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Atheist 澪標廻廊 作者:はちゃち

二年生

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九話「ノート」

 今日も退屈な一日が終わりを告げようとしていた。
 自室でキャンバスに向かっていると、すでに時刻は日付をまたごそうとしていた。
「明日は、数学と世界史と美術と――」
 時間割を見ながらそう呟く。声に出す必要は無かったが、疲労を一緒にはき出すように声にしていた。ため息交じりに明日の準備に取り掛かる。
 確か、数学は教科書の問題が宿題だったはず。まぁ宿題なんてものは学校に行ってやればいい。
 前回の授業を思い出しながら俺は教科書とノートを捜索する。部屋の端に置いた机に、適当にばら撒かれてる教科書類は、探し出すのに少々時間がかかる。
「……どこにいったんだ」
 自業自得だろうが、俺は数学のノートの捜索に手間取っていた。愚痴をこぼしてもなかなか見つからない。
 机にはない。下に落ちてるのかもしれないと、俺は椅子を引いて奥を確認する。しかし、そこにもない。壁と机の隙間を確認してみる。
「はぁ……なんであんな奥に落ちてんだ」
 愚痴は再び口から漏れ出ていた。
 何とか手のひらが入るスペースがあったので、手を伸ばしてみる。
 伸ばした指が、ノートの端に触れる。どうやらわざわざ机を動かさずに済みそうだった。
「って……」
 数学じゃないのかよ。誰に対してでもないツッコミを口にしかけてやめた。
 無地のノート。小学生のときによく持っていた自由帳のようなもの。
 何も書かれていない。数学のノートでなかったことへの脱力感から、俺は壁にもたれかかりながら呆然とノートをめくる。パラパラと開いていくが、そこには何もかかれてはいなかった。未使用のがこんなところにどうしてあるのだろうかと疑問も抱いていると、ページは最後までたどり着いてしまう。
 このノートは、俺のものに間違いなさそうだった。最後のページ、そこに描かれていた絵がひとつだけあった。
 女の子の絵。
 鉛筆で書かれたその女の子は、落ち込んでいるようだった。
 しかしその絵はあまりにも不自然だ。女の子は空中で腰掛けているように見える。
 人物デッサンだろうか。
 いや、それにしても、俺は自分がどのように絵を描くかは知っている。椅子に座っているなら椅子も描く。
 足を少し投げ出すような座った様子から考えて、これは低いものに腰掛けている。ということは、公園か何かのベンチに座っているんだろうか。
 なんにせよ、あまり古い絵ではなさそう。これでも、絵柄は変わっている。今の時期だと成長と言ったほうがいいのかもしれないが、その絵はおそらく、今の学校に入学してからの絵。
 ふと脳裏に今日の出来事がよぎった。今朝、話しかけてきた女子。確か……相沢と言ったっけ。そいつの容姿と、この絵の女の子はよく似ている。
 何か言っていた。そう、確か、自分のことを覚えているのかと。向こうは俺のことを知っているのか? もしかして、俺はかつて相沢と言う奴をモデルにして絵を描いたことがあるのか?
 まったく心当たりがない。そもそもそんなことをするはずもない。誰かにモデルになってもらうなんてこと。
 それでも、この絵は自分のものだ。

