花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜(77/87)PDFで表示縦書き表示RDF


花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜
作:笠原綾乃



第五章 五日目−知られざる想い・其の一−


 平沼と小太郎、そしてお小夜は、山城屋の寮へと向かっている――少年から話を聞いた瞬間、新吉はそう確信した。

 昨日、山城屋の屋根裏で聞いた『幕閣を揺るがす余興』。詳細はまだわからないが、とてつもなく大きな何かが動いているような気がする。

 街を抜ける橋を渡り、昨日、京香と対峙した笹やぶへと入った。生い茂る笹の葉の隙間から漏れるわずかな月明かりが、新吉とおみつを照らす。

 急げ。お小夜はともかく、平沼を止めなければこの『余興』は遂行され、ご政道が乱れるのは必至。

「待って! 兄さん」

 後ろを走るおみつが叫んだ。

「俺たちには時間がねぇんだ。そんなこと、お前だってわかってるだろうが」

 足を止めたおみつの方へ向かう。

「あっちで、何か音がする……」

 おみつが指し示した方向へ視線をやる。目を閉じ、耳に神経を集中させると確かに、刀を切り結ぶような音が、新吉にも届く。

 もしやあの先に、平沼と小太郎がいる?

 突然、周りに風が走る。顔を上げると、新吉が結論を出す前におみつが駆けだしていた。

「おい! 待て!」

 おみつの背中を追いながら、新吉は胸元から短剣を取り出した。

「じいちゃん!」

 おみつが叫ぶと同時に、月明かりが、小柄な小太郎に斬りかからんとする大柄な平沼を、新吉の目の目に映し出す。

 おみつは無謀にも、小太郎をかばって平沼の前に立った。

「ほう。あんたが小太郎殿の孫が」

 おみつを完全になめ切っているのか、刀を下ろす。

「あんた、何の目的でじいちゃんを江戸に連れてきたのよ」

 おみつの声もいつになく低い。

「連れてきたわけではない」

「同じよ! あんたさえ紀州に来なければ、じいちゃんが江戸に出ることなんかなかったんだから!」

 おみつの必死の抗議に、平沼は声をあげて笑う。

「やはり、まだまだ子供だな。何もわかっておらん。小太郎殿はな」

「やめろ!」

「あんたをこっちへ引き渡すのを拒否する代わりに、風魔へ戻るのを承諾したのだぞ」

 小太郎が制止するのに構わず告げた事実に、新吉が思わず叫ぶ。

「どういうことだ!? 平沼」

「言った通りよ。自分と孫を助けてくれた吉宗に恩を感じ、奴の子飼いになっていた小太郎殿だがな、娘の小夜を忘れることはなかった」

 余裕しゃくしゃくに答える平沼の横で、おみつは一点を見つめたまま、身じろぎもしない。

「小夜の娘を一時期、お前の父親に預けたのも、風魔に戻るための準備をしていたからだ」

「……何だと?」

 自身の声が低くなるのを、新吉は感じた。

「だが、それが叶うことはなかった。当時、将軍就任が決まった吉宗が江戸へ出る際、軍太夫が再び、おみつを小太郎の元へ置いて行ったからだ。結局、厄介ものだったということだ」

 平沼の笑い声が、(しゃく)にさわる。しかし、何も言い返すことができず、小太郎とおみつを、交互に見つめることしかできない。

「所詮、風魔は世間の鼻つまみ者よ。お前は兄や公儀の犬に恩義を感じているようだがな、いずれ、命を狙われるのは目に見えてるぞ」

 一点を見つめたままのおみつの肩を、平沼が叩く。すると。

「もし私が風魔に戻ったら……京香さんを、兄さんたちのもとに戻してくれる?」

「おみつ!」

 荒い息の下から、小太郎が叫ぶ。

「じいちゃんは黙ってて! どうなの? 平沼さん」

 顔だけを平沼に向けたおみつの表情を窺い知ることはできない。しかし、普段よりさらに低い彼女の声には、何か、とてつもない決意がみなぎっているように、新吉には思えた。

「……いいだろう」

 笑いを含んだ平沼の顔が、月に再度照らされた。

「おみつ! 何を言ってるのかわかってるのか!」

 どうにか立ち上がり、手を伸ばした小太郎を振り払って、おみつが歩み寄る。

 直後、ひやりとした感触が、新吉の手に触れた。

「おじいちゃんに、返しておいて。戻れなくてごめんなさい。でも、お姐さんは帰ってくるから、って伝えて」

「お前……本気でこいつが、姐さんを」

 見上げてきたおみつの目を見た新吉は、言葉をのんだ。

 目の前にいるおみつの表情に、小太郎の過去を知った悲壮感は全く無く、瞳は、江戸へ出てきたあの頃の輝きを取り戻している。

「さよなら」

「待て! おみつ!」

 (きびす)を返し、平沼の元へ向かうおみつの歩みに、よどみはない。

「小太郎殿。今度会うときは、孫に寝首を掻かれぬよう気をつけるんだな」

 平沼とともに去るおみつの背中を見た新吉の全身から、冷たい汗がどっと噴き出した――。


ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります(月1回)。

更新が大変遅くなり申し訳ありませんでした。
次回更新は5月25日(日)の予定です。






ネット小説ランキング>歴史部門>「花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜」に投票 ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。(月1回)





ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




BACK | TOP | NEXT


小説家になろう