がした。
「香港にいた時はよく虐められたわ。日本人の血が通っているからって」
俺は黙って彼女の話に耳を傾ける。
「お母さんも日本人の夫を持ってるって影で言われてた。お父さんは一生懸命働いたわ。少しでもあたし達の生活を良くしようって」
彼女の瞳が涙で濡れ始めている。
「でも、あいつはあたし達の幸せを奪っていった」
「あいつ?」
憎しみと怒りの瞳を向けられた。
「林迎明」
彼女の目から綺麗な水が流れる。煙草の煙を吸い込み、落ち着かせようとしている。俺は昔を思い出していた。家族に手を下した事はないと思う。
「お父さんは車で跳ねられ、お母さんは撃たれたわ」
「ちょっと待て。何でお前の両親は殺されたんだ?」
煙が吐き出され、宙を泳ぐ。
「借金したの」
淡々とそう告げる。若干、口角を上げ笑ってる様にも見えた。
「それでその後お前はどうしたんだ?」
「日本にいる祖母に預けられた。そこであたしは誓った。絶対、仇を打つと」
「それ何年前だ?」
「八年前よ」
「八年前なら呉がボスだ。なんで林を憎む?」
彼女は大きな溜め息をつき、首を横に振る。
「呉は残留孤児二世よ。その前から日本にいたわ。香港でボスだったのは林よ」
そう言われてみれば呉は日本語が上手かった。
「そして、四年前。あたしは香港のマフィアが歌舞伎町に来た事を知り、家を出て歌舞伎町に来た」
四年前。歌舞伎町が闇の町に変わった年だ。この年はよく覚えてる。
「それで、三年前に崔に頼んで偽造パスポートを作らせ、林に近寄ったって事か」
「えぇ」
パズルが出来上がった。だが、何かが足りない。その何かは分からないが、今は聞かないでおこう。
すっかり短くなった煙草を灰皿でもみ消し、パラ・オーディナンスの安全装置を掛ける。彼女は小さく溜め息を漏らした。
「名前は?」
彼女も煙草を消す。
「日本名は松嶋梓。中国名は趙英蓮よ」
「阿蓮ね」
阿蓮は小悪魔の様な笑顔を見せる。それに見とれているとポケットの携帯電話が震えだした。画面を見ると、再び黄からだ。
「もしもし?」
『林が襲われた』
葉の言葉を思い出した。
「誰に?」
『北京』
「……生きてるのか?」
『あぁ。無事戻ってきた』
戻ってきたって事は歌舞伎町は更に歩けなくなるな。
『それだけだ』
「唔該」
電話を切る。同時に阿蓮が口を開く。
「あいつ死んだ?」
あいつとは林の事だろう。
「いや」
舌打ち。苛立ちながらラークの箱から一本抜き出す。俺は煙草の事はなにも言わず、火をつけてやる。
「林を襲わせたんだな?」
阿蓮は再び煙を吸い込む。
「そうよ。北京の奴は簡単に引き受け貰ったわ」
「それが間違いだ」
阿蓮は気分を損ねたのか、鋭い目で睨んできた。どうやら事の大きさが分からない様だ。
「何でよ? 敵対してる北京の連中に頼んで何が間違いなのよ?」
俺は首を横に振り、ベッドに腰をおろす。
「確かにお前の言う通り北京とは対立しているし、この街は北京の奴が沢山いる。でもな、マフィアと連んでるのは極僅かだ。その中で一番有名と言ったら葉成紅の婆さんだ」
阿蓮が目を大きく開く。どうやら葉の婆さんを知ってる様だ。
「あの婆さんは頭がいい。林の連中が来たらあっさりとお前の事を教えるのさ。あの婆さんはそういう奴なのさ」
阿蓮は立て続けに吹かす。俺は勝利の笑顔を浮かべながら、口を開ける。
「どうなんだ? 阿蓮」
「そうよ。あの婆の所で頼んだのよ」
俺は大きな声で笑った。
「何がおかしいのよ?」
「お前の馬鹿さが面白いのさ」
「なによ! あんただって追われてる身のくせに」
「俺はお前の様なドジは踏まない」
ラークの箱から煙草を抜き、火をつける。こんなに気分が良いのは久しぶりだ。
「凄い自信ね」
思いっきり煙を吸い込む。
「長くこの街にいたからさ」
「じゃ、あなたがあたしの立場ならどうするの?」
「簡単さ。とっととこの街から出ていくね」
「あなたが手助けしてくれるのは?」
笑い飛ばした。
「これ以上危ない橋を渡るつもりは……」
