四 望まれた子ども
四 望まれた子ども
生美子は郵便受けから新聞を取り出した。週に三回だけ届く、清和党の新聞だ。
一面に目をやる。浦沢慎司が党首選挙に立候補するという記事が大きく出ていた。記者会見の写真はカラーで、真ん中にデデンッと収まる。
もしもこの人が党首になれば、三十八歳という若さで史上初の党首ということになる。
父も母も、そしてテレビに出ているうさんくさい評論家たちも、この人が当選するだろうと予想しているようだった。もうすぐ行われるらしい衆議院選挙で議席を取るためには、本堂雅臣と一緒になって竜を退治した英雄である浦沢慎司の知名度と人気が必要なのだそうだ。
おまけにイケメンだから、女性受けするらしい。
それに、と生美子は思った。浦沢さんが党首になれば、若さでも史上初だけれどドリーとしても史上初だ。
同じドリーのひとりとして、生美子はそれに期待していた。それで何が変わるのかなんてさっぱりわからないけど、ただワクワクする。それだけで理由は十分だ。
さしていた傘を傘立てに突っ込んで、家の中に入る。今日の天気は小雨だ。午後からはやむと言っていたけれど、それまでは道路に一センチほど、水が溜まるかもしれない。
リビングに行くとローテーブルの上に新聞を置いた。朝のニュースからつけっぱなしになっていたテレビでは、空港の映像が流れている。
ロープで作られた通路を、バラバラな制服を着た高校生たちが重そうな荷物を抱え、あるいは引きずりながら歩いていた。胸には高校名とその生徒の名前、そして数字がデカデカと書かれた名札をつけている。
「あっ、正義だ!」
生美子は見知った顔を見つけて声を上げた。生美子の家と同じく旧家で、昔から懇意にしている神宮寺家の跡取り息子、神宮寺正義がアップで映される。
緊張した面持ちの正義は、背筋を伸ばして正面を睨みつけ、歩いていた。それは正義の周りにいて、会話を交わしながらリラックスした様子でにこにこと通路を進んでいく他の生徒たちと違っている。
なんだからしくないな、と生美子は思った。何かあったのだろうか。
「そういえば昨日、正義君のお母さんから電話があったのよ」
後ろから母が声をかけてきた。新聞を取り上げると、「こっちにいる間、よろしくって」と言いながらめくっていく。そして目的のものを見つけて、手をとめた。
「あった。正義君は四十七番なのね。あと知ってるのは……。ああ、竹緒ちゃんもいるわよ。五十二番だって」
「本当っ?」
生美子はテレビに顔を近づけた。竹緒ちゃんも代表だったのか。まだ見逃してはいないはずだ。
しばらくして、その竹緒ちゃんは現れた。正義とは対照的に、周りに男子と女子合わせて五人を引き連れていて、カメラがあることなんて忘れているかのようにケラケラ笑っている。
髪質が固く、ボブから先に髪を伸ばせない生美子にとって、竹緒の柔らかな天然パーマの髪は子どものころから憧れだった。
しかも色白で美人だし。
この日向では、たとえ曇りや雨の日が多かろうと紫外線の量が半端ない。おかげで自転車通の生美子は春から夏にかけてのこの時期は褐色の肌だ。よく東南アジア系に間違えられる。
「今年の全高会で注目を集めているのは、やっぱりこのふたりですね」
空港の映像がスタジオに切り替わると、原稿を持って立っている女子アナの隣に立体映像が映し出された。
ひとつは正義、もうひとつは竹緒だ。
「神宮寺正義さんはオロチ退治で有名なスサノオの子孫で、言わずと知れた神宮寺財閥の長男です。一方でこちら、御神竹緒さんはスサノオの姉、天照大神の子孫で、こちらも日本屈指の財閥、御神財閥の長女なんですねえ」
精巧な立体映像は、まるで展示されたフィギュアのようにゆっくりと回転していた。
女子アナがカウンター席に座っているキャスターに向かって、「この二大財閥の後継者が全高会で一緒になるというのは史上初ですから、注目が集まるのも当然ですね」と話を振っている。
「へえ、そうなんだ」
生美子がほうほうとうなずいていると、隣から母のため息が聞こえた。
「生美子ももうちょっと成績が良ければ正義君たちと一緒にここに出れたのにねえ。せっかく三人で幼なじみなのに、生美子だけ……」
