花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜(48/87)PDFで表示縦書き表示RDF


花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜
作:笠原綾乃



第四章 四日目−取引−


 軍太夫の手を振りほどき、冷ややかな声でお小夜は訊ねてきた。

「京香を……どこへやったのだ」

 頭に血が上るのを感じながらも、源三はぐっとこらえて問い返す。

 しかし、お小夜は答えない。さっき血走っていた目には妖しい輝きが宿り、唇の端は、源三らを
あざ笑うかのように上がっている。

「お小夜さん!」

「私たちの企みを阻まんとするあなた方に、そう簡単に、教えるとお思いですか?」

 お小夜の言葉で、源三は京香が風魔の手中に落ちていることを確信する。

「では、今回のことは……」

「ええ。私たち先祖を虐げ、蹂躙してきた徳川幕府への恨みを、風魔というだけで、人を使って私
たちを消そうとしたあなたへの恨みを晴らすためには、どんなことでもします」

「待て! それは違う」

「何が違うんです? あなたに別れを告げられた翌朝に、紀州藩お抱えの忍び衆が私たちを襲って
きたんですよ。あなたの指図でなければ、だれがそんなことをしたと言うんです!?」

 互いを見る目が、激しくぶつかる。

「父を殺され、泣きじゃくるおみつの目の前で、あなた以外の男に手ごめにされようとした私を助
けてくれたのは、仲間たちだった……。子供がいては邪魔だと言われ、死んだ父の腕に抱かれたま
まの娘と別れなくてはならなかった私の気持ちが、あなたに理解できますか?」 

 お小夜は源三に目もくれず、軍太夫を見据えて言い切る。

『敵陣』となった紀州の山奥に、愛娘を置いて行かなくてはならなかった母の悲しみが、風魔に捕
われた京香を思い、苦しむ自分の心に重なるような気がして、源三はお小夜から目をそらす。

「その娘を……おみつを悲しませてでも、本懐を遂げると言うのか」

「……おみつを?」

「そうだ。おみつは今、我らが手中にある。そして、そなたがどこぞへ隠している京香殿の安否を
案じ、心を痛めているのだぞ」

 お小夜を諭す軍太夫の顔は、変わらない。しかし、お小夜の表情は一変した。

 今までの、憤怒に満ちた表情は影をひそめ、こみ上げる感情を抑えきれない様子で、じっと一点
を見つめている。

「おみつに……あの子に、会わせてください」

 突然の申し出に、軍太夫の表情が再度こわばった。無論、源三も。

「会って、どうするというのだ」

「それは……」

 一段と低くなった軍太夫の声。言葉に詰まったお小夜が、すがるように彼を見上げている。

「よかろう」

「軍太夫殿! 何を」

「ただし、条件がある」

「……条件?」

 真意がわからず声をあげた源三を制した軍太夫は、お小夜のこわばった表情を冷めた表情で見つ
め、続ける。

「そなたが捕らえた京香殿の身柄を、速やかにこちらへ渡すこと。そして、奉行所へ自首せよ。さ
すれば、お上にも慈悲はある」

 お小夜の顔が、たちまち青ざめた。

「私に、仲間を売れと仰るのですか!?」

「できぬと言うなら、そなたの願いを受けることはできん」

「あなたって人は……。己のためなら、娘をも利用するのですね」

 お小夜の表情に、再度怒りの色がにじみ出る。

「改めて言う。おみつをこれ以上悲しませたくないのなら、我らの申し出を受けた方が賢明。明日の
朝まで時をやる。よく、考えるのだな」

 最後通告を出した軍太夫を見上げたお小夜は拳を握りしめ、何も言わずに外へと出ていく。

「お小夜さん! ……軍太夫殿、一体何を考えておられるのです?」

「心配はいりません。あなたには耳の痛いことかも知れませぬが、風魔が、暗示をかけたであろう
京香殿の命を奪うことは、まずないでしょう。お小夜も、おみつに会いたければこの話を呑まざる
を得なくなる。その時が、勝負です。風魔の動向が気がかりではありますが、今しばらく、辛抱し
てくだされ」

 軍太夫が、表情を変えずに頭を下げてくる。

 自分の父、天膳が京香の存在でおみつを説き伏せたように、軍太夫はおみつの存在を巧みに利用
し、お小夜に揺さぶりをかけた。

 これが、忍びのやり方なのか。こうやらなければ、目的を遂行することはできないのか?

 京香の件に関する決断について、軍太夫に言いたいことは山ほどある。しかし今は、お小夜の決
断にすべてを任せるよりほかはない。

 源三は、京香をいまだ救えない自分の無力さを呪い、彼女が出て行った方向を見つめ、唇を噛んだ。 







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