第一章 一日目−人捜し・其の一−
朝早く店を訪ねてきた目の大きい女性、京香が去って、一刻のちのこと。
おみつは、足を忍ばせて店の中央にある階段を下りた。
人捜しのために紀州から江戸へ出てきて、早三日。
兄の茶店を見つけ、十年ぶりの再会を果たしたのはいいものの、あれから新吉は、自分をこの店に閉じ込めてしまった。
さっきだってそうだ。自分を部屋に閉じ込めて、京香と何かこそこそ話をしていた。
何か知られたくないことでもあるのだろうか?
一応思いをめぐらせてはみるけれど、おみつには何の心当たりもない。
第一、今こんなところに押し込められているわけにはいかないのだ。
店の奥座敷で眠っている新吉に目をやり、動きがないことを確かめると扉をそっと開けて、外へ出た。
紀州から出てきたときの格好ではさすがにまずいので、新吉の着物の中で、一番地味で、小さなものを選び、見よう見まねで着付けをした。髪の毛も、四苦八苦した末に適当に結い上げた。
きれいな着物を身に着けていた京香とは程遠い格好ではあるが、少なくとも、ここにいる人たちと遜色ない姿にはなっているはずだ。
「わぁ……」
両側へ並ぶ大きな建物、その前にはいろいろな絵を書いた看板や、小難しい字を書いたのれんが風にはためいている。そして、間をひしめきあうように歩く人の群れ。
紀州の山奥で、毎日泥だらけになって飛び回っていたおみつには、初めて見る光景ばかりだ。
こんな多くの人の中から、自分を置いて紀州を出て行った祖父、菊池小太郎を捜すことができるのだろうか。
おみつの心に一瞬、不安がよぎる。しかし。
(まあ、とりあえず歩いていけば、じいちゃんに会えるだろう)
すぐに思い直したおみつはとりあえず、橋のほうへ向かっていく。
そんな自分に注がれる、妙な視線。それは主に、女性からのものだった。
やっぱり、おかしいのかな?
すれ違いざまに声を立てて笑った二人連れをぼんやりと見つめていたおみつの肩に、何かがぶつかった。
「痛いな、何するんだよ」
「あ? 何だと。ぼおっと突っ立ってたお前が悪いんじゃねえのか」
見ると、頬に傷のある、恰幅のいいつり目の男と、その手下のような男二人が、こっちに向かって歩いてくる。
今まで均一に歩いていた人の波が、おみつらをよけるようにさっと引いた。
何だか、気にくわない。
江戸へ出てきてからの兄への不満やら、今朝の出来事に対する怒りやらがうっ積していたおみつは、思わず叫んだ。
「大の男が、ひとりじゃ歩けないのかい! 情けないね」
「んだとぉ! たかがぼうず一人だ。やっちまえ!!」
ぼうず、か。
おみつは心の中であざ笑いながら、向かってきた一人目の子分の足をひっかけて転ばせ、腰を踏みつけた。
「子供だと思ってなめてると怪我するよ。性根すえてかかってきな!」
足元の男を踏み台にして飛び上がり、橋の欄干を軽く蹴ったのと逆の足は、そのまま二人目の子分の肩先を捉えた。
大きな音とともに、最初にのした子分の上に、別の男が倒れこむ。
それを横目で確認したおみつは、橋のたもとの階段の向こうへ着地した。
そのとき、遠巻きに見ていた人垣からどよめきが起こった。
「貴様ぁ!」
親分が脇差を抜いておみつに斬りかかった。
早い切っ先をかろうじてよける。
しかし、慣れないものを着ていたせいか、すそを踏んで転んでしまう。
そのとき、右の足に激痛が走った。
それをこらえて立ち上がろうと顔をあげたおみつの眼前ぎりぎりに、刃が突きつけられた。
「なめたまねしやがって。この俺様をだれだと思ってんだ。え?」
「さしで勝負できないような男の名前なんて、知らないね」
上目づかいに親分をにらみつけて口を開いたおみつの冷えた頬に、生温かい液体が滴り落ちた。
あちこちから悲鳴があがった。しかし、今のおみつは不思議と恐怖は感じなかった。
顔色を変えずに睨んでいるおみつに業を煮やしたのか、鬼のような顔をして、男が脇差をふりあげる。
おみつは身じろぎもせず、その刀の先端を見つめ、息を止めた。
そのとき。
「そこまでだな。権六親分」
さっきより大きな悲鳴を割いて、穏やかな男性の声が聞こえてきた。 |