第五章 五日目−現実−
「……左様か」
四半刻後、おみつを連れて清水邸へ赴いた源三の報告に、灰色の着流しの上に、薄い茶色の羽織を着た天膳が、きつく目を閉じた。
西にほぼ傾いた夕陽が障子を赤く染め、からすが遠くで鳴いている。
水をふくんだ竹が跳ね上がり、こん、と乾いた音が数回聞こえたのち、天膳が目を開けた。
「お主は、どうするつもりじゃ?」
鋭い目が、源三の心を射抜く。
できることならば、京香を風魔から救い出して暗示を解きたい。
感情を抑え、なるべく平静を装って、源三は本音を口にする。
しかし。
「……それは、不可能じゃ」
「父上!」
思いも寄らない天膳の言葉に、源三は思わず身を乗り出した。
「源三」
天膳が静かに口を開く。
「お前の気持ち、わからぬでもない。だがな、我ら幕府側の人間に憎しみを抱く風魔の暗示をかけられた京香が、次に誰を狙ってくるか……わからぬお前ではあるまい?」
たてた膝の先を強く握りしめ、源三は畳のふちに視線を落とす。
その先に、昨夜見た京香の顔が浮かぶ。源三は思わず目を閉じた。
目を閉じれば、唇の端をくっと上げて笑う、彼女の微笑みを思い出すことができるのに。
「わしとて、可愛い姪を死なせたくはない。だが」
「……私情は、禁物」
やりきれない思いをぐっとこらえ、源三が低くつぶやく。
「何らかの理由で暗示が解けるのならそれに越したことはないが、そうなる前に、誰かが命を落としかねん。そうなれば……」
天膳がまた、口を閉ざす。
自分か、それとも、京香か。
今度相まみえることになった時、どちらかが死ぬことを覚悟しなければならない。
京香を死なせるくらいなら、自分が……。
目を閉じたまま思いにふける源三の耳に、複数の足音が聞こえる。
「御免」
兄、忠直の声が、ふすまを開く音と同時に響いた。見ると、登城する際に身につける肩衣半袴ではなく、濃い灰色の着流しに黒の袴をまとっている。
「どちらかお出かけですか?」
「半刻のち、幕府御用達となった山城屋の宴に参るのだ」
山城屋。その言葉を聞いた源三はとっさに申し出る。
「兄上。その宴、私も同行してかまいませぬか?」
「先方は幾人来てもかまわぬと申しておったが、どうかしたのか?」
源三の声音に何かを察したのか、忠直が室内へ入ってくる。
隣に座るのを待って、天膳が今までのことをかいつまんで忠直に話した。
兄の横顔がみるみる強張っていくのを目の当たりにし、源三の心もまた重くなる。
「幕閣を揺るがす『余興』か……」
つぶやく声は、山城屋に対する怒りに満ちているように思えた。
「忠直。すぐに軍太夫と康太を呼べ」
「軍太夫殿と、康太を?」
「左様。万が一幕閣の身に何かがあれば、上様の御政道が揺らぐは必定。源三一人では心もとないゆえ、今回だけは特例じゃ。すべての責はわしが負う。急げ」
「はっ」
一礼すると忠直はすぐさま立ち上がり、部屋を出て行く。
続いて立ち上がった源三に、天膳が声をかける。
「今夜のことは、おみつに決して気取られてはならぬ。……よいな」
おみつが今夜の山城屋の計略を知ったなら、行くと言ってきかないだろう。
山城屋に出入りしている浪人が首謀者の一人なら、お小夜と……京香も、その場に現れないとも限らない。
源三は、天膳の目を見てうなずくと、頭を軽く下げて部屋を辞した。 |