長くなるぞ。そう予感した生美子は、「しょうがないでしょ!」とそれを遮る。
「チョーお金持ちの正義や竹緒ちゃんのとこと違って、うちなんか家系図が果てしなく縦長なだけの普通のうちだし。元が違うのよ」
「そうやって諦めるからいけないの! 生美子の学校の代表の子は片桐君だっけ? あの子だって普通の家の子じゃない」
「片桐君のお父さんはK大卒だもんっ」
テスト結果が返ってくるたびに不毛に繰り返される言い合いが勃発しそうだったので早々に逃げ出すことにして、生美子は立ち上がった。台所を横切る瞬間に、ささやかな抵抗として母のおやつである白あんのどら焼きを一個くすめる。
リビングを出る瞬間に振り返ると母は新聞の一面を食い入るように読んでいて、テレビからは「全高会に出席するみなさんは、今日の午後には日向県立神話博物館を見学する予定です」という女子アナの声が流れて来ていた。
「まったくお母さんはさあ。自分と夫から生まれた子どもが頭良いかどうかくらい、考えたらわかんないのかしら?」
どら焼きの袋を破くと、廊下を不機嫌なままドシドシと歩きながら、生美子はそれにかぶりついた。
二階を上がりきったところで、ちょうど突き当たりにある書斎から出てきた父と鉢合わせする。
「びっくりした!」
口からポロポロとどら焼きのカスをこぼれさせながら生美子が身を引くと、トレードマークの黒縁メガネをかけた父は「ちょうどよかった」と一枚のチラシを突き出した。
「これ、今度の平家祭りのパンフレットの試し刷りだよ。どうだい、きれいに映ってるだろう?」
鼻息荒く誇らしげな父の手から、その紙を受け取る。
背景にきれいに色づいた楓の葉が映っている。そしてそのB5の大きさのチラシ一面に、生美子の姿があった。
例えるならば、平安か鎌倉時代のような格好をしていて、頭の上にはお雛様のような金色のかんむりをかぶっている。顔は褐色の肌が普通の肌色に見えるくらいに白塗りされていて、それに時代遅れなくらいの赤い口紅をひいた姿は、自分自身で見てもだいぶ大人びていた。
その、まるで人形のように神妙な顔をしている生美子の手には、一本の刀がある。
「上手に作るよね」
呆れたように生美子が言うと、父は「一年に一度の、娘の晴れ姿だからな」と胸を張った。
父は、車で二時間ほど行ったところにある村で行われるこの祭りの実行委員をしていて、パンフレット作りを毎年買って出ているのだ。
理由は簡単。娘の写真をより大きく引き延ばして目立たせるためだった。
「ここを見てよ、ここ」
父がチラシを裏返した。そこには細かい文字で、祭りの歴史や伝わる物語が記されている。そしてその下に、なぜか生美子の顔写真が。
しかもそれは去年の体育祭の打ち上げで友達と撮った、一番肌が黒いときの写真だった。調子に乗って、頭には虹色のアフロをかぶっている。
「何よこれっ」
生美子が声をわなわなと震わせると、父は平然と、「何って、生美子のプロフィールだよ。今年初めて作ってみた」と言ってのける。
確かに写真の下には〈那須生美子。二〇×四年三月十二日生まれ〉と書かれていた。
「そうじゃなくてこの写真よ! いつの間にあたしのアルバムから盗んだのっ? 肌の白いお姫様役の子がこんな色黒、アフロヘアじゃあ、村の人も観光客も興ざめじゃない。今すぐ差し替えて!」
「そうかなあ? パパはこのくらい遊び心があったほうが親しみやすくていいと思うけどねえ」
「いいから、差し替えて! それにあたしはお父さんのことパパなんて呼ばないっ」
生美子が書斎を指さすと、惜しそうな顔をした父は「パパはパパのほうが好きなんだけどなあ」と言いながら書斎に引っ込んでいった。
生美子は崩れ落ちるようなため息を吐く。
「信じられないよ、まったく」
喰いさしのどら焼きを全部口に押し込むと、もぐもぐとあごを大きく動かしながら自分の部屋に入った。
ベッドも勉強机もおいてあるが、下は畳だ。
怒りに震えて端のほうがくしゃくしゃになってしまったチラシを机に放る。そして、アフロ姿の自分を眺めた。
「白塗りのあたしとこれを同時に見ちゃったら、きっとみんな詐欺だと思うね」
ウンウンとうなずき、チラシに手を伸ばす。丸めてポイッと捨てようと思ったのだけれど、ふと目がとまった。〈二〇×四年三月十二日生まれ〉。
