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Atheist 澪標廻廊 作者:はちゃち

三年生

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二十三話「焦燥」

 希望が高ければ高いほど、期待すれば期待するほど、砕け散った瞬間に襲ってくる絶望が計り知れない。
 分かっている。
 失敗したとき、俺は澪をより辛い絶望へ突き落すことになる。
 だが――いや、だからこそ、俺は言い放った。自戒を込めて。
 奇跡なんて起きるのを待っている時間はない。奇跡ほどの希望でも、自分から求め動かなければ手に入らない。足掻くしかない。それはもう、死に物狂いで。
「じゃあ、また……明日」
 校門で、澪が小さく手を振りながら立ち止まる。
「ああ。じゃあまた」
 見慣れた、聞き慣れたやりとりのはずだったが、澪の唇に視線が止まり妙に気恥かしい気がした。
 しかし澪を救うための手掛かりはまったくない。どこから手をつけていいかも考え付かないし、何をもってして救ったことになるのかも曖昧だ。
 帰路。車道では帰宅ラッシュの車であふれていた。
「どうすればいい……」
 気づけば、そんな独り言を呟いていた。
 ――時間がない。
 何度も考えた。しかし考え至るのはいつもそこだ。
 ――はぁ。
 同じ答えが導き出されるたび、大きくため息をついた。気付けば家の近くまでたどり着いていた。頭の中はひたすらに焦燥感を追い出しながら必死に考えていた。
『――ヤメテオケ――』
「――?」
 不意に、変な声が聞こえた気がした。雑音の入り混じったような、ノイズで加工されたかのような、不気味な声だった。
 とっさに声のした背後を振り返る。
 しかし、そこには声の主らしき人物はおらず、携帯電話を片手のサラリーマンと、買い物帰りの主婦らしき人がいるだけだった。どれも自分に興味を示したような顔はしておらず、俺が立ち止まっていると平然と追い抜いて行ってしまった。

 敷居を跨ぐ。
 声はあれ以降聞こえることはなく、何か雑音を聞き間違っただけだろうと結論づけた。
 離れ家に戻っていると、母屋から出てきた男と鉢合わせする。
「おい」
 そんな言葉をかけてきたが、俺は無視して離れ家に向かった。背後ではわざわざ俺に聞こえるよう舌打ちをしていたが、それも無視した。
「さて――」
 何から手を付けたらよいものか――俺はベッドに腰を下ろし、再度ひたすらに思考する。限られた情報。限られた環境で、最大限に頭を使う。


 夢とは違う感じがした。
 夢のようで、夢じゃないこの場所に、俺は立っていた。
 景色はない。
 ただ、闇色に染まった世界。
 そこに黄金色に光る箇所があった。
 俺は恐る恐る近づいてみる。
 近づくに連れ、光の塊は造形が見て取れるようになる。
「澪!!」
 光の中にいたのは澪だった。すぐに駆け寄り手を伸ばす。
 だが光に触れたか触れないかほどの所で、光は急速に霧散し始めた。
「これ以上深入りするな。お前自身のためにな」
 そう低い声が聞こえ、光は消失した。


