第五章 五日目−永い夜・其の二−
冷たい風を受けて走る新吉の耳に、犬の遠吠えが届く。
すべてが露呈し、呆然自失となった小太郎は今、どこにいる?
立ち上がろうとしない小太郎を置いてきた場所に到着した新吉は、あたりを見回す。しかし、小太郎の姿はおろか、仲間を求めて鳴いているはずの野犬の姿すら見当たらない。
首に縄をつけてでも、山城屋の寮に連れていくべきだった――新吉は、小さく舌打ちをする。
平沼は仕留めたものの、恐らく、お小夜はまだ生きている。風魔から追われていた時はおみつの成長を支えに生きていたのだろうが、今は、寄りどころのない心を、風魔に……お小夜に奪われかねないのだ。
(冗談じゃない)
背中に傷を負ったおみつはもちろんのこと、新吉にも、小太郎に訊かなければならないことが残っているのだ。
このまま、自分らの敵に回られてたまるか。
……しかし。
小太郎を捜しまわる新吉の足が、止まる。
風魔一族はもともと、ご政道の敵。
小さなころから父に、そして天膳にそう叩き込まれて育った。
だからこそ新吉は、おみつが風魔の血を引いているとわかったとき、彼女を心から追いだしたのだ。
なのに、おみつが風魔に行くと決めて目の前から去って行った時には小太郎の裏切りに逆上し、今もこうして、おみつのために小太郎を捜しまわる。
(俺は一体……何がしたいんだ)
矛盾だらけの自身の行動に苦笑いするしかない新吉の前方で、枯れ葉を踏みしめる音が不規則に聞こえる。
とっさに身構えた新吉の目の前で、何者かが倒れ込むのが見えた。
小太郎か――そう思った新吉が駆け寄り、抱き起こす。
「おい! 大丈夫か!?」
「……新吉、か」
「親父?」
声を聞いて新吉は驚く。源三や康太とともにいたはずの父、軍太夫がなぜ、ここにいる!?
「何があったんだ、おい!!」
力なくもたれかかってくる軍太夫に、新吉は問うた。
「おみつは……どうした?」
「おみつ?」
思いがけない名前が父の口から出たことに驚く。
「ああ。山城屋の寮で別れたきりなんだが……」
「背中に深手は負ってるが、命に別状はない」
「背中に深手?」
心配そうに、軍太夫が問うて来る。
「ああ」
短く答えながらも、新吉は意外な思いで軍太夫を支えていた。
何度もおみつを殺そうとした軍太夫が、今、その身を案じていようとは――。
「私は……何も見えていなかったのだな」
独り言のように、軍太夫が語りだす。
「今まで上様のため、御政道のためを思い、御庭番としての任務を遂行してきたつもりだったが……。大切なものを、見過ごしていたのだろうな」
「親父にも、そんな感情があったんだな。とうに捨てたと思っていたのに」
憎まれ口を叩く新吉に、軍太夫が鼻で笑ったのがわかった。
「おみつが……思い出させてくれたのかもしれん」
「おみつが?」
吐く息とともに、軍太夫がうなずく。
「自身が風魔の血を引くことがわかっても、おみつはまず、世話になった人たちへの義理を忘れなかった」
そう切り出したのち、軍太夫は山城屋の寮で出会った時のことを話しだす。
そして母、お小夜を斬ろうとした時のことも。
「その姿を見たとき、私は、一番大切なものが何なのか……教えられた気がした」
軍太夫が言葉を切ったとき、新吉の脳裏に、京香をかばうようにして倒れていたおみつの姿が浮かんだ。
どのような状況で深手を負ったかは知らぬが、あの姿がきっと、おみつの出した答えなのだろう。
小太郎、お小夜。軍太夫に新吉。「おみつ」という接点で繋がっていながら、敵対する家族へ対しての――。
「お前は……どうする?」
「は?」
突然の軍太夫の問いに、新吉が横顔を覗き込む。
「おみつのことだ。あいつ自身はこの事件が終わったら、我々の前から姿を消すつもりでいる。だが、風魔がおみつに狙いをつけている以上、どこへもやるわけにはいかん。だが……」
軍太夫はもちろんのこと、新吉自身も公儀のお役目を預かっている身だ。
幕府と敵対する風魔の血を引くものを置いている以上、どこから火の粉が降りかかるかわからない。
かと言って、おみつが風魔に捕らわれ、今回の京香のようなことがあった場合には、今度こそ彼女を亡きものにしなければならない――恐らく、父も今同じことを考えているだろう。
「俺らはともかく、康太や先生、そして姐さんは……あいつを斬れねぇよ」
いや、彼らだけではない。新吉自身も、おみつを斬れと言われてそうできるかは自信がない。
「……だろうな」
軍太夫がつぶやく。
その直後。
新吉の耳に、複数の足音が聞こえた。
軍太夫が、新吉の手を振り払い、力を振り絞って立ち上がる。
「……来たか」
「何がだ?」
「お小夜を仕留め損ねたのでな、風魔が追手を差し向けているのだ」
胸元から薬のようなものを取り出し、軍太夫が飲み下す。
「今の親父一人じゃ手に負えないだろ。助勢するぜ」
「足手まといにはなるなよ」
目があった瞬間、微笑みを交わした二人の周りを、忍びたちが取り囲んだ――。 |