COCOON―そして少年は英雄の屍に出会う―(11/18)PDFで表示縦書き表示RDF


COCOON―そして少年は英雄の屍に出会う―
作:斎籐拓夢



七 ウィークエンド3


「スサノオの片腕は必ず彼の姉の元に届けると、その友人は約束しました。阿礼はそれからも一座の花形として旅を続けて、大和で朝廷のお抱えになった。専属の踊り子です。そして母親に代わり彼女が座長になったころ、勅令を受けたんです。全国を回って、古事記の元になるような話、人物を探してくるようにと。そうして阿礼は何十年ぶりにその村を訪れて、驚いたんですよ、スサノオが生きていたから。それも、その土地一帯を納める最高権力者になっていた」
 正義は、悔しそうに目をしかめた日枝の横顔ながら思いを巡らせていた。この話を、どこまで信じる?
「それが、あの友人だった?」
 日枝はこちらを向いて、薄く笑った。
「そうです。彼は死んだ自分の友人の名誉どころか存在自体を横取りして、自分がその恩恵にあずかって、ずうずうしく生きていた。右腕をわざとらしく真っ黒に染めて。本物のスサノオの死体から切り取った右腕は家の中に隠して。弟の振りをして、姉のアマテラスに手紙まで出してた。そんな風にして自分の大切な人の存在が他人に侵されていったら、先輩は許せますか? 私だったら許せません」
 日枝はそこでいったん口を固く結んで、針を落としたような小さな雨跡ができては消える中庭を睨んだ。
「でもスサノオの名声は朝廷まで届いていて、彼を古事記からはずすことはできなかった。自分の大切な人の名前を語っている男の名声を上げる手伝いをするなんて、阿礼はどれだけ悔しかったでしょうか。自分の運命を呪ったでしょうか。この話を初めて聞いた子供のとき、私は阿礼を思って泣きました。そして、まんまとその男の子孫がスサノオの子孫として未だにまかり通り、しかも日本屈指の財閥として繁栄していることに怒りました。こんな嘘が、大ボラが許されていいのかと」
 ひゅうっと、一瞬強い風が吹いて、正義は目を瞑った。開けるとそこには、さっきまでとは違う日枝の顔がある。幼く、頼りなげで、居所を探しているような、不安げな顔。
「先輩はどう思いますか? この嘘を、許せますか?」
 それは正義の知っている、後輩の日枝だった。
 許せる? 許せない?
 この問いに、自分はなんと答えればいいのだろう。許せたらどうで、許せなかったら何なのだ。そんな僕の感情に意味があるのか? 僕が許せないと感じたら、世界が変わるのか。
 正義は目を落とした。視線の先には手に握るプリントがある。日枝の調査報告書だ。一番上には神宮寺正義様宛と書いてある。
 神宮寺(ゝゝゝ)正義。神宮寺(ゝゝゝ)……。
 正義は口を開いた。
「その質問に、僕は答えられないよ」
 自分の顔が歪んでいるのがわかった。日枝の表情が、冷めていく。知らない女子の顔に戻っていく。
「そう」
 プイッと、日枝が中庭を向く。正義はカバンを手に取った。
「話してくれてありがとう。それじゃ」
 バルコニーを出る瞬間ボソッと、日枝の棘のような声が聞こえた。
「大嫌い」
 それはたぶん、財閥とか一族とか関係なく、僕個人に向けられた言葉なのだろう。それが心臓にぶすりと突き刺さって、けれどわずかに嬉しかった。まだ痛いと感じられる。
 正義は階段を駆け下りた。後輩達に声をかけられたような気もするが、誰の声も耳に入ってこなかった。
 どうすればよかった?僕はなんと言った?誰を傷つけた?
 頭の中がぐわんぐわん言っていた。
 こういうときはああ言えばよかったのだ、テレビで何度も大人がそう言っているのを見たことがある。
 このたびは残念でした。大変遺憾です。(わたくし)どもの関知するところではございません――。
「……宮司っ。神宮寺!」
 腕を掴まれて、正義は我に返った。
 目の前に、丹羽の顔がある。
「おまえ、靴履かずにどこ行くんだ?」
 足下見るといつの間にか三和土(たたき)で、靴箱前のすのこを通りすぎて、もう少しで渡り廊下に出るところだった。丹羽が(かまち)の上にいる。
 黙ってすのこの上で靴下に付いた湿った砂利を払うと、靴を履いた。
「ていうか、なんでこっちにいるの? ホームシックになったなんて言わないよなあ」
 茶化すように丹羽が言ったけれど、正義はうつむくだけだった。
「ごめん。今は、おまえの顔見れないわ」
「はあ? なんだよそれ」
 不思議そうな丹羽の声を背に、正義は逃げるように体育館を去った。

