第五章 五日目−責任−
先ほどまで空を染めていた陽はかげり、闇が辺りを覆い始めた。
ひんやりとした、を通り越した冷たい空気が、針のように新吉の肌を容赦なく包み込む。
昼間は商人を装ってこの辺りを周回し、今は、小太郎とともに山城屋の動向を見張っている新吉の身体は、すっかり冷え切ってしまっている。
しかし、身体以上に新吉の心を冷やしているのは、当たってほしくなかった自らの勘であった。
『京香が昨夜、戻って来たぞ。……そなたの言う通り、風魔の手先としてだがな』
やるせない気持ちを乗せたであろう源三の声が、新吉の脳裏をかすめる。
やはり、自分が思ったとおりだった。
あの日、夕闇の中で対峙した正体不明のくの一は、京香だったのだ。
救えるものなら、救いたい。
しかし、風魔によって強い暗示がかけられている以上、下手な情をかけては、こちらが命を落としてしまう。
新吉は、来たるべき時が近づいているのを感じていた。
たとえかけがえのない仲間であろうとも、御政道を守るものとして、決着をつけねばならない時が――。
「どうやら、動き出したようですな」
深い思考の底であえいでいる新吉の耳に、小太郎の声が入る。
思わず顔を上げると、山城屋ののれんをくぐった平沼の背中が遠ざかっていくのが見えた。
「どうする?」
「とりあえず、後を追ってみましょう。もしかすれば、お小夜や京香殿が平沼と合流するやもしれません」
小太郎の口から出た京香の名に、思わず胸元の短剣を握りしめて立ち上がった。
見失わないように、かつ、適度な距離を保って、その背中を追いかける。
山城屋などの大店が立ち並ぶ大通りを抜けた平沼は、小さな川を渡る。
そこの道をまっすぐ行けば、先日、京香と対峙したあの笹やぶへ入るはず。
やはり、あの絵馬堂が奴らの本拠地か。だとすれば、そこには京香の姿もあるはず。
新吉は静かに息を吸った。もう……、引き返すことはできない。
「お斬りになるのですか? 京香殿を」
小太郎からの突然の質問。しかし、新吉は切り返す。
「俺は、あんたのようになるつもりはない。御政道の邪魔をするならば、たとえ妹だろうが、容赦なく斬る」
「……そんなに、おみつが疎ましいですか?」
「許すつもりはない。俺が、姐さんをこの手で斬ると決めた以上はな」
間髪入れずに、新吉は答える。
「この事件が片づいたら、あんたの命も無いものと思ってくれ」
「私の命は、どうなってもかまいません。しかし」
いつになく低い小太郎の声が、新吉の心を捉えた。
「一つだけ申し上げます。おみつは……私の孫は、何が一番大切かを知っている子です。あの子は決して、あなた方を裏切るようなことはしないでしょう」
「どういう……意味だ?」
意味を図りかねた新吉は、小太郎に問う。しかし彼は何も答えない。
そのとき、大きな物音が後ろから聞こえた。
新吉はとっさに、胸元から短剣を取り出す。むろん、自分より先に振り返った小太郎の手にもそれは握られている。しかし。
「……あれは」
小太郎の顔がこわばった。
「おい!」
何も言わずに駆け出した小太郎を追って、新吉も走り出す。
「お小夜、どうしたのだ? お小夜!」
珍しく、小太郎が大きな声で抱きかかえた人物の名を呼んだ。
驚いた新吉は、小太郎の背中越しに女性の顔を凝視する。
薄闇の中なのではっきりと認識はできないが、その面差しはやはり、おみつによく似ていた。
「……父、上」
かすれた声で、お小夜が小太郎を呼んだ。
「一体、何があったのだ?」
「お願いです、父上……。京香さんを、助けてあげて下さい」
「どういうことだ? お小夜!」
「私は騙されていたんです。平沼に。自分らとともに行動すれば、父上もおみつも、いつかこちらへ取り戻してやると。ところが……」
そこまで言うと、お小夜は激しくせきこんだ。
昇りはじめた月明かりが、口元を押さえた指の隙間から血が流れ出ているのを照らしていた――。 |