第四章 四日目−掟−
「私が、おじいちゃんのところに?」
戸惑うおみつに、天膳が笑顔でうなずく。
源三は、信じられない思いで天膳を見ていた。父がおみつを保護してくれるのは願ってもないこ
とだが、火種を抱え込むことになりはしないだろうか?
源三の、そして軍太夫の気持ちを察したのか、天膳がゆっくりと立ち上がる。おみつが、後に習
った二人を不安げな表情で見上げてくる。
「おみつ。心配せずともよい。おとなしくここで待ってるのだ。忠直、頼むぞ」
父の言葉に、忠直が浅く頭を下げる。その様子を見たおみつも、天膳に向かって小さくうなずいた。
「清水様。いったい、どういうつもりでございますか」
廊下を渡り、道場へ移るとすぐ軍太夫が天膳に詰め寄った。丁寧な口調ながら、言葉尻にはとげ
が混じっている。
「風魔の血を引くおみつをお手元に置けば、清水様のみならず、上様の御身にも危険が及ぶのは必定」
言葉を紡ぐたびに、形相が変わっていく軍太夫を見つめる父の目は、さっき、おみつを見ていた
時と全く変わらない。
「どうか、この件だけは私にお任せ願えないでしょうか? 伏して、お願い申し上げます」
「……それはならん」
「清水様!」
なおも言い募る軍太夫を、天膳は手で制した。
「あの娘は、良くも悪くもまっすぐな気性の持ち主じゃ。抑えつけようとすればするほど反発し、
我が道を行こうとする。そうではないか?」
軍太夫が言葉に詰まったさまが、隣にいる源三にも見てとれた。父の言う通り、源三が江戸へ来
たばかりのおみつと出会ったのも、新吉が抑えていたからだし、天膳と会ったのも、軍太夫が彼女
を殺そうとしていたからにほかならない。
「そんなおみつが我々に反発し、生き別れた母がいるかも知れない風魔側へ行ってみよ。あの娘は
たちまち、最大の敵になる」
軍太夫と自分の目を交互に見つめる天膳の表情が険しくなった。
父の言う通りだ。
軽い手合わせの場で、とはいえ、自分や新吉と同等の実力を持つ京香をあそこまで追いつめた彼
女を、風魔側へやるわけにはいかない。
「しかし」
「心配はいらぬ。抑えつけない限り、今のおみつは決して我らを裏切るようなことはせん」
「なぜ、そう言い切れるのです?」
軍太夫は、厳しい表情でなおも詰め寄った。
「おみつはわしの姪を……、京香を裏切ることはできないということだ」
「父上!」
父の意図を察した源三が、とっさに叫んだ。
「源三。あの娘は今、京香に負い目を感じているはず。でなければ、あそこまでの勢いを自ら殺す
ような真似はすまい。違うか?」
「父上の仰る通りです。しかし、京香の存在をちらつかせることで、おみつをここに止めて
おこうとは、いささか」
「源三。我らの仕事は、そういうものではなかったのか?」
いつになく低い声で、天膳が言う。目の奥の妖しい光が、源三の心を射抜いた。
目をそむけ、握り拳を作った源三に、天膳が追い打ちをかける。
「例え親兄弟であろうと、愛する妻であろうともその屍を越えてゆかねばならん。それは、お前自
身がわかっていなければならないことのはず」
わかっている。江戸の庶民のためならば、わが身を、そして仲間の命ですら捨て置かねばならな
い時があることを。
しかし……。
京香を喪うかもしれない恐怖と闘っている今の源三には、父が、彼女を利用しようとしているこ
とに、我慢がならない。
いくら掟とはいえ、おみつを助けたいと願った京香の思いを踏みにじるような真似だけはしたくない。
大きな目を細めて笑う京香の顔が、源三の脳裏に浮かんでは消える。
天膳がおみつにかけようとしている呪縛を解くには、一刻も早く、京香を生きた状態で見つけ出
さなければならない。そう思った源三が顔をあげた時、忠直のものらしき、荒々しい足音が近づく。
「御免」
扉を開けた忠直の手には、お小夜の家で見つかった京香の小袖が握られている。
「父上。これから、縫物職人のお小夜なる者の家へ参ります」
「その着物は?」
「おみつがお小夜さんの家で見つけました。京香の着物でございます」
源三の進言に、天膳の顔色が変わる。そして今ひとり。
「忠直殿。私もお供させてはもらえませぬか」
源三の隣に座していた軍太夫が、青ざめた表情で申し出てきた。 |