第五章 五日目−夜明け前・其の三−
源三が出て行って、四半刻が過ぎた。
あと、どのくらい経ったら源三は戻ってくるのだろう?
じりじりと時が過ぎるのを待つおみつの不安をよそに、康太が持って来ていた煎じ薬が効いたの
か、京香は規則正しい寝息を立てて眠っている。
「おみっちゃん、少し寝たらどうだ? 京香は俺が看てるから」
後片付けを終えて戻ってきた康太に、おみつは首を横に振った。
源三が戻ってくるまではここを離れてはいけない――おみつの中には、そんな確たる気持ちがある。
康太もおみつの意志を尊重してくれたのか、黙って横に腰を下ろした。
「……新吉のやつ、どこに行っちまったのかな」
一番身近にいたはずの兄の名が、今のおみつの心をちくりと刺した。
自分が風魔の血を引いているばかりに、兄を苦しめ、怒らせていることが、今のおみつにはたま
らなく、つらい。
「京香が戻って来たんだ。新吉の気持ちだって少しは落ち着くさ」
「そうかな? 私は、そう思えない」
京香のことはきっと、きっかけに過ぎない。今の新吉自身が、自分の血を忌み嫌っているであろ
うことは、いくらおみつでも容易に察しがついた。
上の二人の兄は全て知っていたからこそ、あそこまで自分をいじめていたのだろう。
ただ一人、それを知らされていなかった新吉の胸の内を思うと、おみつの心は強く痛んだ。
「風魔の血を引いていようといまいと、おみっちゃんはおみっちゃんだろ。俺は気にしてなんかい
ないさ。先生だって、京香だってきっと、同じことを言うと思うよ」
康太が優しい眼差しで、おみつの肩に手を置いた。
熱のこもった口調に、おみつの心のつかえが取れていき、それが滴となって、またおみつの頬を
濡らしていく。
「また泣く。俺と会ってから、泣きっぱなしじゃないか」
康太の手が、おみつの頭を少し乱暴に叩く。それがまた嬉しくて、おみつは顔を両手で覆う。
どうして、康太はこんな自分に優しいのだろう?
いや、彼だけはない。今はいない源三も、目の前で眠っている京香もそうだ。
家族でさえ忌み嫌う存在の自分を命がけで守ろうとしてくれているのは、何故なのか。
「血なんか関係ないんだよ」
「………え?」
「風魔の血を引いてたって、じいさん思いで、真っ直ぐな君だから、助けてあげたくなるんだよ」
あさっての方を向いて、ぶっきらぼうに康太がつぶやく。
「じいさんを、捜すんだろ?」
康太の問いが、江戸へ来てからの激流に飲み込まれていたおみつの願いに火をつける。
「……うん。じいちゃんと一緒に、紀州に帰る」
「なら、いつまでも泣いてちゃ駄目だ。少しでも早く、じいさんを見つけださなきゃな」
こちらを見た康太の笑顔に、おみつの頬もつられて緩む。しかし、和やかな空気を裂くように、
京香が激しく咳き込み出した。
「京香、どうした!?」
京香の身体を起こした康太に促され、反対側から彼女の背中をさする。
のどの奥からはからっ風のような音が鳴り、息をするのも苦しそうだ。
京香の様子を診ていた康太が、小さく舌打ちをした。
「どうしたの?」
「いや……。おみっちゃん、京香頼めるか? 残った薬をもう一度煎じてくる」
「お姐さん、よくないの?」
表情をこわばらせたままの康太に戸惑いながらも、おみつは訊ねる。
「ちょっとな。万が一吐き出した物がのどにつまらないように看ていてくれれば、とりあえずは大
丈夫だから」
「わかった」
康太と分け合っていた京香の全体重が、おみつにかかる。
「お姐さん。もう少しの辛抱だから、頑張ってね」
温もりがなかなか戻らない手。赤みがささない頬。生きようと、必死に空気を吸おうとする姿が痛々しい。
見ていられなくてうつむいたおみつの耳に、京香の咳とは違ったかすかな音が忍び込んで来た。
(……これは?)
京香の背中をさする手を止めずに、おみつは耳にすべてを集中させる。
規則正しい、鈴の音。音が大きくなるにつれ、耳元で聞こえる京香の息が穏やかになっていく。
「お姐さん、大丈夫なの? ……っ!」
顔を上げたおみつの首に、突然、京香の細い指がからみついてきた――。 |