第五章 五日目−悪夢・其の二−
源三と別れたおみつは、注意深く辺りを見回し、竹で作った垣根を越えた。
綺麗に整えられた庭には、幸いにも見張りの手はなく、あっさりと外へ出ることができた。
しかし、安心はできない。こうしている間にも、源三が風魔に操られている京香と対峙しているのかもしれないのだから。
「そこで何をしている!」
康太と軍太夫の姿を捜すおみつの背後から、声がした。
おみつの身体がこわばり、源三からもらった短刀に思わず手が伸びる。
ゆっくり振り返ると、長い棒をもった捕方らしき男が二人、おみつに向かって歩いてくるのが見えた。
康太と父に会うために、どう切り抜ければいい? おみつは、近づく彼らを見ながら必死に考える。
「ここは今、出入り禁止の場所だ。なのになぜ」
「私……ここから逃げ出してきたんです。えらいお侍さんに、外に出れば小石川養生所の先生と、上様おつきの人がいるからって言われて」
尋問せんとする捕方の言葉を遮って、おみつは訴えた。
「えらいお人、というと?」
「お名前は聞かなかったけれど、とても背の高い人です。そのお二人のところに行けば、もう安心だよ、って」
訝しげに見る二人から目をそらし、両手を胸の前で組む。
「……そうか。よく逃げ出してこれたな。さ、こっちへ来なさい」
うつむいたまま、捕方の後をついて歩きだす。
「待たれよ」
背後からまた、声がする。
「林様」
捕方の言葉に、おみつの足が止まった。正体がばれぬよう、深く頭を下げる。
「その娘は何者ですか?」
「清水様に助けられ、逃げ出したもののようです。林様と康太殿のところに行けば安心だと教えられたとか」
「承知しました。私が責任を持って康太殿のところへ送り届けましょう」
軍太夫の言葉に、二人が身をひるがえして先ほどの場所へ戻っていく。
「顔を上げろ、おみつ」
彼らの足音が聞こえなくなるのを確認して、軍太夫が声をかけてきた。
やはり、ばれていたのか――おみつは、唇をかんで軍太夫を見据えた。
しかし、兄、新吉と同様、父もおみつを見つめてはくれない。
「なぜ、お前がここにいる?」
「早く康太さんの所に連れてって。このままだと、京香さんが風魔に利用される」
「何!?」
おみつは、源三から聞いたことのすべてを軍太夫に打ち明ける。
そして。
「私はただ、お姐さんを先生や兄さんの所に帰してあげたい。だからここにいるの」
軍太夫が初めて、おみつを見た。
「いいのか? 京香殿を取り戻すということは、小太郎殿やお小夜と決別することを意味しているのだぞ」
「構わないよ。私が風魔にいる意味なんてどこにもない」
母のみならず、祖父も自分を裏切っていた。
改めて思う。
自分らの野望を達成するためなら、家族ですら犠牲にしようという忍びの世界など……大嫌いだ。
「そうか。なら私はもう何も言わん。京香殿を救い出し、この事件が解決したらどこへでも行くといい」
忍びの掟に従い、娘であるおみつの命を狙っていた父に言われるまでもない。
京香を無事に源三らのもとに帰したら、皆の前から姿を消す。
すでに源三に見抜かれてはいるが、自らの決意をもう一度反芻し、うなずく。
親子の間の張りつめた空気を断ち切るような足音が聞こえた。
「林さん! ……おみっちゃんも。どうしたんだ? 一体」
おみつの姿を認めた康太が、驚きの表情を浮かべる。
「康太殿、いかがされた?」
「あっと……。中で動きがあったみたいだ。女性の悲鳴が」
(……お姐さん!)
康太が言い終わらぬうちに、おみつは駆けだす。
「おみっちゃん!」
「急いで! このままだと……お姐さんと先生が!」
康太らの返事を待たずに、おみつは竹垣を飛び越える。
同時に、呼子笛の音が辺りに鳴り響く。
「何者だ!」
その音に反応したのか、建物を取り囲む浪人衆が、おみつの姿を認めた。
短刀を構えるおみつの横に、康太と軍太夫も到着して身構える。
「おみっちゃん。絶対、みんなで京香を連れ帰ろうな」
風魔の企みを軍太夫から聞いたのか、康太がおみつに耳打ちする。
京香がいなくなってからずっと、家族にすら裏切られていた自分を支えてくれていたのは、康太だった。
風魔の末裔であると聞かされてからも変わることなく、勇気づけて励ましてくれていた。
そんな康太の言葉に応えたい。でも。
(ありがとう康太さん。私は……)
康太の言葉にうなずくことなく、おみつは浪人衆の中へと斬り込んでいった――。 |