第五章 五日目−決心−
(……おかしい)
忠直が乗る、質素な駕籠に寄り添うように歩く源三の胸に、嫌な予感が湧き上がる。
一旦は山城屋に向かった一行は、まだ年端も行かぬ奉公人の少年からの伝言で、川向こうにある主人の寮に赴くことになったからだ。
しかし、呼ばれているとされた幕閣を乗せた駕籠を、源三は見ていない。
(やはり、罠か)
源三は、次第に生い茂る森を見回し、呼吸を整える。
風魔の狙いは幕閣に対する「余興」ではないのか?
それとも、新吉に感づかれたことを察し、作戦を変更したのだろうか?
忠直を乗せた駕籠を取り囲む一行には、いざというときのために南町奉行所の捕方のうち、手練の者たちが 配置されており、天膳から命を受けた康太と軍太夫が、密かに着いて来ている。
もし、人通りの少ない暗がりで大人数に襲われたら、いくら軍太夫がいても歯が立たない。
それに……。
風魔の集団に京香がいた場合、否が応でも「敵として」対峙せねばならない。
源三の心が、ざわめく。
修業時代……いや、それ以前からともに過ごしてきたかけがえのない従兄妹を、自分の手で斬らねばならないのか――。
揺れる自分の心を示すかのように、一陣の風が、源三のまわりを吹き抜けた。
江戸の町を抜ける川を渡って、四半刻ほど歩いたのち、山城屋の寮についた。
さっきよりもうっそうと生い茂る木々があたりを包み、まるで四方を壁に囲まれているような圧迫感が、源三に迫ってくる。
「ようこそ、おいでくださいました」
山城屋の主、伝兵衛が姿を見せた。
源三よりも五歳か六歳上でありながら商才を現し、紀州の小さな米問屋であった山城屋を、幕府御用達まで押し上げ、吉宗の信頼も厚い。
その主人が、風魔の忍びとして幕府転覆を狙っている。
半ば信じられないことではあるが、ここに新吉のいう平沼對馬が現れれば、彼らのつながりもはっきりするはずだ。
「そちらの方は」
伝兵衛の穏やかな視線が、源三に注がれる。
「拙者の弟で源三と申す。今は野に下り寺子屋の師匠を務めております」
忠直の言葉に従い、源三は無言で頭を下げる。
「そうですか。さ、皆様がお待ちかねでございます」
一瞬、忠直が源三を見た。兄の鋭い目に軽くうなずき、一番後ろを歩いて行く。
寮全体は質素なつくりだが、材木は高級なものを利用しているのか、歩を進める際におこる耳障りな音が聞こえてこない。
源三はゆっくりとあたりを見回した。
漆喰で塗られた壁にも、木目が並ぶ天井にも、これといった仕掛けは見当たらない。
「どうぞ、こちらでございます」
一番奥の部屋のふすまを、伝兵衛が開ける。
するとそこには、忠直の上司である老中首座、飯沼大善と若年寄、太田主税、それに勘定奉行の吉田陽之新が顔をそろえていた。いずれも、吉宗の信頼厚き人物だ。
「これは清水殿」
「そなたも呼ばれておったのか」
忠直の顔を見た彼らの顔が、一様にほころぶ。
「そちらは確か」
「は。拙者の弟、源三でございます」
硬い声で返答する忠直に続いて礼をする源三の背中を、冷たい汗が流れおちた。
捕方をそろえているとは言え、相手は百戦錬磨の忍び。
自分と忠直、それに康太と軍太夫だけでは、勝負はついているも同然だ。
せめて、この三人だけでもここから無事に連れ出さねば。
意を決し、源三は立ち上がる。
「源三、いかがした?」
「供のものに言い残したことがございまして。少々、お時間を」
ふすまの近くで再度座りなおし手をつくと、源三はその場を辞した。
「なんだって? 上様ゆかりの人物ばかりが?」
建物より少し離れた場所で待機している康太と軍太夫に、源三は告げる。
「飯沼様はじめ、太田様、吉田様までが亡きものにされますれば、ご政道が乱れるは必定。
何が何でも、あのお方がただけでも、無事にお帰しせねばならん」
「あまりにも、分が悪すぎますな」
源三の考えと同じ意見を口にした軍太夫に、康太もうなずいた。
「今からじゃ新吉を捜しに行ってる余裕はねぇし……どうする? 先生」
「とりあえず、捕方から二人ほど清水様のお屋敷へ戻ってもらい、ことの次第を告げるのが肝要かと」
「お願いします」
源三に軽く頭を下げると、軍太夫は表門の方へ音を立てずに走り去る。
「先生、あんたも戻った方がいい。もし今、思わぬ襲撃に遭ったら、忠直様だけじゃ」
康太の言葉にうなずき、源三は宴が催されている部屋に戻るために振り返る。
「先生!」
康太の張りつめた声が、源三を呼び止めた。
「どうした?」
「もし、先生の前に京香が現れたら……斬るのか?」
どんな状況の時にも、明るく自分らを励ましてくれた康太の目にも、動揺の色が浮かんでいる。
京香を、斬ることになったなら……自分は勿論、新吉や康太も、そして命を助けられたおみつも、一生消えることのない傷と罪を背負って生きていかなければならない。
それならば、いっそ。
「心配するな。京香は必ず、元に戻してみせる。たとえ……俺の命がどうなろうとな」
「……先生」
驚愕の表情に変わった康太から目をそらし、宴の席に戻るために源三は走り出した。 |