「ばかばかしい」
 そんなことを思い、俺はノートを乱雑に机の上に投げ捨てる。
 そんなことより数学のノートがないと、明日説教だろうな。進学校だから仕方が、かといって怒られるのは面倒だ。そう頭を切り替えて俺は山になっている画用紙の中を確認し始める。
 今まで描いてきた絵が、所狭しと置かれている。それを、手前から順に捜索する。適当に置いたノートに、上から描き終えた画用紙を置いた可能性がある。
 何度も画用紙を持ち上げては手を離してを繰り返す。
「お」
 思わず声が出てしまった。しかし、そこには間違いなく探しものがあった。
 まったく、世話をかけやがって――そんなことを思いながら、自業自得だと反省もする。
 俺はノートをさっさと鞄に入れてキャンバスに戻ろうと思った。
「……は?」
 だが、その考えは実行されぬまま、俺は目の前の現実に硬直した。
 数学のノートが挟まっていた画用紙。その下の絵が、無地のノートに書かれた女の子が描かれている。画用紙いっぱいに、いくつもの表情を描いた画用紙がそこに確かにある。
 笑ってる顔は、無邪気で、心の底から笑っていた。痛がる顔は、どことなく恥ずかしそうで。泣く顔は、どこか希望を持っていて。怒った顔は、口を尖らせながらほほを膨らませる。それは子供のように純粋さを感じた。
 全部、知らない顔。普段見つけても、気晴らしに描いた落書き程度にしか思わなかっただろう。しかし、ここに書かれた女の子は、確かに今日声をかけてきた。それだけじゃない。俺と接点があったようなことをほのめかした。
 俺は山積みにされた画用紙の中を再び捜索し始める。
 次々とあらわれる彼女の絵。そのどれも、間違いなく俺の絵だった。何枚あるのか。
 それよりも、どうして、俺は、これを描いたことを覚えてないのか。
 俺は床やベッドに散らばった絵を見た。家族の絵だ。
 ここには家族しかいないはずなのに、どうして、この見知らぬ女子の絵が――


 学校の二階。そこの窓から外を見下ろしたとき、ふとグラウンドが視界に入ってくる。そこでは、あの時と同じように体育があっていた。
 俺は、わずかの間それを見下ろす。
 グラウンドの階段の上。そこにいたあの女子。はじめて会った。なのに、彼女と俺は前から知っていた。

「どうしたんだい、黒野君?」
 美術の時間、不思議なものでも見たかのような表情をしながら、丹波が覗き込んできた。
「悩み事かい?」
「いえ、そんなんじゃないですよ」
 その言葉に、丹波は納得のいかない表情をする。
「そう? なんかずっとボーっとしてるように見えてたけど?」
「大丈夫ですよ」
 そう言って誤魔化すと、丹波はそれ以上言及してはこなかった。
 そうだ。問題ない。絵に心当たりがなくても何の悪影響もない。自分にそう言い続けた。

 数日間、そのノートと絵は俺を悩ませた。
 間違いなく彼女だ。他人の空似なんて、早々起きるものではない。そう思う。
 なぜ俺はこんなに気にしているんだ――。


 夜。暗い自室に月明かりが差し込んでいた。その中で、俺は今日を振り返る。
 何も、何も気にすることでもないだろう? 見なかった事にしても、何ら不利益を被るわけでもない。犯罪を見なかったことにするのとはわけが違う――そう、俺は自分に言い聞かせたかった。
「無理だ」
 俺は自分を一蹴する感情は意図せず口から漏れでた。
 ――何かを忘れてしまったのか?
 そう思いながら、再度頭をめぐらせる。相沢の絵がこの部屋から出てきたこと、そのことが引っかかった。
 ノートならまだ分かる。しかし画用紙はそうもいかない。使うとしたら美術の時間だ。だが学校から持ち帰るとしたら、俺は必ず丸めている。そうすれば、少なからず折れたり、反り返る癖がつくものだ。でも、俺の部屋にあった絵には、そういった痕跡が残っていなかった。それは、この部屋で描いたということだ。俺が、この部屋で描くものは決まっている。知らない女子の事を、ここで描くはずがない。少なくとも、あれほどの枚数を、ココでは。絶対に。

 俺にとって相沢と言う女子は、大きな存在だったのだろうか。確かめたい。そんな気持ちが、日々強まっていく。それでも、聞きに行くなんてことは出来なかった。
 怖かった。
 俺だけの世界に、見ず知らずの奴が入り込んできた。
 今まで、こんな事はなかった。だから、俺はどうしていいのか分からない。気持ちばかりが焦り、何も出来ず時間が過ぎる。

 何度か、相沢とすれ違ったことがあった。ときには相沢一人のこともあった。だが、そんな時も俺は何も出来なかった。そして相沢も俺から目をそらした。相沢も俺を避けているように思えた。俺を見つけると、わざわざ迂回する場面が何度かあった。
 そうなってはますます声などかけられない。
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