九 2
講演の終わりに、浦沢は自分がこれから一週間、自衛隊の竜駆除に同行することを発表した。会場はどよめき、そしてやっぱりかと納得する。
「十五年前を再び」
呪文のように力強く、会場全体を見据えながら浦沢は言った。
「十五年前を、再び」
隣に座っていた山口がつぶやくのが聞こえて、正義は驚いてそちらを見た。一瞬でも見逃したら損とでもいうように舞台に魅入っている山口は、自分が言葉を発したことに気づいていないようだった。
浦沢慎司は、いつか総理大臣になるだろう。
確信を持って、正義はそのときそう思った。これが本当の予言かと思うと、薄ら寒いくらいだ。
自分の口にしたことが実現するほど恐いものはない。これまで歴史を裏から支えてきた優秀な占い師たちは、きっと夜は歯をがたがた言わせて震えていたのだろう。
正義は前の席に座る芙美の頭を見下ろした。いくら魔法は科学だと言われても、やっぱり目の前の女子は占い師か霊媒師の仲間にしか思えなかった。
講演が終わると、浦沢は別室で記者会見を行った。朝入り口のところにいた報道陣が全部ひとつの部屋に集められていて、フラッシュがこれでもかというほどたかれる。
その様子を、正義たちはロビーにある巨大壁掛けテレビの前にたむろって見ていた。
堂々としている浦沢の隣には迷彩服を着ている自衛隊選抜メンバー・竜駆除隊隊長と竜の生息区域調査グループのリーダーだという男が座り、これからどのようにして竜の駆除を行っていくかを地図やデータを交えながら語った。
「浦沢党首っ。竜の巣も現れる場所やタイミングもわかっていない段階での駆除隊の出動は衆議院選を睨んでの時民党の人気取りではと言う意見もありますが、勝算はあるのでしょうか?」
記者からの質問に、浦沢は落ち着いた様子で答える。
「もちろん、すぐにというのは無茶でしょう。しかしこの十五年間、政府もなにもしてこなかったわけではありません。生息区域調査グループが気象レーダーなどを使ったり実地調査を行ったりしてきましたし、水原研究所にご協力いただいて、自衛隊でも竜専用の捕殺器具を開発してきました。勝算は十分にあると思います」
「十五年間幻であり続けた竜を発見するには、運も必要だと思われますが」
「ええ、そうでしょうね。だから私は、本堂に祈ろうと思います。実は昨日の夜、このことの報告もかねて墓前に花を供えに行ったのですが、自衛隊に同行させていただくあいだは毎朝、天国にいる彼に祈り続けようと思っています。十五年前に竜を退治できたのも、彼に運があったからでしょう」
本堂の実家は確か、若狭だったはずだ。党首になって記者会見に追われたその日の夜のうちに、若狭まで行ったのか。
正義はへえ、と思った。浦沢が未だに本堂のことを「人生で一番の親友」と言っているのは、あながち嘘でもないらしい。
「祈る、なんて、まるで神様ね」
横を見ると、テレビに目をやりながら腕組みをしている竹緒がいた。周りの人間としゃべりながら野次馬のようにテレビを見ているやつらとは違う目をしている。ジッと冷静に、観察しているような。
「昨日の夜にママから電話があって、そのときにおもしろい話を聞いたの。知ってる? 本堂雅臣の二十回忌に、彼の銅像のお披露目があるんだって。人間国宝の彫刻家がもう試作品を作り始めてるらしいわよ。で、道徳の教科書に載って、この人は英雄だあって子供のうちから洗脳するの。そのうち神社でもできて、祭り上げられるんじゃない? 初詣にはみんながお参りに行くってわけ」
「まさか」
正義は鼻で笑った。たかがでかい爬虫類を刺し殺しただけのことで神にまでなるだろうか。
「なるわよ」
まるでこちらの考えを見透かしたように竹緒は言った。
「だって、なったじゃない。あなたのご先祖様は。竜を殺して、神になったじゃない」
竹緒の、まるで上等な紅茶のような色をした大きな目が正義を捕らえる。その瞳に映った自分の顔が、人には気づかれない程度に強ばるのを正義は見た。
アナタノゴ先祖様ハ、神ニナッタ。
「それに比べたら私のご先祖様なんて、スサノオの姉であったがために取り上げられた人だもの。おこぼれに預かったようなものだわ」
らしくなく、自嘲するように竹緒は笑った。
今目の前にいるのは、出雲の博物館の裏山にある洞窟に閉じこめられて日の目を浴びるときを待っている、本物のミイラと血がつながっている人間。
ふいに手を伸ばして竹緒の腕を掴みポキッと折ったら、折れた腕は一瞬のうちに枯れてミイラに変わりそうな気がした。
両手を腰に当てると周りを見回し、不愉快そうに眉をゆがめて竹緒はため息をついた。
「みんないつまでこんなつまらない記者会見にかじり付いてるのかしら。私は帰るわ」
そう言うとローファーのヒールを威嚇するように鳴り散らしながら、竹緒は生徒たちの人混みを抜けて階段を降りていった。
「御神さん、帰ったの?」
少し離れたところから生徒たちをかき分けて、片桐が近づいてくる。
「昨日の夜からちょっと変らしくて、Aグループの人たちが気にしてるんだ」
「昨日の夜から?」
電話でおばちゃんになにか言われたのだろうか。
正義はあたりを見回した。珍しく竹緒に取り巻きがいないと思っていたが、固まってテレビのよく見える位置を陣取っているAグループのやつらが、不安げな顔をして竹緒の去ったほうを見やっていた。
「で、なんでAグループの内情を君は知ってるんだ?」
