花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜(74/87)PDFで表示縦書き表示RDF


花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜
作:笠原綾乃



第五章 五日目−対決・母と娘−


 深く、暗い闇に沈むおみつの意識に、突然、悲鳴が割り込んで来た。

 驚いて目を開けると同時にふすまの開く音がひびき、幾人かが歩く震動が、おみつの身体に伝わる。

 おみつはゆっくりと起きあがった。眠る前にもらって飲んだ煎じ薬が効いたのか、身体が軽い。

 布団から出たとたん、冷たい空気がおみつを包む。自らの腕で身体を抱えながら、ふすまに近づいた。

 耳をすまし、誰も通っていないことを確かめて廊下に出ると、角を曲がったすぐの部屋の聞き慣れたいくつもの声が耳に入る。

「お小夜殿、決して悪いようにはせん。その人を放すのだ」

 天膳の声がお小夜の名前を呼ぶ。部屋に向かうおみつの足が思わず止まった。

(……どうして、母さんがここにいるの)

 おみつは身じろぎもせず、耳を澄ます。

「……そうか。あんたは、俺と小太郎さんを分断させるために芝居を打ったってわけか」

 新吉の声が、小太郎の名を呼ぶ。新吉は、憎んでいるはずの小太郎と、行動をともにしていたのか?

「私たち風魔が、あなた達の動きを知らないとでも? たとえ誰であろうと、私たちの邪魔をするのなら消えてもらうしかないわ」

 お小夜の言葉が、新吉と小太郎に思いを巡らすおみつの胸を激しく打った。

 このままだと……祖父が殺されてしまう。

「ちくしょう!!」

 捨て台詞が聞こえるのと同時に、強い足音がこちらにせまってくる。

「……おみつ」

 新吉の顔が、こわばる。

「兄さんは、じいちゃんとどこで知り合ったの?」

「ちょうどいい。ちょっとこっち来い」

 おみつから顔をそらした新吉に、おみつは腕を強く引っ張られた。

「おみつ……!」

 天膳が驚きの表情で、こちらを見つめる。しかし新吉はそれにかまわず

「あんたらの邪魔をするのが、実の娘でもか!?」

 新吉の言葉で、おみつを認めたお小夜の顔色が変わった。

 捕らえていた腕の力が緩んだのか、白衣を着た少女がお小夜を突き飛ばして駆け込んできた。

「おしまちゃん」

 新吉がおみつから手を放し、おしまと呼んだ少女を抱きとめる。

 おみつははじかれたように前へ出た。

「母さん……」

 つぶやいたおみつの身体が、急激に冷える。

「じいちゃんを、殺すつもりなの?」

 お小夜が目をそらす。

「じいちゃんは、母さんのお父さんでしょう!? それなのに」

「それが、忍びの掟なの」

 あえぐように、お小夜が口にする。

「あなただって父上……、いえ、小太郎殿からそう叩き込まれて育ってきたはずじゃない」

 冷気にさらされているはずのおみつの身体を、熱い何かが駆け抜ける。

「忍びの掟がなによ! 風魔がなによ! 私は、そんなことを知るために江戸に来たんじゃない!!」

 目の奥が熱くなり、冷えたしずくがまなじりから落ちる。

「私はただ、いなくなったじいちゃんと一緒に、紀州に……」

 帰りたかっただけ。その言葉よりも先におみつの口から出たのは、嗚咽(おえつ)だった。

 祖父を追って出てきた江戸で、出生のすべてを知った。

 自分に流れる風魔の血で、源三や新吉、そして自分を受け入れてくれた京香にまで多くの迷惑をかけている。

 言葉にならない思いや悔恨が、涙となっておみつの頬を濡らした。

「お小夜殿。そなたも人の子であり、人の親ならわかるはずじゃ。どれだけ、小太郎殿やおみつが苦労してきたかを」

 おみつの肩を、大きな手が優しく叩く。

「おじいちゃん……」

 おみつはたまらず、天膳にすがりついた。小太郎と同じにおいが、二度と戻って来ない穏やかたっだ日々を思い出させる。

「待て!」

 つかの間の安らぎが、新吉の言葉でかき消される。

 振り向いたおみつの視線から、お小夜の背中が遠ざかっていく。

「待て! おみつ」

 天膳の手を振りほどいたおみつの背中に、新吉が叫んでくる。

「行かせて兄さん。このままだと、じいちゃんが殺されちゃう!」

「てめえだけは行かせるわけにはいかない。それはわかってるだろう」

 新吉が再度、おみつの手を強く握った。

「風魔の血なんて、私にはどうでもいい。私は、じいちゃんを助けたいだけなの!!」

 おみつは至近距離で、新吉を強くにらみつけた。

「新吉。そなたも一緒にお小夜殿の後を追うのじゃ」

「清水様、何を!?」

 思いがけない天膳の言葉に、新吉の手が緩んだ。

「よいか。お小夜殿の行く先には小太郎殿だけではなく、京香もいるかもしれぬ。今が、京香をも救う千載一遇の好機じゃ」

 京香の名を聞いた新吉の表情が変わった。しばらくうつむいていたが、やがて。

「……仕方がねえ。俺の足を引っ張るなよ」

 何かを飲み込むようにつぶやくと、胸元から短剣を取り出した。 

「おみつ。これを持っていくがよい」

 天膳が、自らの手に握っていた短刀を持たせてくれる。

「おじいちゃん」

「必ず、そなたのままで帰ってくると約束してくれ。それが、わしら全員の望みじゃ」

 天膳の目くばせで、新吉に救われたおしまが、着ていた白衣をおみつに着せてくれる。

 自分は、自分のままで戻ってくる。京香や、小太郎とともに。

 涙をぬぐって天膳にうなずくと、おみつは、新吉の後を追って駆け出した――。


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