第四章 四日目−決別−
「……おみつ。そなた、父と屋敷に帰るのではなかったのか」
新吉の背後から、源三の声がした。
「今言ったこと、本当なの?」
しかしおみつはそれに答えず、怯えた目で新吉を見上げる。
「お姐さんが風魔に……母さんに暗示をかけられてるって、本当なの!?」
「ああ」
すがってくるおみつの手を振りほどいた自分の声が、いつになく冷えていることを実感する。
「あたしの、せい……」
「わかってんじゃねぇか」
「新吉!」
源三の鋭い声が飛んでくる。しかし、一度解き放ってしまったどす黒い感情。そして、言葉は止まらない。
「おまえが、江戸に来なけりゃこんなことにはならなかったんだ」
宙を泳いでいたおみつの目が、再度新吉を見た。
「いや……姐さんと川へ飛び込んだとき、お前がいなくなってればよかったんだよ!」
「新吉、やめろ! 京香が行方不明になったのはおみつのせいじゃない」
新吉の肩を乱暴につかんだ源三の言葉が、ささくれ立った心をさらに刺激する。
「いい子ぶるのはよせよ、先生。あんただってそう思ったことはあるんだろう!?」
振り向きざまに口にした言葉が終わるのと同時に、また、頬に強い痛みが走った。
同時に、壁に強く叩きつけられる。
「兄さん」
「さわんな!」
壁に叩きつけられた新吉を起こそうとしたおみつを突き飛ばす。
「いい加減にしろ! おみつはお前の妹だろう!」
「やめて! こんなのもう……もう嫌だよ!」
おみつが、再度新吉に殴りかかろうとしゃがんだ源三にしがみついて泣き出した。
泣きそうな顔をしているくせに、しゃくりあげるおみつの頭に手を添える源三の姿が、新吉の心
の闇をさらに増幅させる。
なぜ、優しくなれる? 京香より、風魔の血をひくおみつのほうが大事だというのか?
「……勝手になれあってりゃいいだろ。俺はもう、そいつの面倒を見るのはまっぴらごめんだ!」
「新吉!」
源三の声が、そして、おみつの泣きじゃくる声が追いかけてくるが、かまわず新吉は駆け出した。
「……っと。どうしたんだよ? おい!」
玄関先で衝突しそうになった康太にも答えず、新吉は道場を飛び出す。
外はすでに暗く、今夜は月も出ていない。通りの店の玄関先はすでに木戸を閉めており、その隙
間からもれるかすかな明かりだけが、新吉の足元をかろうじて照らしている。
京香はもう、帰って来ない。
その事実が、新吉の心を締めつける。
新吉が修行中の頃、京香が葵とともにいなくなった晩も、二度と帰って来ないだろうと覚悟を決
めていたが、今回はあの時と訳が違う。
風魔に操られている京香の息の根を、自分らで止めなければならないかもしれないのだ。
なのに源三は、おみつにかまけてあてにならない。なぜ、あそこまであいつを庇えるのか?
『あの子を放っておけないのは、あんたが一番よく知ってるじゃないか』
京香が去り際に新吉へ投げかけた最後の言葉が、突然、胸に迫ってきた。
放っておけない妹のはずだった。おみつが泣くのを見ていられなくて、幼いころから
『おみつは俺が守るんだ』
と、強く自分に言い聞かせてきた。
だけど今はもう……妹としては見られない。
たとえ京香が、無事に新吉らのもとへ帰ってきたとしても、おみつの身体に流れている『風魔』
の血は消えないのだから。
新吉の中で、何かが音をたてて崩れていくのがはっきりとわかった。
それは……新吉自身も気づいていない『公儀筆頭御庭番の息子』の血がもたらした、妹への決別
であった。 |