 翌日、まず絵を描くのはやめることにした。そんな悠長な時間は俺達にはない。
 同時に、授業もサボれるように工作をする必要があった。こんな状況で、授業を受けるのは、至極時間の無駄に思えるからだ。だが、ただサボればいいというわけではない。出席日数が足りなくなるのはまだしも、そのことで教師に長時間説教されるリスクも、補習を強制させられるリスクも負いたくはないからだ。なにより澪は学校の敷地から出られない。ならばこの学校のことを調べる必要がある。そのためには教師の信頼は崩さないほうが得策であろうと思う。
 俺はまず手始めに進路指導員の教師を捕まえた。受験希望大学を変えたい――と申し出るためだ。名指ししたのは言わずと知れた難関大学、東京大学だ。
 もともと進路指導員の悩みの種の一つが俺であったは自覚していた。生活態度が教師にとっては良く、偏差値もそれなりに取れている。なのに、近場の平均以下の大学へ行き、キャリアを目指すわけでもなく地方公務員を希望する。
 そんな俺が、急に東大を目指すとなれば、食い付きがいいのは明白だった。そこで念押ししたのが、クラスでの授業を受けているだけでは間に合わない、ということ。俺はここぞとばかりに、程度の低い生徒を引き合いに出し、非効率なクラスでの勉強を否定した。同時に、一人で自習をさせてくれと頼み込んだ。むろん、教師にも立場があり、一筋縄ではいかない。最終的に、担任と教頭まで出てくる事態に発展したが、結果から言えば成功と呼べる代物だった。
「そういうわけなんで、お願いできませんか?」
 俺は美術室で丹波に願い出た。
「うーん……」
 学校側から出された条件は二つ。成績が落ちたら、クラスでの授業に戻ること。必ず一人は目の届く範囲に教師がいること。そして、その教師を、丹波に願い出たわけだ。
「まぁ、僕としては構わないんだけど、美術の授業中とかはどうする気だい?」
「その時は諦めてクラスに戻るか、他の所で自習してますよ」
 と、本心でないことを口にする。
「分かったよ。引き受けよう。黒野君には絵の意見を聞かせてもらってるしね」
 少しだけ考え込んだ後、丹波多そう親指をつきたてながら快諾してくれた。俺はその事実に満足し、いったん美術室を出ようと背を向けた時、再び声をかけられる。
「ねぇ黒野君」
「はい?」
「これは、まぁ教師としてではなくって、どちらかといえば同じ絵を描く事が好きな同志として聞くんだけど」
 妙に確信づいた――というか、らしくないと一蹴した方が良いくらいの、珍しい真面目な口調だった。少し低くて、探り込むような声質で僕に問いかける。
「なんですか?」
「東大を目指すのって、嘘でしょ」
 あまりにも唐突で、予想だにしていなかった言葉に、俺は言葉を詰まらせていた。
「はい?」
 ようやくの思いでそう言葉を絞り出すと、苦笑しながら丹波が言葉をつづけた。
「そんな気がしただけ。間違ってたらごめんよー」
 でも――と、丹波は言葉を止めない。
「本当に東大を目指すなら、別にクラスで授業受けていても問題はないと思う。黒野君の能力ならね。これは過大評価じゃないと僕は思ってるよ?」
「そんなことは――」
「深入りする気はないよ。それは野暮ってものだから」
 言葉を返そうとすると、でもね――と丹波の言葉に遮られる。
「東大を目指すにしても目指さないにしても、ひとつだけ言えることは――」
 丹波は、ここからは教師としての言葉だけど――と付け加え、言葉を続ける。
「何もしなかったという後悔だけは、絶対にしちゃダメだよ」
 丹波の目はひどく真剣に思えた。らしからぬほど、教師らしい目だ。
「――先生は」
「うん?」
「丹波先生は、後悔しているんですか?」
「そうだね。いや、僕に限らず、多くの大人は思っていると思うよ? 『どうしてあの頃頑張らなかったんだろう』『あの時諦めなければ。逃げ出さなければ』『戻ってやり直したい』って、やらなかったことに対する後悔を」
 丹波の視線は俺の足元に向けられていた。いや、焦点が俺に定まっているのかは、分からないが。
「だから、黒野君にこれだけは聞いておきたいんだ」
 俺は口を挟まず、ただ丹波の次の言葉を待った。
「黒野君がやることは、何をおいてでもやらなければならないことなのかい?」
 おそらく丹波は俺の嘘を見抜いている。これまで、美術の時間に他の勉強をしていた生徒には何も言わなかった。東大の話を信じるなら、別に何も言わないだろう。
「はい」
 だから俺は正直に、丹波の目を見て答える。自然と口調は力強くなっていた。
「それは、誰からも強制されたわけじゃなく、自分の意思なのかい?」
「もちろんです」
「今やらなければ、後悔するかい」
「絶対に」
 視線と視線が重なりあう。次に丹波が口を開くまでの数秒間の静寂を、俺は一切視線をそらすことはなかった。
 フッ――と、丹波が笑みをこぼす。
「じゃ、僕は何も言わないよ。何かほかの先生に言われても、適当にごまかしておくから、安心して全力でぶつかってきな」
 丹波という先生は、教師はらしからぬ事を言う。だが、この高校で会ったどの教師よりも教師らしいことを、丹波は言う。その言葉を理解するのに時間は必要ではなかった。
 感謝の言葉は出てこなかった。いつも教師に見せる作り笑顔もしていなかった。
 ただただ自然と、ごくごく自然と、頭が下がった。
 猫を被ったわけでもなく、面倒事を回避するためでもなく、感謝や尊敬から頭を下げるなんて、いつ以来だろうか。いや、もしかしたら初めてかもしれない。
 ――本当に、教師らしくない。
「ああ、もうひとつだけ」
 俺が背を向けると、再び丹波が口を開く。
「どう? 今の僕、すごく教師っぽくなかった? かっこよくなかった?」
 などと子供のように聞いてくる丹波は、どこか澪にも似ているものがある気がした。
 ――まったく。
 と、俺は肩をすくめながら、呆れと笑みを織り交ぜて言葉を返した。
「それを言わなかったら完璧でしたよ」