 牧子さんが台所で晩ご飯を作っている。父と母はふたり仲良く休日出勤しているけれど、いつもよりも少し早く帰ってくるのだそうだ。
 正義はローテーブルの上で、信之とジェンガをしていた。スティック状の積み木が三本ずつ交互に重なっていて、それを交代で一本ずつ抜いていき一番上に重ねるというだけの、シンプルなゲームだ。
「いや、そこ抜いたら倒れるって。これがいいんじゃない?」
 むやみやたらに目に付いたスティックを抜こうとする信之に、正義は抜いても倒れない場所にあるスティックを教える。ゲームになっていないようだけれど、信之の場合抜くのも苦手だから、勝負になる。
「お兄ちゃんの番だよ」
 息を止めながらスティックを抜いていた信之が、顔を真っ赤にして言った。
「おっし」
 穴がぼこぼこ空いたスティックの塊を眺めて、正義は下のほうに指を伸ばした。
 ――この嘘が許せますか?と日枝は聞いた。もしも僕がもっと素直で、もしくは単純で、あるいは強ければ、僕は〈許せない〉と答えただろう。
 僕だって(いか)ったのだ。こんな嘘つきやがってと、偽スサノオを殴りたい衝動に駆られた。こんなやつのせいで負い目を感じたり余計なことを考えたりするはめになったのだ、だったら生まれたときから一般庶民のほうが数倍良かった。
 そのために主将になれなかったり、全高会に選ばれなかったとしても。
 ……だからといって、それを日枝に言ってどうなる? 手を取り合って仲良く和解するか? それとも日枝家にある古文書を証拠としてかき集めてきて、これが証拠です、スサノオは偽物でした、ごめんなさい、と謝るか?
 正義は人差し指でスティックを向こう側に押した。もっと強く、グッと押す。
 でも謝って、どうなるというのだろう。きっと歴史には、こんな嘘がごろごろしているのだ。偽物だって山ほどいるのだ。
 でも〈現在(いま)〉がその嘘と偽物が積み重なったところの頂点にあるのだとしたら、下にあるひとつをくり抜けばそれは音を立てて崩れ落ちるだろう。ちょうどこんなふうに。
 正義が抜き取られる寸前だったスティックをわずかに上下させると、タワーが傾いて崩壊した。
「やったー! 僕の勝ちっ」
 信之が台所に「牧子さん、勝ったよー」と駆け寄っていき、牧子さんは「よかったですねえ」と返すのを、正義は黙って聞いていた。目はスティックの山から離れなかった。
 信之がぺたぺたと走りながら戻ってくる。正義の隣でとまる。一瞬の間があり、不思議そうな声が聞こえた。
「お兄ちゃん、泣いてるの?」
 正義は膝を抱え顔を埋めると、首を振った。テレビからは英雄伝説(レジェンド・オブ・ヒーロー)のOP曲が聞こえてきていた。

