COCOON―そして少年は英雄の屍に出会う―(16/18)PDFで表示縦書き表示RDF


COCOON―そして少年は英雄の屍に出会う―
作:斎籐拓夢



九 3



 生徒全員が緊張した面持ちのなか、文部科学大臣が壇上に立ち、「みなさん、お疲れ様でした」と挨拶をした。「この夏はあなた方の人生に置いて、重大な転機となるでしょう」という予言を、生徒たちは前向きに受けとめる。
 希望している企業から大学卒業後の内定保証の通知が届くことを今から心待ちにしている生徒もいれば、大学の一次試験免除や学費免除の特例を勝ち取れるか、全高会閉会後のことを想像して武者震いしている生徒もいただろう。
 正義たちグループの代表は、会場の一番前の席に一列に腰掛けていた。舞台の上から見下ろしているライトの明かりが足下まで当たって、やたらと眩しい。
 まるで太陽でも見上げているみたいだ。
「それでは、成績を順に発表します」
 司会者の言葉に、一度椅子に座った大臣がもう一度立ち上がる。
 場内に緊張が走った。昨日の課題の点数は、まだ知らされていない。AグループとBグループの点差は、昨日の朝の時点で一点で、わずかにBグループがリードしていた。けれどたった一点差だ。
 正義は横目で、隣に座る竹緒の顔を盗み見た。両手を足の上で固く握っている竹緒は瞬きもせずに壇上を見つめていて、わずかにしかめられた眉に舞台からのライトで陰影がついているせいか、夜叉の面のように見えて恐かった。
「第一位、Aグループ、八七五点」
 司会者が読み上げると、Aグループが座っているあたりから一瞬歓声が沸き上がり、口を押さえる様子が見えるように、すぐに消えた。
 竹緒の表情が、安堵で緩んだ。
「代表者は壇上へ」
 竹緒が立ち上がり、バレエと社交ダンスで鍛えられた美しい姿勢で階段を上っていく。
 強いライトが、竹緒を真上から照らしていた。ゆるやかな巻き毛はきらきらと光り、白い肌が映える。
「おめでとう」
 賞状を受け取り、大臣と握手をすると、一段高いところにいる竹緒はこっちを振り返った。
 占い師のところに行ったら、社長か総理大臣か女優になったら名を残すって言われた。
 いつか竹緒がそう言っていたことをふと思い出す。まだ小学生のころだっただろうか。
 あのころは三つともまったく違う職業のように思えたけれど、今ならわかる。どれも成功するには、カリスマ性がいるのだ。
 舞台の上で華麗に振り返り、こちらに向かって賞状を見せる竹緒は輝いていた。占い師でなくても魔女でなくても、今なら誰でもこいつが将来大成することを予言できるだろう。
 舞台を降りてきた竹緒が、正義の隣に座る。
「私の勝ちね」
 こちらに顔を向けて、ささやくように言った。
「そうだな」と正義はうなずく。正義にとってこの日向で大事だったのはあのミイラに関することで、もとより別に、勝負なんてしているつもりはなかったけれど。
「第二位、Bグループ、八七三点」
 司会者が「代表は壇上へ」と正義を呼ぶ。
 正義は立ち上がると、堂々と見えるようにゆっくりと歩いた。とりあえず、手と足が同時に出ないことにだけ気をつけよう。
 今日で、夏が終わる。この会場にいる誰もが、疲れた笑顔でそう思っている。でも正義だけが知っていた。
 これからが、始まりなのだと。