 虱潰し――そんな言葉がこれでもかと当てはまる、そんな時間が過ぎていく。同時に、他の教職員に必要以上に見つからないように行動する必要があり、心労が重なる。丹波は誤魔化してくれると言ってくれたが、揉め事は起こさないに越したことはない。言い訳をするのも誤魔化すのも時間がもったいない。
「何もないか――」
 一週間ほど経とうとしていた。
 一歩も――おろか全く進展を見せない現状に、思わずため息にも似た言葉を漏らす。
 そんな弱気な自分に気付き、すぐに内心で叱咤し澪へ視線を移す。どうやら澪には聞こえていなかったらしく、ホッと胸をなで下ろす自分がいた。
 澪は何も言わずついてきた。
 澪が出られる穴はないか境界線を探した時も、何度も痛い思いをさせてしまった。
 調べれば調べるほど、八方ふさがりになっていく現状に苦しい思いは増しているはずだ。
 それでも澪は、文句の一つも言わず、俺を信じてくれる。
 そのことが嬉しくもあり――だからこそ、俺は強く焦りを覚えた。
 現実は常に非情だ。
 そんな事は知っていた。だが、それでも俺は歩みを止めるわけにはいかない。だからこそ、進展のない現状に苛立ちを覚えて仕方がなかった。