俺は見てしまった。向かいのビルに男が狙撃銃を持っているのを。阿蓮を抱き抱え、ベッドの下に転がり込んだ。ベッドの上に敷かれた布団が弾む。パラ・オーディナンスを抜き、窓ガラスに撃ち込む。
バックを引き寄せ、AK47Sを出し、弾倉を差し込み、棹桿を引き、初弾を薬室に送り込む。ドアの鍵が撃ち壊される。銃床を折り畳んだ状態でドアに向かって撃つ。
眩しい発光と排莢口から飛び出す薬莢、喧しい銃声が部屋に飛び散る。パラ・オーディナンスをホルスターに戻し、バックを背負う。
「仆街! 林の野郎!」
穴だらけになったドアを開け、通路を見る。派手なシャツが真っ赤に染まり、ベレッタM92Fを握ったまま倒れた男が転がっていた。
「来い」
だが、阿蓮は動かない。
「何してる?」
「手助けしてくれるの?」
ここでこいつと別れればこれ以上危険になる事はない。ここできっぱり言うべきだ。
「……勝手にしろ」
けど俺は阿蓮に恋心を芽生えてしまった様だ。阿蓮が勝利の笑顔を浮かべて俺の後ろに回る。
俺は手で待つ様に指示をし、通路に出る。死体を跨ぎ、直ぐに壁に背を付け、角から顔を覗かせる。薄暗い通路は恐ろしく静かだ。天井に付いた蛍光灯が点滅している。
振り返り、来る様に指示する。小走りで向かってきた。阿蓮の後ろに男が現れた。手にはウージーを握っている。
体で阿蓮を突き飛ばし――殆どタックルだ――銃声が鳴り響く。すぐに空撃ち。弾切れだ。それでも、男の体に少なくとも五発が撃ち込まれた。
血が汚い壁に飛び散り、壁にぶつかりながら、男は崩れていく。弾倉を替え、再び棹桿を引き、薬室に送り込む。腰のホルスターに手が伸ばされた。気づいた時には阿蓮がパラ・オーディナンスを撃っていた。
銃口の先には受付にいた男が黒星を握っていた。男の胸に三つの赤い点がつき、じわじわ広がっていく。阿蓮を見ると、軽い放心状態になっていた。
俺は阿蓮の肩に手を回し、AK47Sをバックに戻す。遊底が後退したまま止まったパラ・オーディナンスを奪い取る。弾倉を抜き、最後の弾倉を入れ、遊底止めを押して元の形に戻す。
階段を使って下におり、無人の受付を過ぎて、ホテルブリットを出た。腕時計は九時になろうとしている。パラ・オーディナンスをホルスターに戻す。
再びバッティングセンターへ向かう。なんとしてもあの婆さんから聞かなくては。
「何処に行くの?」
阿蓮が寄り添いながら聞いてきた。
「婆さんに会いに行くのさ」
「殺すの?」
「まさか」
阿蓮は興味がなくなった様で、ビルの光りに目を移す。俺はラークを出し、煙草に火をつける。煙が夜空に舞う。
二丁目を歩いていたが、無事にバッティングセンターについた。相変わらず金属バットの音が響く。中に入り、受付に向かう。葉成紅はお茶を啜っていた。煙草を投げる。
「よぉ、婆さん。撈成點呀(儲かってるかい)?」
熊と広東語で言った。
「何の事だい?」
日本語で返ってきた。
「婆さん。俺たちを売ったな?」
葉成紅は俺と横にいる阿蓮を見る。阿蓮の手がホルスターに伸びたが、俺は手を握り、阻止する。
「まぁ仕方なかったからね」
「で? 林たちに何を言ったんだ?」
湯呑みを持ち、息を吹きかける。白い湯気が踊る。
「別に。只……そこの女が中国人じゃないと林を殺す為に近づいた事ぐらいかな?」
「……婆さん。他にも言ってるだろ?」
「さぁね」
葉成紅がお茶を啜りながら後ろにあるテレビを見る。テレビではアナウンサーがホテルブリットで銃撃戦があった事を伝えていた。
「裕一」
葉成紅が呟く。
「何だ?」
「あんたも自分の尻に火がついてるんだよ? そんな女の事より自分の潔白を証明するのが先なんじゃないかい?」
「何か知ってるのか?」
「自分で調べるんだね」
葉成紅はそう言って蠅を追い払う様に手を振る。
「長生きしないぞ。婆さん」
吐き捨てる様に言って、金属バットの音が響くバッティングセンターを後にした。
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