全ての始まり
ここは歌舞伎町。別名“眠らない街”。この街は五年前、国会議事堂がテロで爆破されて以来すっかり変わった。今や“闇の街”と呼ばれる様になっている。
国会議事堂の爆破事件の翌年から香港のマフィアが本格的に乗り込んできた。当時街を仕切っていた太田組の組長、太田しのぶが暗殺され、一気に街を支配した香港側の呉組は今度は密入国の手引きさせ、香港の奴らを日本に招待させる事にした。そして今に至る。
俺は煙草を吸いながら新宿ゴールデン街の裏通りを歩いていた。アダルトショップや中国ソープと書いてあるネオン看板が煌々と光る。裏通りは香港の人間、客引き、ホスト、肌を露出させた服を着た娼婦、会社帰りのサラリーマンで溢れている。
楓林閣と映った赤いネオン看板の前で止まった。自動ドアの前にはサングラスをかけ、黒いスーツを着た物騒な中国人の男二人が立っている。一目で林組の人間だと分かる。
スーツの右の脇が膨れている。恐らくホルスターに収まっているのは黒星――トカレフの中国のコピー品――だろう。
俺は平然と二人の間を抜け、店の中に入った。店の中は白一色の壁が目立った。右にはレジが置かれたカウンターがあり赤いチャイナドレスを着た女が立っており、奥にドアがある。右上には監視カメラが取り付けられていた。正面と左には長い通路があり、通路からは笑い声が聞こえてくる。
俺は煙草をカウンターの上にあった灰皿に擦りつけた。
「歓迎光臨」
若い女が広東語で言ってきた。
「岑は何処かな?」
俺も広東語で言った。
「七○二号室です」
女は左側の通路に手を向けた。
「多謝」
女に片目を瞑り、ウィンクする。女が微笑みを返す。通路に歩を進ませる。通路を歩いていると部屋からチャイナドレスを着た女が食器を運んでいたり、女といちゃつきながら歩いてる男女が横を通り過ぎて行った。
七○二。部屋の前に着き、ドアを二回ノックする。ドアが開く。中から女の笑い声が聞こえてきた。
「木村! よく来たな!」
女に囲まれ口髭を生やした中年の男、岑徳明が手を上げて笑いながら言った。因みに俺は日本人だ。
「遅れてすまない」
ソファーにゆっくり腰を下ろす。
「気にするな。それよりお前も飲め」
そう言いながら女どもと話始めた。また、笑い声が聞こえてくる。
俺はうるさい笑い声を紛らす為に酒のボトルを取り、グラスに注いだ。一口飲む。悪くはない。
コートのポケットから赤のラークを取り出した。茶色のフィルターをくわえ、ポケットに手を入れる。煙草に火がつく。隣に座った女を見た。日本人だ。手にはライターを持っていた。
女は薄い赤の口紅をして、化粧はそんなにしていない。髪はショートヘアーで茶髪。目はぱっちりして、少し痩せている。胸の開いた赤いドレスを着て、身長は俺より少し低いくらい。足を組んでいた。とても大人ぽく、魅力ある女だ。
「何かご用でも?」
煙を吐き出す。
「木村祐一ね。一目で分かったわ」
「俺もあんたが誰か分かるぜ」
女が微笑む。
「あんたは歌舞伎署の刑事課の高橋絵里。階級は巡査部長。一九八六年十一月二十七日生まれ。歳は二十九歳。ついでに住所も言おうか?」
女は真剣な顔で見ていた。
「結構よ」
俺は高橋の髪の中に手を入れる。小型盗聴機が出てきた。無駄な経費を使ったもんだ。
「お疲れさん」
盗聴機に言った。それを床に落とし、踏み潰す。
「何でも知ってるのね」
高橋は青い文字で書かれたケントを取り出し、くわえる。
「他にもいろいろ知ってるぜ」
ジッポで火をつけてやった。
「例えば?」
一端煙草の煙を吸い込み、間を置く。
「あんたの上司の不倫相手やそんなとこさ」
高橋が笑った。
「怖い人ね。今度一度食事に行かない?」
「それはデートの約束かな?」
「分かってるくせに」