 さらに三日が過ぎた日の放課後、俺たちはいったん誰もいなくなった屋上に出る。
 今日も何の収穫もなかった。
 俺は考える。勉強なんて比ではないほど頭を働かせる。何もしなければ、ここからは出られない。だが、どこからも出られない。澪の証言から、車などで速度出して突っ切ろうとしても無駄らしい。昼夜や日付も関係ない。原因も原理もわからない。
 ――八方塞がりだ。
 ……だが。
 冷静に考えれば、澪は数十年もの間進展を見いだせていないのに対し、こっちはまだ一週間ちょっとだ。当然、そんな簡単に打開策は見つからないものだと、自分を落ち着かせる。
 今の現状は結果だ。結果、澪はここに今も同じ姿で存在している。なら、一体この結果は何に対してのだ? なにかしらのきっかけ、原因があるはずだ。
「なぁ、澪」
「何ですか?」
「澪が死んだのは、昭和二十年だったよな?」
 俺の唐突な質問にも、澪は戸惑うことなく答えてくれた。
「はい。ちょうど今頃…七月ごろだったはずです」
 顎に手を当てながら、澪は思い出そうと頭をひねる。
「その時の状況を、詳しく聞いてもいいか?」
 その言葉に、澪は少しだけためらいを見せた。それを見て、嫌なら無理しなくていい――そう補足しようとした。だが澪の方が早く口を開いた。
「はい、構いませんよ」
 その目は躊躇いの色はなく、むしろ信頼を感じさせる視線がまっすぐと俺を貫く。
 もしかしたら、そこに何かのヒントがあるかもしれない。本人は気付かないヒントが隠されている可能性はゼロではない。
 そう思い、俺は澪の話に耳を傾ける。
「昭和二十年に、日本で何が起こっていたか知ってますか?」
 昭和二十年。俺なんかが生まれる遙か昔の出来事。歴史の教科書でしか知るよしのない、それほどの頃。
「太平洋戦争、か?」
「はい」
「当時は、大東亜戦争なんて呼ばれたりもしていました。その七月です」
「終戦したのが八月……十五日だっけ? ってことは終戦直前か?」
「はい。当時、アメリカの爆撃機でたくさんの犠牲者が出ていました。特に、三月十日に行われた東京大空襲では、今でも有名だと思います」
 俺には到底、想像すら付かない光景だろう。そう、思いながらも、必死に頭の中にイメージを作ろうと試みながら、さらに澪の言葉に耳を傾ける。
「私がいたのは比較的田舎の方で、空爆もあまりありませんでした。しかし疎開の影響で、軍需工場の一部が私の住んでいた地区にも移ってきたりしていました。もっとも建物を建てる材料もなかったので、元からあった町工場を徴収していました。なので規模は小さかったですが」
「……それで、空爆の標的に?」
「はい。幸か不幸か、私の住んでいた家は少し高い丘の上に立っていました。裏庭には畑がいくつもあり、その奥に行けば、自然の洞窟などがあります。私の一家は、貧しい生活の中で、洞窟改良し、天然の防空壕を作ったわけです。当時、貴重だった鉄を使って、私の父親は小さな鉄の扉を作ってくれました。燃えないようにと。当時、金属や食料は軍が強制的に徴収していたので、もしばれていたら、逮捕されていたでしょうね……。ちなみに父は、日中戦争時代に戦地で片足を失っていたので、大東亜戦争で戦場へ向かうことはありませんでした」
 澪は語る。相当に古い話のはずなのに具体的に語るということは、澪は今まで忘れることもできなかった過去なのだろう。
「私は工場で働いていました。十五の時の話です。……あの頃子供は皆、国のためにと働いていました。私のいた工場では確か、飛行機の部品を作っていました」
 澪の言葉により集中しようと、瞼を閉じた。
 そして、運命の日がやってくる。
「低く重たい音が町に響きました。アメリカの爆撃機のエンジン音です。その日、空襲警報は鳴っていませんでした。私が目を覚ました時、爆撃機はすぐ近くまで来ていたと思います。私は怖くなって、慌てて庭の防空壕に逃げ込んだんです。逃げ込んで、硬く扉を閉じて」
 次第に、声が細くなっていく。
「少しして、爆発音がたくさん聞こえてきました。町が爆弾で燃え広がっているとすぐに分かりました。私は、ただ防空壕の奥で震えているしかありませんでした。その時に、扉をたたく音がしました。その声は母のものでした。何を言っているかまでは聞こえませんでしたが、たぶん、足を失った父を避難させようと、遅れたんだと思います。その時私は扉を開ければよかったんです。でも、私は恐怖で腰が抜けて。扉を開けるだけの力が出ませんでした。目一杯開けようとしたのですが、怖くて、恐ろしくて……。少しすると、母の声が聞こえなくなりました。最悪の考えが頭をよぎって、ようやく私は扉を開けることができました。母は燃えていました。燃えていて、それでいて動くことはありませんでした。私は、駆け寄ろうとしました。手遅れだと分かっていつつも、それを認めたくはなかった。そして防空壕から出たんです。でもその時、ちょうど近くに爆弾が落ちてきました。それで直接怪我はなかったです。でも、その爆発で破片が私のお腹に刺さりました。たぶん、木片か何かだともいます」
「それで、死んだのか?」
「はい。刺さった拍子に、防空壕の中に転がっていきました。結構斜めになっていたので。そして、私は、その中で息絶えたんです」
 長い話を聞き終え、俺は頭の中で整理する。
「その後はどうなったんだ?」
「気付いたら防空壕の中でした。爆撃音はなく、日が差し込めていたので、その時は生きていたのだと思いました。でも、いくら私が声をかけても、触れても、誰も私に気付きませんでした。そして、私の家の敷地から外には、出ることが出来ませんでした」
「敷地?」
「はい、この学校が建っているのは、もともと私の家があったところです」
 そして、学生としてなぜか認識されている。
 澪の事を忘れると、都合よく記憶が書き換えられるとすれば、都合よく制服も、教科書もあることになるのか? 意味が分からない。
「当時、気になったところとかは何のか?」
「何か……。いえ、特には。あったとしても、状況が状況なので、周りに気を配る余裕はなかったと思います」
 確かに、そんな冷静でいられる状況じゃないよな。
「防空壕は、もう残っていないのか?」
「はい、この学校が建てられるときに、埋められたはずです」
 そうか――特に何も手がかりはないのだろうか。
「澪のいた防空壕ってどんな感じだったんだ?」
「自然の洞窟でしたからね……一応、そこで少し過ごせるだけの水と非常食をおいてました。後は、神様を祭った石像とか、避難させてましたね」
「石像か」
「たしか、狐の像だったと思います。可愛いんですよっ」
 澪は落ち込んだ気分を払しょくしようとしてか、無理やりおどけて見せる。
 俺は澪を慰めつつ、特にヒントになりそうなものはないか――と、内心で焦りを増していた。
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