 ××××××××××

 生美子の父と母に見送られて、翌日の朝早く、正義と生美子は電車に乗り込んだ。
「椎原までどのくらい?」
 自分たちの他には三人の乗客しかいない車両のなかでは、やけに声が響く
「電車とバスを乗り継いで、まあ三時間かな」
 端の席に腰を下ろしながら生美子が言った。
「三時間っ?」
 正義が声を上げると、生美子が恐い顔をしてシッと指を口に当てる。
 同じ県を電車で移動するだけで三時間?
「東京みたいに小さい上に交通網が発達してるところと一緒にしないでよね」
 生美子が憤慨したように口を尖らせた。
「嫌なら次の駅で降りてもいいのよ。お父さんが喜んで代わってくれるから」
 正義はさっき駅で別れた、生美子の父の引きつった笑顔を思い浮かべた。
「相手が正義とはいえあたしが男の子とふたりで一泊二日出かけるのも、自分が打ち合わせ、というかあたしの衣装直しに立ち会えないのも、全部嫌だったみたいよ。お母さんに『子供みたいなこと言わないの』って怒られてたけど」
 正義はズボンの尻ポケットに手をあてた。財布のなかには、おじさんから手渡された許可証がある。椎原に入るために必要なもの。
 電車は街を抜けると住宅街を渡り、やがて田園地帯に移った。
「小さいときに、一度だけ見た行ったことがあるよな、平家祭り」
 足を組んで正義は言う。
「そうだっけ?」
「うん。五歳とか、そのくらい。まだ許可証がいらなかったのか、それとも親が人数分取ってきたのか。竹緒も一緒だったの、覚えてる」
 竹緒は昔からよく目立つやつで、生美子がそのあとをついて回っている感じだった。
 なぜだろう。そのころ、生美子のほうが年上なのに変なの、と思っていた記憶があるのだ。生美子は同い年のはずなのに、なぜだか正義はずっと、ひとつ年上なのだと思っていた。
「化粧した生美子がきれいな着物を着て牛車に乗っててさ。観光客がカメラでパシャパシャ撮るもんだから、竹緒が悔しくて泣き出したんだ」
 あのころはどうして泣いているのかわからなくて、戸惑ったのを覚えている。上のほうから大きな手が伸びてきて、竹緒を抱き上げた。正義はそれを見上げた。あれは確か、竹緒の父親だった。
 しょうがないだろ? あれは生美ちゃんにしかできないんだから。
 そんなことを言っていたような。
「そういえばあたし、竹緒ちゃんに見られるの恥ずかしかったなあ」
 思い出したのか、ため息のように生美子が言った。
「なんで?」
 顔を向けて訊ねると、生美子は「ええ?」と困ったように笑う。
「だって、竹緒ちゃんのほうが似合うに決まってるじゃん。その竹緒ちゃんの前であんな格好、子供ながらに恥ずかしかったよ」
 そんなものなのか、と正義は思った。生美子だって、似合っていたと思うけど。
 正義の頭の中を、白粉を塗って真っ赤な口紅を引いた少女が通り抜けていった。

