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花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜
作:笠原綾乃



第五章 五日目−知られざる想い・其の三−


 京香のひとことが、おみつを支えていた――その事実が、源三の心を強く励ます。

 必ず、彼女を生きてこちらに取り戻さねば。そして、おみつと笑顔で再会させなければならない。

「先生」

 頬に落ちる涙を乱暴に拭って、おみつがほほえむ。

「心配しないで。必ず、お姐さんは私が取り戻すからね」

 すべてを吹っ切ったような口調が気にかかった源三は、思わず口にする。

「京香を取り戻し、帰るのなら、そなたも一緒であろう?」

 おみつの視線が、かすかに泳ぐ。やはり彼女は、死を覚悟している。

「……私が生きてたって、喜ぶ人なんかいないよ。父さんだって、……兄さんだって」

「馬鹿を言え。京香が戻った時そなたがいなければ、俺は彼女に何を言われるかわからぬ。康太にも……口をきいてもらえなくなるだろう。俺は一生、そなたを恨んで生きていかねばならぬが、それでもよいのか?」

 彼女の気持ちを少しでもほぐそうと、源三は回りくどく、おみつを必要としていることを話す。

「……でも」

「京香の言葉を真似て言わせてもらえば、風魔であろうとなかろうと、今のおみつのままでいてくれれば、それでいい」

 そう。それでいい。

 京香が命がけで守らんとした、真っ直ぐで明るいおみつのままでいてくれたら。

 京香がいなくなって以来、胸の奥底でくすぶり続けていたわだかまりが、ようやく溶けていくのを源三は感じた。

「ありがとう……先生」

 なごやかな空気が室内を包んだその時、こちらに近づく足音が複数聞こえた。

「……来たな」

 表情を引き締め、おみつもうなずく。

「お姐さんは、来てないね」

 源三も同じことを思っていた。

 男の足音が、二、三人分。

 恐らく、おみつがここへ来た目的を知って、利用せんと打ち合わせでもしていたのだろう。

「何か持っているか?」

 おみつは小さく首を振る。

 源三は、胸元に忍ばせておいた短刀を、おみつに手渡した。

 提灯の明かりを消して長身を抜き、刃を返す。峰打ちの態勢だ。

 足音がとまる。

 同時に、襖をはさんで二人は身構えた。

 襖が動き、人影が中へ入る。

 男の肩をめがけて振り下ろした刃は乾いた音を立てて命中し、一人がくず折れた。

 動揺したもう一人の男の足をおみつが引っ掛ける。

 勢いよく倒れこんだ男の背中に乗って上半身を無理やり起こし、源三が訊ねる。

「平沼が連れてきた女性がいるはずだ。彼女はどこだ?」

 髪の毛を無造作に結った男は、答えない。

「言わないと、これがあんたの喉元に突き刺さることになるよ」

 切っ先を男の喉にあてがい、おみつが低い声で続ける。

 源三も、奴の首を締めあげた。

「ま、待て……話す。平沼様が連れて来た女は、宴の席へ……」

 宴の席――奴は、京香を使って幕閣の要職にある飯沼らの命を狙っているのか?

 後ろから首の付け根に当て身をくらわせ、源三は立ち上がる。

「先生。宴って何? 奴ら、何を企んでるの?」

 おみつの不安そうな眼差しが、源三を見据える。

 ついに、きたか。

 風魔に操られている京香と、対峙する時が。

 源三は手短に、今夜ここへ来た理由を告げる。

「兄さんも、山城屋で同じこと言ってた。まさか、あいつらはそのためにお姐さんを?」

 目をそらさずに、源三はうなずく。

 おみつの表情が一気にこわばった。

 じっと一点を見つめ、何かを断ち切るようにきつく目を閉じると、しぼりだすようにつぶやく。

「…………許せない」

「行くぞ、おみつ。俺たちの手で必ず、この企みを阻止するのだ」

 強くうなずいたおみつとともに、源三は、半開きだった襖を勢いよく開け放った。


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次回更新は5月28日〜6月1日の間を予定しています。
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