正義が顔を向けると、片桐は「おっ」という顔になって軽く身を引く。
「まさか、まだAグループに混じって朝食や夕食食べてるの?」
あきれ顔になる正義に、片桐は不満げな様子で顔を逸らした。
「べ、別にいいだろ。誰と仲良くなって一緒にご飯を食べるかは自由じゃないか。神宮寺君まで山口さんみたいなこと言わないでよ。スパイ活動はしてないんだからさ」
「そりゃまあ、そうだけど」
もともと片桐は全高会が始まったときから竹緒たちと仲が良くて、その仲良しグループから自分だけが外れてBグループにきてしまったのだ。そう考えると、気の毒なやつ、と思わないでもない。
「なんだよ」と訝しむ顔で片桐がこっちを向いた。思いのほかジッと見つめてしまっていたらしい。
「別に」と軽く言って、正義はテレビに目を向ける。右上でLIVEの文字がときおり思い出しように回転する記者会見はまだ続いていて、英雄の生き残りがにこにこと笑っていた。
××××××××××
テレビニュースでは毎日、高千穂にいる自衛隊の活動の様子が流れていた。
話題性を維持するために意図的に毎日流しているのだろうということはわざとらしいくらいにわかったけれど、あの浦沢慎司が作業着姿で迷彩服のなかに混じっているのはおもしろかったし、自衛隊員が機材を運んだりパソコンを数人で取り囲んでいる姿は、まるで怪獣ものの特殊映画かなにかのようだった。
「生美子、明後日の土曜は祭りの打ち合わせに椎原に行くからな。また背ぇ伸びただろ? 衣装直ししてもらわなきゃなあ」
ソファに座ってテレビを眺めている生美子に、テーブルの上でカメラの手入れをしながらうれしそうに父が言った。
「そんなに伸びてないから去年のままで大丈夫だよ。衣装直しすると時間がかかって面倒くさいんだもん。おばちゃんたちとしゃべんなきゃいけないし」
成長期だった去年は、衣装直しに五時間かかった。そのときのことを思い出して、生美子は身震いをする。
長時間マネキンのように立っているのはなかなかつらいものだ。制服のスカートの丈合わせとはわけが違う。おまけに平家祭りで着る衣装は十二単まではいかないものの何枚も色の違う着物を羽織らなくてはいけないから、衣装のサイズを直すなら全部直さなくてはいけなくなる。
村のおばちゃんたちがその場で糸を抜いて、ひと針ひと針縫い直すのだ。
この年になってお姫様ごっこはないよなあ。かといって、私以外に那須家に子供はいないし。
ため息をついて生美子が父から顔を背けると、テレビ画面から浦沢は消えて、どこかの上等そうな部屋で黒革のソファに座る水原所長が映し出されていた。
「だから、竜を殺すべきではないのですっ。絶対に生け捕りにすべきです! 本堂雅臣と浦沢慎司の失敗は、竜を殺してしまったことなのですから。十五年前、生け捕りにすべきだという私の意見を彼らは聞かず、早まって竜を殺してしまったっ」
興奮した様子でそう言い、目の前にある机を叩く。上に置かれている湯呑みが倒れそうだ。
机をはさんで水原と同じ型のソファに座り、渋い顔をしている男の顔は見たことがあった。清和党議員で防衛大臣の、鴨田だ。
「なぜクローンの竜が巨大化しないにもかかわらず、野生の竜だけあんなにも大きく育つのか。この謎を解明するためには、野生の竜を解剖するしかないのですっ」
最後のほうは声を荒げすぎてかすれていた。水原が前のめりになればなるほど、逃げるように鴨田は背もたれに身体を埋めていく。平行四辺形が倒れていくみたいだ、と生美子は思った。
「浦沢さんも、なんで自衛隊に同行したのかしら。そういうことはせめて巣がわかってからにするべきよね。これで竜も見つからなかったんじゃ、浦沢さんが失敗したみたいになっちゃうじゃない」
台所で夕食の準備をしていた母が、怒ったような口調で言った。
「現政権に恩を売ったのさ。彼は賢いよ。まあ、うろこの一枚くらいは拾って帰ってくるだろ」
鼻歌を歌いながら、父は一眼レフのレンズを磨いている。また山ほど写真を撮るつもりなのかしら、と生美子はげんなりした。
ソファの上で携帯がラブソングを歌う。襲いかかるように両手でそれを掴むと、生美子は飛び降りた。
「私、勉強してくるっ」
リビングを走って出ると階段を駆け上る。
「生美子、最近変じゃないか? 竹緒ちゃんと食事に行ってからか」
「彼氏でもできたんじゃないの?」
「なんだとっ」
かすかに聞こえてきた父と母の会話にイーッと歯を食いしばってキーッと強ばった両腕を上下に振ると、かすかに赤らんだ頬をぺしぺし叩いて自分の部屋に駆け込んだ。
逃げ込むようにベッドに飛び乗ると、枕を腰に当てて壁に寄りかかり、タオルケットを抱くように膝の上に乗せる。
携帯を開いた。うるさい心臓を黙らせながら、唇をキュッと結んでメールを読む。
『今日の朝きのうの課題の点数が出て、BグループがとうとうAグループを追い抜いたよ。と言っても、二点だけだけど。
今日の講師は元宇宙飛行士の森江さんだったよ。科学技術館に行って無重力空間の体験をしたんだけど、中継見た?』
「見た見た」
表情を緩ませると、生美子は携帯に向かって一生懸命うなずく。同い年の人たちがひとつの部屋の中で何人も宙に浮いてくるくる回転しているというのは、なんともシュールで不思議な光景だった。
『ところで、御神さんのことなんだけど』
その文を読んで、生美子は「ん?」と顔をしかめる。竹緒ちゃん?