 昼前になってようやく到着した椎原は、五歳のころの記憶に、さらに山と田んぼを付け足したようなところだった。こんなに緑が目に飛び込んでくるのかと、感動すら覚える。
 駅には、祭りの実行委員長だという白髪頭の男が迎えに来ていた。
「まず民宿に行って、で、お昼を食べてください。そのあとで衣装直しです」
 ふたり分の小さな荷物をトランクに積みながら言う男に、慣れているらしい生美子は「はーい」と返事をする。
「ごはん、おいしいんだよ。祭りのときだと栗が時期なんだけど、今はまだないかな」
「へえ」
 男にうながされて、正義は先に後部座席に座る。それに続こうとした生美子が、頭を屈ませた瞬間、眉をひそめて後ろを振り返った。
「どうしたの?」
 正義が聞いても、首をかしげるだけで答えない。キョロキョロとあたりを見回してからもう一度首をかしげると、「気のせいだな」と笑って、車に乗り込んだ。
 民宿に着くと、ふたりは六畳くらいの畳部屋をそれぞれ与えられた。本当は生美子と父親で一部屋だったらしいのだけれど、絶対に同室にしないように、部屋と部屋は別の階にするようにと、生美子の父から電話で念押しをされたらしい。
「すみません、お手数をおかけして」
 正義がぺこりと頭を下げると、「いいわよいいわよ。全高会の疲れをゆっくり癒して行ってちょうだい。昨日、ばっちりテレビに映ってたわよ」と女将さんが笑っていた。
 食堂で一緒にご飯を食べると、正義は生美子の衣装直しに付き合うために、公民館についていく。
 一年に一度しかこの村を訪れないくせに、生美子はどこに行っても那須家のお嬢さんで通じるらしく、「まあ大きくなって」と誰にでも声をかけられる。
 そのたびに生美子は、「そんなに背ぇ伸びたかな。衣装直し、何時間かかるのかしら」と顔を青くさせていた。
 公民館を入ると、右手に管理人室、左手に下駄箱があった。靴箱ではなく、本当に下駄箱といった雰囲気だ。
 すのこの上で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて上がる。玄関の目の前にはトイレと給湯室があり、そこを右に曲がると十二畳の和室で、左に曲がるとフローリングの広間だった。
 広間には、まるで博物館の展示場のようにして、一枚一枚着物が飾られていた。桐の行李のなかから着物を包む紙がのぞいているから、普段はあそこに全部しまわれているのだろう。
 着物は全部で六枚あった。白く薄いものから、黄色や赤に刺繍の入っているものまで。
 年代物だというのが、色と柄からなんとなくわかった。正義の母親が着ているものとは、やはり雰囲気が違う。布のくせに、空気を吸って生きてきた、という感じがする。
「じゃあ、生美子さんはこっちにきて」
 エプロンをして待ちかまえていたのは、六十を過ぎていそうなおばあさんたちだった。
「はーい」と生美子が寄っていくと、七人のおばあさんたちが生美子を取り囲む。
「しばらく男の子は出てってね」
 そう言って、追い出された。これじゃあ、いったいなんのためについてきたんだか。
 外に出たところで出かけるあてはないから、どうしたものかととりあえずトイレに行って、それから正義は人の声を聞きつけて、管理室の向こうにある和室をのぞいた。
 そこではおじいさんが二人、暇そうな様子で将棋を打っている。行李を出すのを手伝わされた人たちだろうか。
 そのとき、部屋の隅で鈍く光っているものを正義は見つけた。ケースのなかに入って床の間に飾ってあるそれはまるで……。
「この刀は……」
 入り口から思わずなかに入って訊ねると、将棋盤に目をやっていたおじいさんのうち、向こう側にいるメガネをかけたほうが顔を上げる。
「それは天国丸ですが。祭りで村を一周して、最後に鶴富姫様のところに戻ってくる宝刀」
「那須家に伝わっている、あの?」
「何十年か前まではそうじゃったとですけどね。今じゃあ、役場の持ちものですが」
 正義は畳に膝をつくと、ガラス板をはさんでその刀を眺めた。(つば)にきれいな彫り物がしてある。鞘はくすんだ黒色をしているけれど、それだけ古い物だということだろう。
 正義は、全高会前にホテル内の料亭で見た、天羽々斬(あめのはばきり)のことを思い出していた。あれももう、博物館に戻されているはずだ。
「ちょっと聞きたいんですけど、母子(おもこ)川って、どのあたりにあるんですか?」
 訊ねると今度は、禿頭が振り返る。
「あっちやね」
 そう言って、民宿とは真逆を指した。
「役場の前の通りを突っ切るみたいに流れてるのが、母子川」
「ありがとうございます」
 礼を言って立ち上がり、正義は公民館を出た。役場なら、たぶん大きな通りに出れば案内板も出ているだろう。今のうちに下見しておくのも悪くはない。
 クリーニング店や金物屋のある通りを歩いていくと、田んぼの真ん中に役場は建っていた。二車線の道路から、少し小さな道に入ったところだ。
 緑の穂のなかに無機質な建物が建っているというのは、ひどく無粋なことのようにも思えたし、あの建物だけが別の世界から飛んできたようでくすぐったくもあった。
 その道路の向こうに、くすんだコンクリートの橋が見えた。田んぼと田んぼのあいだがきらきらと光っている。水面なのだ。
 横断歩道のない道路を走って横切って、正義はその川に向かった。〈母子川〉という雨風で汚れた看板が、橋の麓に掲げられていた。
〈椎原村に伝わる鶴富姫と那須大八郎の悲恋物語。
 源頼朝の命を受け、平家の落ち武者を追ってこの地にきた大八郎は、平将門の血を引く鶴富姫と恋に落ちます。
 ふたりは夫婦となり、大八郎はこの地に永住する決意をしますが、やがて頼朝に帰還するよう命ぜられ、鶴富姫が身ごもっていることを知りながら、泣く泣くこの地を去っていきます。
 女の子を授かった鶴富姫は、娘を抱いて大八郎と別れたこの場所を毎日訪れては涙をながした、その涙が川になったと伝えられています。〉
 涙という文字の、さんずいの一番上の点が剥がれ落ちている看板を読み終わると、正義は埃のつもった欄干から身を乗り出して川を見下ろした。
 涙にしては、ずいぶんと濁った川だった。岸もコンクリートで固められている。幅は、三メートルといったところだろうか。
 天国丸は確か、大八郎が鶴富姫と子供のために置いていった刀だったはずだ。
 流れがほとんどないように見える凪いだ川の上を、すいすいとアメンボが渡っている。
 正義がぼんやりとその様子を眺めていると、空気を切り裂くように、道路のほうから車のブレーキ音とクラクションが聞こえてきた。
 事故かっ?
 ハッとしてそっちを見た正義の目に、道路の真ん中で斜めにとまったタクシーと、くるくると舞うように道路を横切った少女の姿が映った。
 ふわりとしたスカートが、目に残る。
 あれは……?
 正義は目を細めた。だけど逆光も手伝って、少女の顔は見えない。逃げるように、建物の影に消えていってしまった。
                   












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