 ××××××××××

 翌日目覚めたとき、正義は何か変な感じがした。胸騒ぎとでも言うのだろうか、落ち着かない感じだ。窓の外がこちらでも珍しいくらいの、台風並みの豪雨だからだったかもしれない。
「すごいわね。浸水するんじゃないかしら」
 カーテンから外を眺めて、母が言った。今日は仕事に行く予定がないらしく、すっぴんだ。
「関東だけじゃないぞ、中国地方と北海道、九州も酷いな。要するに、いつも雨が降っているところがよけいに雨だ」
 ソファに座って、父はニュースを食い入るように見ていた。テレビではレポーターが雨の音に負けないよう大声を張り上げて、この様子を伝えている。
 中継先は大分県のはずれにある町で、どこかの小さいビルの屋上らしい。もともとは三階建てくらいだけれど、今は一階部分が浸水して二階建てになっているタイプのビルだ。
 レポーターは柵ギリギリのところに立ってしゃべっていて、カメラはその建物の周りを映し出した。海の中からにょきにょきとビルだけが生えている水没した町の景色がそこにあったけれど、これは正義が物心ついたときから見慣れているからたいした驚嘆も感じない。
「昨日まではあの窓の下枠のところに水があったのですがっ、昨夜からの大雨で水位が上昇しまして、今は上枠のところまで来ています!」と、リポーターは隣のビルの外壁を指して、水位が三十五センチ上がったことを必死で伝えようとしているが、正義はもともと洪水なのに何を今さらという感じにしかならなかった。
「ねえ、見て見て。王冠って言うの? 雨が水面に落ちたときの跳ね返りがすごいわよ。よっぽど大粒の雨なのね」
 母が手招きをするが父はちらりともそちらに目を向けず、「日本の天気が昔どおり平等なら、今頃こんな雨は小雨だよなあ」と遠い目をしてつぶやいている。不満げな母はおいでおいでと強引に信之を窓際に呼んだ。
 ダイニングテーブルで遅い朝食をぽけーっとつまみながらそんな様子を眺めていた正義は、隣の椅子の上で携帯が震えだしたことに気づいて手に取った。
 ……知らない携帯の番号だ。でも通話オンリーではなくテレビ電話でかけてきているということは、イタ電ではないか。
 テーブルの上に携帯を置くと、ボタンを押した。
「はい?」
 液晶画面に映し出されたのは、日枝の顔だった。昨日の今日だ、不意打ちに驚いて、正義は目を泳がせる。
「……日曜日にすみません。渡辺先輩から、先輩の携帯番号聞きました」
 思い詰めたような表情の日枝は、空手部女子リーダーの名前を挙げた。
「先輩、今、ニュース見てます?」
「見てるっていうか、ついてるけど」
 正義はテレビに目を向ける。雨に打ち付けられて、リポーターの傘は重そうだ。
「何チャンですか?」
 チャンネルまで聞いてきた日枝に、正義は怪訝な顔をした。まったく、変なやつだ。いや、知っていたけど。
「ケーブルの……、何チャンだろう?」
 正義は目を細めたけれど、テレビが遠くて右上に移っている数字が読めない。
「1チャンでもニュースやってるんです。大雨のニュースです」
 そこで言い淀みうつむくと、日枝は「出雲が映ってます」と小さく言った。
「スサノオ博物館の裏手にある山が少し、土砂で崩れたそうです」
「えっ、そうなの?」
 そのとき、父の携帯が鳴った。この着信音は仕事用のやつだ。母がピクッと反応する。
「もしもし? ……ああ、どうした? ……ん? 博物館の裏の山? それで、怪我人は?」
 携帯を耳に当てて立ち上がる父から目をそらすと、正義は画面の中の日枝と向き合う。
「それを伝えに、わざわざ電話をくれたの?」
 まさかそんなことはないだろう。偽スサノオのための博物館がどうなったって、日枝には関係がないはずだ。
「先輩、博物館の裏の山に、洞窟があるの知ってますか? 中に小さな祠があるんですけど」
「いや、知らないなあ」
