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花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜
作:笠原綾乃



第一章 一日目−人捜し・其の二−


 おみつは思わず、声のしたほうを振り返った。
 すると橋の上から、白の着流しをきれいに着こなした侍らしき青年が、上品なたたずまいで下りてきた。
「……てめえは」
 青年の姿を認めた男の声が、一段と低くなる。どうやらこの二人、顔見知りのようだ。
「こんな子供相手に、随分と大人げないことをなさいますな。親分」
「こいつは、俺たちをさんざんこけにしやがったんだ。それなりに痛い目見てもらわねえとな」
「親分たちじゃ、その子にはいくら束になってかかってもかないはしないですよ」
 おみつは驚いて青年を見上げた。
 自分の力を……見抜いている。
「言わせておけば……。おい、この男からやっちまえ!」
 おみつの横をすり抜けた親分が、青年が通り過ぎた橋の上から子分らが一斉に飛びかかった次の瞬間。
 男たちの結っている髪が、順番にほどけて落ちた。
 青年のほうを見ると、彼は悠然と刀をしまっている。
「この野郎! 覚えておけよ!」
 慌ただしく頭をさすり、男たちは恥ずかしそうに走り去っていく。
 すると、周りの人間から歓声とともに拍手が沸き起こった。
「大丈夫か?」
 青年がおみつに向かって手を差し伸べてきた。
 やわらかな顔立ちだが、油断はできない。
 手をとらずにじっと見つめていると、目の前の青年は困ったような表情を浮かべた。
「おいおい。そんなに警戒しなくてもよい。さ」
 一瞬戸惑ったが、おみつは素直に彼の手を取り、立ち上がろうとした。
「……いたっ」
 よろけたおみつの体を青年が支えた。兄、新吉よりもずっとたくましい、大きな腕。
「どうやらくじいているみたいだな。よし、俺の家がすぐそこだから手当てをしてやろう」
「いや、いいよ」
「よくはない。それではまともに歩けないだろう。ほら」
 しゃがんだ青年が、自らの背中を目で指してうながす。
 おずおずと青年の背中に身を預けたおみつの胸が、なぜか熱くなる。
 青年のぬくもりは、小さい頃、二人の兄に隠れて自分を肩車して歩いてくれた父、軍太夫と同じものだった。

 
   ◇◇◇◇◇


 青年は慣れた手つきでおみつの足に薬のついた布をあて、細く裂いた白布を巻いた。
「さ、これでよし」
「ありがとう、ございました」
 目の前の青年に対する警戒を解いたわけではないが、おみつは素直に頭を下げた。
「女だてらに身は軽いし、腕っぷしは強いようだが、あまり無理しちゃいかんな。あいつらは、この辺じゃ札付きの悪い連中なのだから」
「どうして……」
「多少、武術の心得がある。それにさっきおぶったときにだいたい察しはついていたよ」
 思わず口にしたおみつの意図を汲み取り、的確に返してくる。
 やはり……只者ではない。この男。
 警戒心をあらわにしたおみつに、青年は戸棚から大きなまんじゅうを持ってきた。
「さ、食べなさい。動いたあとじゃお腹も空いているだろう」
「子供だと思って、馬鹿にしないで」
 思わずむっとして口を返すが、体は正直だ。整った身なりからは想像もつかないほど狭い家中に響くような音で、お腹が鳴る。
 青年が含み笑いをして、沸いた鉄瓶よりお湯を移し、茶を入れ始めた。
 恥ずかしさに顔を真っ赤にしたおみつは、青年を横目で見ながら遠慮がちにまんじゅうを手にしてほおばった。
 皮はふっくらとしているのに、中のあんこはしっとりとしていて、甘い。
「……おいしい!」
「そうか」
 にっこりと微笑んだ青年が差し出した茶を一口飲み、おみつは考える。
 この人、悪い人じゃないかも。江戸にずっといるみたいだし、もしかしたら、じいちゃんの行き先を知っているかもしれない。
「あの、お侍さんは江戸にずっと住んでるの?」
「いや、十年前に紀州から出てきたんだ。家族全員でな」
「紀州? それじゃ、菊池小太郎っておじいちゃん知ってる?」
「菊池小太郎?」
 問い返してきた青年に向かって、おみつはうなずいた。


突然失礼します。作者の笠原綾乃です。

作者紹介ページにも書かせていただいたのですが、このたび、諸事情により作品の更新・
発表を今月いっぱいお休みさせていただくことにいたしました。

再開時期は9月初めになる予定ですが、その時にはまたぜひご贔屓頂ければと思っております。

楽しみにしてくださっている方には申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

                      2006.8.17 PM22:43 笠原綾乃






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