ディグノシス(8/19)PDFで表示縦書き表示RDF


ディグノシス
作:沙堂 瑠々亞



♯05


 教室の一番後ろから、私は教室という 切り離され孤立した一空間を見回す。
 放課後の今、一空間は様々な声が飛び交っていた。
 総合で勝った方が吟だこゴチな。お疲れ。部活頑張ってね。地学今回いい線いくかも。
 三日前に受けて、返ってきた試験の答案を交換し合う者、
 帰りの挨拶もそこそこに 部活の支度をする者、
 採点が終わらず返ってこなかった教科の点数に対して、自信を口にする者……。
 傍観者になればいい。死者のように、創造主のように、俯瞰していればいい。
 そうすれば私は何も考えなくて済むから。思考も闇に沈み込ませてしまえるから。
 いつものように私は周りに帰りの挨拶をする。
 いつものように周りは私に挨拶を返してくる。
 ただ ひとりだけ。この間と同じく、ある男子生徒だけが怪訝な顔で此方を見ていた。


 ディグノシス   ♯05


「あっ。お久しぶりです」
 生徒玄関に続く廊下を歩く途中で、呼び止められた。委員会で顔を合わせている後輩だった。
 何でもないことをニ、三話す。これから部活だと言うと、後輩も自身の所属する部の近況を喋り始めた。
「再来週に公演があるんですよぉ。コメディの創作劇で。
 同じ一年の子が主役取って。ちょっとそれはないよなって思うんですけどね……」
 却って親しい人間には言わないであろうことまで、言葉の端から洩れていた。
 挨拶をして別れる。たどり着いた生徒玄関は、電気もついておらず、西日が入らないせいで薄暗かった。
 靴箱を取り出そうとして、もうひとり横で同じ動作をしている影に気が付いた。
 誰かと思えば、先ほど怪訝な顔で此方を見ていた男子だ。
 私が後輩と話をしているうちに、いつのまにか支度を済ませて教室を出ていたらしい。
 相手が此方の姿に気付く。部活かと声を掛けられたので、そっちは直で帰りなのかと適当に繋げた。
「今日の体育、女子はミギが代理だったんだって。ねちっこかっただろ」
 会話をしてみると、この生徒が誰に対しても平等の態度を取っていることに感心する。
 偽善的な振る舞いではない。――あるいは、それを感じさせないほどの演技者か、何も考えていないか。
「そうだ、参考にいいか? 亀煎餅と歌舞伎揚げ煎餅ってどっちがいいと思う」
 ……でなければこんな突拍子もない質問はしてこないだろう。
 いつものように茶化してみせると、面白い返答をしてくるものだから、つられて笑ってしまった。
 相手が言い出したのは、別段変わりなく問いかけた会話の延長だった。

「――なあ、それよりどうしたんだ、そいつ」 

 意図のない言葉だ。
 もし、これが折を見計らって計算で訊いてきたのだとしたら――相手は大層頭の切れる人物、ということになる。
 そうでなければ、私はこんな確信を突かれた表情を見せやしない。

 ……え? 

 余裕なく聞き返した此方に、生徒は違う方向を見て言った。
「だから、隣にいる奴。弟か? …にしては、似てないし」
 思えばその生徒は、私と会話するとき、いつも目があらぬ方向に向いていた。
 何かを凝視し続けている、というべきだろうか。

 ……なにを、見ている?

 平静を装ったつもりだったが、背中で嫌な汗がつつ、と垂れていくのが分かった。
 生徒はもう一度私の隣に視線を合わせるが、此方に戻す。
「なんか周りの奴も気にしてないから、いいんだけどさ。 これから部活なんだろ。行ってスーパーテクでも見せてやれよ。じゃあな」
 生徒の目線に居たもの。
 喪服の如き黒衣の正装。髪も目も黒いのに、反して肌は病的なまでに白い少年。
 傍らに居て、此方をいつも見下げる存在。
 「彼」は生徒玄関を出ていった生徒の後ろ姿をじっと見ながら、不敵な笑みを浮かべた。
「接触してきたか。妙な手を使ってくるものだな……あれの主は。」
 力を込めてしまえば折れてしまいそうな体躯は、遠くから見ると、全身を黒ずくめにした鳥に思えた。
 不吉だと忌み嫌われながらも、空を翔る姿は気高く、獰猛で、鋭く抉ってくる――漆黒の鳥。
「主の意見を聞かなければ不可ないな。汚穢に塗れた罪科の我が主、あんたは如何したい。」
 彼は私に触れる。体温を感じない指先が、耳から頬、首筋をなぞっていった。
 希ならある。どんな形であってもいい、空虚からの解放。
 絶望。嫉妬。欲望、怠惰、嘆息、悲観、自虐――数え切れない昏き思考からの 脱却。
 白黒の世界に億千万の色が塗られたように、窓を開けた途端光芒が広がるように、
 私の世界は開けていったのだ。
 ――目の前の 扇動する黒だけを、いっそう際立たせて。












ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




BACK | TOP | NEXT


小説家になろう