 博物館には何度も行っているけれど、裏の山なんて入ったこともない。
「土砂崩れがあったの、そこの近くなんです。もしかしたら、その洞窟も崩れてるかもしれない」
 日枝は下唇を噛んだ。
「洞窟が、何?」
 正義はわずかに眉をしかめる。朝起きたときの胸騒ぎが蘇ってくる。すぐ後ろに底が見えない崖があることに気付けていないような。
「うちの古文書を信じればの話ですけど……。あの洞窟の奥には、本物のスサノオの遺体が眠っているはずです」
「本物の……?」
 正義は、心臓がピクンッと痛みを伴って跳ねるのを感じた。ああだめだ、と思った。もうだめだ。証拠が出てきたら、逃げられない。逃げられない? どこから? 何から?
 とにかく、証拠はだめだ。積み木のタワーが、財閥が、僕の未来が崩れる。
 正義は喉がカラカラになっていることに気づいて、唾を呑んだ。そしてはたと思い当たる。
「なんでおまえがそんなこと、僕に教えるんだよ」
 画面の中で日枝が薄く笑った。
「悪党面になってますよ、神宮寺先輩」
 正義は慌てて顔の筋肉を緩める。眉間を触って、皺を伸ばした。
「結局のところ弱虫なんです、私」
 意味のわからないことを日枝は言った。
「だって私、偽物のスサノオの子孫が繁栄してる世界しか知らないんだもん。しかもあっちを見てもこっちを見ても、日本中が神宮寺財閥系列の会社ばっかりで、嫌になる。でも私が何かしたりしなかったりしたせいでいっぺんに世界が崩れたりしたら恐いんですよ。日本史がちゃちゃっと書きかえられるとか、神宮寺一族がそのまま本物のスサノオの子孫に入れ替わるとかならいいけど、そんなわけには行かないんだもの。動くものが大きすぎて、私は小さすぎて、取り込まれないように虚勢を張って怯えてるだけです」
 日枝は悔しそうに顔を歪めた。自分の、いや神宮寺一族の巨大さの勝利だとほくそ笑むべきかと思ったけれど、正義はそれをやめた。そうしている自分を想像した瞬間、その後ろに偽スサノオの幻像が見えたからだ。勝ち誇った、嫌らしい男の姿が。
「ありがとう」
 正義が言うと、日枝が今にも泣きそうな顔で「いえ」と応えた。
「とにかく、先輩も今すぐ1チャンに変えてください。それから出雲にいる信用できる人に連絡して、洞窟が崩れてないか確認してもらってください」
 正義はテレビに目をやった。父と母、それから信之がいつの間にかテレビの前に集まって、食い入るように眺めている。
「……日枝、チャンネル変えるの無理だわ」
 顔をテレビに向けたまま正義は言った。「は?」とか「え?」とかいう、訝しむ声が耳に届いたけれど、そちらを見ようとは思わない。
「ていうか、おまえがチャンネル変えろよ」
 携帯を掴むと、正義はずかずかと歩いていく。父と母の間から、カメラのレンズをテレビに向けた。
「うっそお!」
 女子高生らしい、と言ったら怒られるだろうか、すっとんきょうな声が携帯から聞こえる。
 テレビ画面には、その一面に堂々たる竜の姿が映し出されていた。バックに二重になった淡い虹を背負っている。どこかの研究所が作ったクローンとはわけが違う、数十メートル、いや、百メートル以上ありそうな竜だ。
 深い樹林を連想させるうろこは雨上がりの日射しを反射して鏡のようにきらめき、長い髭は生きているようにうねる。黄金色に輝く目には歴史をも射抜く力があり、剥かれた牙に吸い込まれそうだった。
「竜です! 竜です!」と、尻もちをついたリポーターが九官鳥のように繰り返している。穏やかな淡水の海に影を映しながら、竜は途切れ目からわずかに日射しが漏れている厚い雨雲の下を飛んでいた。
 見ればわかるって、と思いつつ、正義はハハッと笑った。
「すげえ」
 圧倒されてそれだけしか声に出ないところが、すげえのだ。   












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