花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜(46/87)PDFで表示縦書き表示RDF


花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜
作:笠原綾乃



第四章 四日目−不安−


「一体、どうしたというのじゃ?」

 突然の申し出に、天膳が問う。忠直も、驚いた様子で軍太夫を見た。

 源三を含む三人の視線に、躊躇(ちゅうちょ)していた軍太夫だったが、重い口を開く。

「お小夜という名は、おみつの母と同じなのです」

「まことか?」

 普段、滅多なことでは動じない天膳の声が、心なしか上ずったものになる。

 源三も思わず、軍太夫を凝視した。

「お小夜という名はどこにでもある名前ですが、もし、その者がおみつの母親であるならば、京香殿は……」

 軍太夫が口をつぐむ。その先は、言葉を発しなくても容易に想像がついた。

 お小夜が、軍太夫の愛した女性ならば、京香は今、風魔の手に落ちている。もしくは、すでに亡きものに――。

 その考えを封じるように、源三は、目をきつく閉じた。

 京香ほどの女性が、簡単に命を失うはずがない。いや、そうあってはならないのだ。

 源三は、自らの弱い心にそう言い聞かせるのが精一杯で、言葉を出せない。

 重苦しい雰囲気が、気温が下がってきた広い道場を包む。

「よし。忠直、おみつはわしにまかせて、源三と軍太夫を連れてお小夜とやらの家へ向かえ」

 天膳の言葉が、この空気を切り裂いた。と同時に、源三も目を開ける。

 京香はきっと生きている。今はそれを信じ、一歩ずつ真相に近づくしかない。

「かしこまりました」

 硬い表情のまま目配せしてきた忠直を見返し、源三は、軍太夫とともに立ち上がった。


「どこに行くの?」

 裏玄関へ向かって歩く源三らに、こわばった表情のおみつが訊ねてきた。

「確認したいことがあって、お小夜さんの家に行くのだ。おみつはここで待っているのだぞ」

 おみつの肩に手を置いて、源三が語りかける。

「私は、連れていってくれないの?」

 おみつの目が、まっすぐに源三を見つめてくる。

「今は、そなたを連れて行くわけにはいかないのだ。わかってくれ」

「じゃあどうして父さんがついていくの? お姐さんのこととは関係ないじゃない」

 軍太夫に目をやり、おみつがなおも問うてくる。源三はもちろん、誰もが言葉を失う。

「……まさか、母さんに関係があるの?」

 三人の間にたゆたう空気の意味を察知したのか、おみつの手が、袖口をつかんだ。

「ねえ、先生。そうなんでしょう?」

 今にも泣き出しそうなおみつの震える声が、源三の胸を刺す。

「まだ決まったわけではないが、縫物職人のお小夜という女性が、そなたの母である可能性が出て
きたのだ」

 何も言えない源三の代わりに、忠直がおみつに告げる。

「……お小夜さんが、私の?」

「それを確かめられるのは、軍太夫殿ただ一人。もし、お小夜殿がそなたの母ならば、京香をどこ
へ連れて行ったのかも問い正さねばならない。私も父も、そして源三も、そんな姿をお主には見せ
たくないのだ。わかるな?」

 表情を崩さず、淡々と忠直が続けた。顔をゆがめたおみつが、源三の袖を握りしめたままうつむく。

「おみつ。母や京香のことはこの三人に任せて、我らは小太郎殿の野辺の送りの支度をせぬか? 
そなたの気持ちも痛いほどわかるが、小太郎殿のご遺体を、いつまでもこのままにしておくわけに
いかんだろう」

「どうしても、連れて行ってはくれないの?」

 下を向いたまま、おみつが、涙声で誰とはなしに訊ねてくる。

「小太郎殿亡き今、風魔の次の狙いはおそらくそなたに移るだろう。そなたを救おうとした京香の
気持ちに報いるためにも、風魔側へ行かせるわけにはいかないのだ。ここはこの爺に免じて、呑ん
ではくれんか?」

 京香の名を出した父の言葉が、源三の胸に突き刺さる。こんなことに、自分の存在を利用されて
いると知ったなら、京香は一体どう思うだろうか。

「おじいちゃん……ずるいよ」

 それだけ言うと、おみつは源三の袖口から手を離した。

 おみつは、わかっている。京香の名を出せば、自分が動けなくなるのを父に看破されていることを。

「もし、お小夜さんが母さんだったら、どうするの?」

 涙に濡れたおみつの目が、今度は軍太夫を見据えた。

「京香殿の居所を知るやもしれん重要人物だ。……今は、殺しはせん」

 厳しい視線をおみつに向けて、軍太夫が言い切った。

 おみつが一瞬だけ、安堵の表情を見せた。しかしすぐに顔を曇らせ、独り言のようにつぶやく。

「もし、お小夜さんが母さんだったら、お姐さんは……」

「おみつ。京香は死にはせん。わしの姪は、そんなやわな女ではないぞ」

「おじいちゃん……」

 天膳の方を向いたおみつの頬を、一筋の涙がこぼれ落ちる。

「さ、急げ。日が暮れぬうちに手がかりをつかんでくるのじゃ」

 おみつと天膳を交互に見つめてうなずくと、源三は、忠直らと夕暮れの空の下へと飛び出した。







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