『御神さん、ここ数日変なんだよね。イライラしてるっていうか。なにか聞いてない?』
生美子は壁に寄りかかって座り直した。携帯を顔から離して持つ。
「そう言えば片桐君って、竹緒ちゃんのことよく気にしてるよなあ」
まさかまさかまさか、竹緒ちゃんのことが好きなのかしら。そんなことになったら、あたしは竹緒ちゃんには絶対に敵わない。
携帯を握りしめてウンウンうなっていると、メール画面が消えて着信のメロディが鳴り出した。
「ちょっと、誰?」
不機嫌な声で文句をつける。電話をかけてきたのは正義らしい。
「もう」と唇をゆがませてから、仕方なく生美子は電話を取った。
「はい?」
「……なに怒ってるんだよ」
画面に、片眉を上げた正義の顔が映る。
「怒ってないよ、なにか用?」
やっぱり怒ってるじゃないか、と正義は愚痴るようにつぶやいた。
気を取り直すように、わざとらしく咳払いをする。
「生美子を女子のなかで一番の親友と見込んで話がある」
そんな勝手に見込まれても、と思ったけれど、幼なじみなのは事実だから「うん」相づちを打つ。
「もうすぐ平家祭りだよな。そろそろ打ち合わせしに、椎原に行くんじゃないの?」
「今度の土日にお父さんと行くけど……」
「それ、僕も一緒に行くから」
さらっと言って「そういうことでヨロシク」と電話を切ろうとする正義を、「ちょっと!」と生美子は止める。
「アンタ、自分がなに言ってるかわかってる? 椎原だよ椎原。高千穂から三十キロ圏内に入ってるんだよ。あたしとお父さんは役場から許可証がおりるけど、あんたはどうやって入るのよ」
「だから、そこを那須家の力でなんとかさ。じゃなきゃおまえに頼んでないよ。なんとかならない? お姫様」
その「お姫様」という発音に悪意を感じて、生美子は「なるかっ」と言い返した。
「どうしても来たいんならおじちゃんたちに頼んで許可証出してもらってよ。神宮寺財閥ならそのくらいできるでしょ」
うちみたいに家系図が長いだけの没落した家とはわけが違う。
すると正義が口をつぐんだ。言いたくなさそうに顔を背けて、ためらっているのか何度も眉をひそめる。
「……なによ」
神宮寺という家は、正義にとってコンプレックスではなかったはずだ。もしもそうだと知っていたら、こんなことを口にしたりはしない。
生美子があれこれ考えていると、意を決したように、正義が顔を上げた。
「お父さんたちには、言いたくないんだ。自分だけでやりたい」
やりたい?
「なにを?」
生美子が聞き返すと正義は口を結んだ。ああ、この人は真剣だ。そうわかって、それ以上聞くのをやめる。
「お父さんに、相談してみる」
そう言うと、正義はホッとした顔になった。
「ありがとう」
「うん」
電話を切ってしまったあと、生美子は片桐にメールを返すのも忘れてしばらくのあいだ考え込んでいた。
あたしがたまに那須の家を嫌いになることがあるように、正義も神宮寺の家を嫌いになることがあるのかもしれない。
でも、と生美子は思う。
あたしがこの家や両親や椎原をたまに、壊してめちゃくちゃにして踏んづけてやりたいくらいに嫌いになるのは、全部あの人が原因だ。もうひとりの那須生美子。
正義には、彼女がいない。それでも正義は、神宮寺を嫌いになることがあるのだろうか。壊れてしまえばいいのにと思うのだろうか。
山型に折った足を腕で抱えて、膝にあごを置いてぼんやりと考える。でも自分は正義ではないのだから、いくら考えてもそんなことわかるわけがないのだった。
「生美子っ。パパはちょっと話があるぞ」
階段を父が上ってくる足音が聞こえてきた。生美子はその体勢のまま、パタッとベッドに倒れ込む。
「うちにパパなんて人はいません」
ため息のように小さくそう言いながら、片桐への返信を打ち始めた。
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