第一章 一日目−疑念−
「菊池小太郎?」
問い返した源三に、少女は勢いよくうなずいた。
菊池小太郎、といえば確か、紀州では一、二を争うほどの忍び。将軍吉宗が江戸に来るときも、公儀筆頭御庭番を確実視されていたが、孫を育てるためという理由で突然隠居したと聞いている。
「君は、菊池殿の孫娘なのか?」
「うん。名前はおみつ。大きな声では言えないけど、公儀筆頭御庭番、林軍太夫の娘なんだ」
「軍太夫殿の?」
そう問いながらも、源三の頭には釈然としないものが残った。というのも、軍太夫の子は男子三人だけだと、父天膳が軍太夫本人から聞いているはずだ。
第一、十年前からともに修行をし、行動している新吉も『妹がいる』とは一言も言っていない。
かといって、この少女、おみつが嘘をついているとも思えない。
「お侍さん、じいちゃんと父さんのこと、知ってるんだね」
身を乗り出して訊いてくるおみつに気圧されながらも、源三はうなずいた。
「ああ。俺は、元・紀伊和歌山藩江戸屋敷城代家老、清水天膳の次男で、源三という」
「清水……様」
「今はすぐ近くの建物で剣術の指南と、近所の子供たちに読み書きを教えている。先生と呼んでくれて構わんよ」
「じゃあ先生、じいちゃんの行き先を知ってる?」
期待に目を輝かせて訊ねるおみつには悪いが、源三は首を横に振った。
「……そうだよね。そんな簡単に見つかるはずはないよね」
落胆を隠さずに、おみつはうつむいた。
「おみつ。菊池殿は、本当この江戸に来たのか?」
「うん。間違いないよ。じいちゃんが紀州を出る少し前から、変な男がよく家に来てたんだけど、そいつが頻繁に『江戸』って言ってたもの」
「変な男?」
「そう。深い編笠をかぶった、ここに大きなあざのある男」
自分の頬を指し示すおみつを見た源三の脳裏に、昨夜の出来事がひらめいた。
確か、天膳が京香や新吉とともに辻斬り捜しに乗り出したとき、彼らの前に現れた男の頬には確か、大きな火傷のような跡があったはず。
まさか、その辻斬りと小太郎の間に、何らかの関係があるというのだろうか?
だとしたら今晩、第二のおとり計画を実行するとき、小太郎も現場に駆けつけてくるやもしれない。
「先生? どうしたの?」
自分に対する警戒心を解いたのか、おみつが、源三の顔の前に手をかざして訊ねてくる。
「いや別に。ところでおみつ、家はどこだ? 送って行ってやろう」
突然、おみつが黙りこくった。何やら、家に帰りたくない雰囲気のようだが。
「どうした?」
「先生、お願い! 私をこの家に置いてくれないかな?」
「何!?」
突然の申し出に目を見開いて言葉を返すが、おみつの表情は真剣そのものだ。
「実は私……。黙って家を出てきたの。兄さんにばれたら、今度こそ紀州に帰されちゃう」
おみつの話によると、三日前に一番下の兄を頼って江戸へ出てきたものの、再会した兄は、彼女を早速家に閉じ込めて、話も聞いてくれないというのだ。
(新吉のやつ……。いったい何のつもりでこんなことを)
「なぜ閉じこめられるのか、心当たりはないのか?」
「私、小さい頃に上の兄さんにいじめられてたから、そのせいじゃないかとは思うんだけど……」
不満そうな表情で、おみつは言葉を切った。
「でも、今の君はあの頃の君ではない、それは俺が保証するよ」
「本当!?」
顔を輝かせたおみつに、源三は確信を持ってうなずいた。きっちり修行を積めば、花ぐるまの一員としてやっていけるだけの素質は持っている。
いくら幼い頃に兄にいじめられていたとしても、それくらいのことを見抜けぬ軍太夫ではないはずだ。どうも、この親子に関しては腑に落ちないことが多い。
「……いいだろう。ただし、二つばかり条件がある」
源三の言葉を聞いたおみつの顔に、緊張の色が浮かんだ。
「条件、って?」
「まずは、俺がいないときに寺子屋の生徒の面倒を見ること。読み書きは教えなくてもかまわんから、遊び相手になってやってくれ。そしてもうひとつは」
「先生、いらっしゃいます?」
もうひとつの条件を言いかけたとき、京香の声が障子越しに源三を呼んだ。
顔がさっとこわばったおみつに目配せをして、源三は玄関先へと立つ。
「どうした、京香。忘れ物か?」
「いえ、新さんに頼まれて人を捜しているんです。おみつって名の少女、知りませんか?」
新吉の手配せの早さに少々辟易としながらも、源三は、この場をどう切り抜けるかを考え始めた。 |