「二〇×四年三月十二日?」
何か引っかかる。それはなんだろう?首をかしげたあとで、生美子は勢いよく立ち上がって椅子を倒した。部屋を駆け出し、書斎のドアを叩く。
「違うよ、お父さん! あたしの誕生日は二〇×五年の三月十四日っ。それは……!」
それは、お姉ちゃんの誕生日なんだから。
××××××××××
日向県立神話博物館は、県立図書館の隣にあった。ロビーに入るとアニメチックなイザナギとイザナミの像が出迎える。
一階には古事記に基づいた日本創世記のアニメが見れるミニシアター、ストラップやポストカードを売っている売店、教室くらいの大きさの神話図書室があって、大理石でできた螺旋階段を上ると、二階が展示室になっていた。
展示室に飾られているのは、神話に出てくる神様たちのモデルになった人物が愛用していた刀や首飾りなどだ。
神話の中にはイザナギやイザナミのように完全に創作された神もいるが、天照大神や素戔嗚尊のように実在のモデルがいる神もいる。この博物館は、実在したモデルにゆかりのあるものを展示しているのだ。
正義は、天羽々斬の前で立ち止まっていた。もちろん、国立博物館にあるものが本物だからこれはレプリカだ。
刃の欠けたところが一ミリも違わず再現されているレプリカは、淡い照明に照らされ、偽物ながらも神々しく見えた。
僕はこれを持ったのだ。持ったのだけれど……。
「本物はもっと素晴らしいんでしょうね」
後ろから聞こえてきた声に振り向く。
そこには、知らない女子がいた。いや、もしかしたら飛行機の中や説明会の会場で隣の席になったりしたのかもしれないが、考え事をしていたせいかまったく覚えていなかった。
ストレートの黒髪は腰までありそうで、顔つきはどことなくきつい印象を受ける。目がやたら鋭いとか、そういうんではない。たぶん、本人の気質の問題だろう。
正義は彼女の名札を見た。十番台という事は、東北の高校か。学校名は……。
正義が名札を見ていることに気づいて、芙美が「ああ」と微笑む。
「樟史女学院の津曲芙美よ。飛行機の中で少し話しかけたんだけど、覚えてもらえてなかったみたいね」
「樟史女学院? あっ」
魔女か、と言おうとしたところで正義は口を閉じた。良い呼び名ではないことを思い出したのだ。
けれど津曲芙美と名乗った女子は、それを見透かしたようにクスッと笑う。
「私、中学の修学旅行が関西だったんだけど、自由行動の日にスサノオ博物館に行くためだけにわざわざ出雲に行ったことあるのよ。そのときに見たわ」
芙美は天羽々斬に目を落として、それからその隣にあるものを見た。正義もそちらを見やる。
そこにあるのは、箱に入った、干からびた、腕。
「これの残りを、そのときに見たの。右腕がなくなった、スサノオのミイラを」
真っ黒で、骨にただ皮膚がへばりついているだけのような片腕のミイラ、いや、ミイラ化した腕は、同じような色をした木棺の中に入っているのだった。綿が敷きつめられている。
芙美の言うとおり、この残り、もう片方の腕や胴体や両足や頭のミイラは、出雲のスサノオ博物館に保存されていた。
伝承によれば、スサノオは出雲でオロチ退治をしたあと、その地で結婚し、地域の長となって暮らしている。しかし神話と同様に実際に姉であった天照大神はしつこくスサノオを呼び戻したがっていたのだそうだ。
幼いころに悪さばかりして姉を困らせていたスサノオはなんとか願いを聞いてやりたかったが、長にまでなってしまっていては帰るわけにもいかない。だから自分が死んだときはオロチを斬った右腕だけでも姉のところにと、子どもに言いつけていたのだそうだ。
スサノオの身体は神宮寺家によって受けつがれ、腕は御神家によって受けつがれた。
「知ってる? この腕が真っ黒なのって、オロチの血が皮膚に染み込んでアザになったからなのよ。スサノオ博物館のほうのミイラは、こんなに色が黒くないでしょう?」
得意げな様子もなく、さらりと芙美は言う。
「ふーん」と正義は平気な顔をしたが、内心ではうろたえていた。
スサノオの子孫である自分が知らないこと、どうしてこの子が知っているのだろう。まさか後輩のあの女みたいに、変なことを言い出したりしないよな?