高橋は頬を膨らませてそっぽを向いた。俺は高橋の首に腕をまわした。
「分かってるって」
耳元で囁いた。高橋は笑顔で振り返った。
外から何かの破裂音が聞こえた。とても乾いた音だ。すぐに9ミリの銃だと分かった。ドアが勢いよく開く。日本人の男が二人立っていた。手には黒星ではなくグロック19を握っている。
「誰だ!」
壁に寄りかかっていた男が上着に手を入れながら広東語で叫んだ。一歩遅かった。片方の男に腹、頭の順に撃たれる。男は体から血を吹き出しながら床に崩れる。壁に血と肉片が飛び散り、鮮やかな色の血が流れてきた。女達の悲鳴の合唱が始まった。その中からガシャンとポンプする音が聞こえた。
振り向くとオールバックの男が眉間に皺を寄せながらレミントンのM870のソードオフタイプのショットガンを持っていた。炸裂音。銃口から火花が散る。だが、二人の姿はない。
女達が一斉に裏口に吸い込まれていく。俺はバーカウンターの所に隠れる。後ろから高橋もついてきた。腰に手を伸ばす。ホルスターから銃把に刻まれた黒い星、黒星を抜く。
オールバックの男はフォアグリップをスライドさせる。排莢口から赤い12ゲージのショットシェルが勢いよく飛び出された。
嫌な静けさだ。突然ギーという音がした。見ると風で裏口のドアがゆっくり開いる。それがきっかけだった。
オールバックの男の体に9ミリの銃弾が撃ち込まれる。男はソファに倒れ込む。口から血が溢れ、派手なシャツに染み込んでいく。目を開けながら死んでいた。
岑が飛び出す。
「死呀(死ね)! 日本人ども!」
両手に持った二挺の黒星が火を噴く。片方の男の体に当たり、後ろに飛ばされる様に倒れた。真っ赤な血が宙に撒かれる。
銃弾はあちこちに飛んでいく。ソファーやガラスのテーブル、酒のボトル、白い壁に当たり、弾ける。銃の遊底が動きを止める。弾切れだ。岑は弾倉を抜き出し、新しい弾倉を入れようとしていた。
男は岑にグロック19を向ける。銃声。岑の体に9ミリの弾丸が撃ち込まれた。弾丸は体を貫き、後ろの壁に当たる。岑は壁を背に倒れた。もうピクリとも動かない。
透かさず男を撃った。男の胸に三発当て、吹き飛んだ。綺麗な血を宙に撒きながら。
部屋の中は硝煙が立ち込めていた。床には死体や金色の薬莢、ガラスの破片、コンクリートの破片などが散らばっている。
サイレンの音が聞こえてきた。誰かが通報したのだろう。
「俺はもう行くぜ」
黒星をホルスターに入れながら高橋に言った。高橋が頷く。
「今度会いに行くわ」
微笑んだ。軽くキスをする。高橋は顔を赤くしていた。
裏口に出た。暗く、電灯が一つ不気味に光っており、蛾が集っている。俺はすぐ右にある工事用のフェンスをずらす。ひと一人がやっとぐらいの細い道が現れた。道に入り、フェンスを元の位置に戻し、暗い道を走り抜ける。
暗い路地から出ると、酔ったサラリーマンやらポン引きが楓林閣の前に集まる。俺は野次馬を装う。
三台のパトカーが到着。ドアが開き、中から刑事課の刑事と制服警官が出てくる。
「お前らは裏口からだ!」
短い黒髪、鋭い目、整った顔立ち、黒いスーツを身につけた刑事課の一人、工藤惟茂警部補が叫ぶ。目が合った。案の定寄って来やがった。
「木村。お前が犯人か?」
ご名答。
「そんな訳ないじゃないですか、工藤警部補」
平然を装いながら必死に言う。こいつには余り目を付けられたくはない。
「……そうか。最近じゃここも物騒だ」
俺は笑ってしまった。
「この街で物騒じゃない所なんてありますか?」
「それもそうだな」
工藤はそう言い残し、左手にグロック19を握りながら店の中に入っていく。俺は店に入るまで見てから自分の塒に帰る事にした。まったくとんでもないパーティーに招待されたもんだ。 |