右手の袖を少し持ち上げると、手のひらの左端にある小さなほくろを「ほら」と芙美が見せる。
「私、学校で竜の飼育係をしているの。オロチよりもずっと小さい、トカゲみたいな竜よ。その子が一度ケガをしたことがあって、そのときに飛び散った血がここについてしまったの。きっとスサノオは、大量の返り血を浴びたんでしょうね」
なるほど、経験談か。正義はこっそりと胸をなで下ろす。
そう言えば前にクラスで、魔女養成学校に竜が寄贈されたらしいと話題になっていたっけ。
「血がアザになるんなら、竜がケガをしてもうかつに触れないね」
「ええ。慌ててポリ手袋をしたわ」
竜の飼育係をまかされるなんて、よっぽど優秀な子なんだろうなと正義は思った。
「それで、えーっと……」
視線を泳がせて口ごもる。それでこの子は、どうして僕に声をかけてきたのだろう。あたりを見回せば、女の子数人で固まったグループが山ほどあるというのに。
特にしゃべることもなくて、正義は口を閉じた。芙美は薄い笑みを浮かべてこっちを見たまま、同じように黙っている。
「えっと。用がないなら、僕はもう行ってもいいかな? ひとりで回りたいんだけど」
「あら、ひとりが好きなの?」
「そういうわけじゃないけど」
今は馴れ合う気分じゃないだけだ。
正義は薄暗い展示室を見回した。色とりどり、制服の形も髪型も方言もさまざまな同い年の高校生たちが、ささやき合いながら、あるいはひとりで、展示品を見て回っている。
あの箱の中身が気になって、けれど言いつけよりも早く開ける度胸もなくて、ただ気ばかりが焦り、神経が尖る。あの中身を見るまでは、友達をつくる心の余裕ができそうにない。
「単刀直入に言うけど」、と芙美は言った。
「私とお友達にならない?」
「君と?」
正義は眉をひそめる。女子の友達がいらないってわけじゃあないけど、なんでこの子はそんなに僕に近づいてくるのだろう。
そう思った次の瞬間、心の中で身構えていた。
今の正義には、財閥に対してなんの権限もない。父も祖父も、正義かわいさに会社のことで融通を利かせるような甘い人たちじゃあない。
だけど世間には勘違いしている人たちがけっこうな数いるらしくて、道場や高校の先輩で、この人最近やけに優しいと思ったら、採用してくれるように口添えしてくれと土下座された、なんてことが過去に何度もある。
考えたことを表情に出したつもりはなかった。けれど芙美は、正義が何を考えているかわかっているように「誤解しないでね」と手を振った。
「私、将来は研究者になりたいの。それも竜の。だから、あなたのおうちの財閥にはまったく興味がないのよ」
正義は、僕はそんなに怪訝な顔をしているのだろうか、と思った。それくらい芙美は可笑しそうにクスクスと笑っていた。
「じゃあ、どうして?」
「私にもまだ友達がいないからよ。明日から全高会が始まる。そうしたら、グループに分けられるでしょう? あなたと御神さんは絶対に別のグループだわ」
芙美が視線を動かし、正義もそれを追った。
部屋の対角線上の端、天照大神のコーナーに、ひときわ目立つグループがいた。出会ってまだ一日足らずなのにすっかりうち解け合っているような雰囲気で、それがここでは逆に浮いて見えるのだ。
中心に竹緒の姿が見える。
展示されているものには全部、名前と解説文が付けられているのに、竹緒は仲間たちに事細かく説明していた。下手をすれば先祖の自慢が鼻につく嫌な奴になりそうなものだけれど、竹緒の場合、そうはならない。
嫌味じゃない程度に謙遜し、説明も客観的で、しゃべり方も人を惹きつける。
正義のそれが父や祖父から教え込まれたものであるのに対して、竹緒は生まれながらの天然だった。
「私、御神さんとは体質的に合わない気がするの。だったら、あなたと友達になっておいたほうがいいんじゃないかと思って」
変なことを言う奴だと正義は思い、今度は露骨に眉をひそめる。
「グループ分けはコンピュータがランダムにやるんだろう? 僕とも違うグループになるかもしれないじゃないか」
「きっと同じグループになるわ」
「どうしてわかるのさ」
芙美がわずかに目を細め、微笑む。
「それは、私が魔女だからよ」
何か真実を突きつけられたような気がして、正義はドキリとする。
目の前の女子は自分の高校がどう見られているか知っていて冗談で言ったのかもしれない。けれどそう疑う前に思わず確信を持ってしまうような、そんな笑みだった。
〈つづく〉 |