第四章 四日目−面影−
太陽が、初冬の江戸の町を西側から照らし始める時間。
突然出て行ったおみつを追い、康太と町へ出てきた源三だったが、彼女の行方は知れない。
『江戸へ出てきて間もない彼女が、そう遠くへ行けるわけもない』
そう源三は思っていたが、紀州の山奥を駆け回っていたおみつのことだ。どこへ飛んでいっても
おかしくはないことに今さら気づき、小さくため息をつく。
それ以上に源三の心を支配するのは、おみつと共に川へ飛び込んだのに、安否不明な京香のこと。
人が多く行き交う大通りで、若い女性が笑いながら源三とすれ違うたびに、この中のどこかに京
香がいないか、と、目で追う自分がいる。
今、先に捜しださなければならないのはおみつだ。もし、彼女が命を落としてしまっていたら、
京香が無事に戻ってきたとき、どう言い訳をしたらいい?
「先生」
立ち止まり、思いをめぐらせていた源三の前方から、康太が駆けてきた。
「いたか?」
源三の問いに渋い表情を浮かべて、康太が首を横に振る。
「軍太夫殿の配下から身を守るためには、大通りだと思ったのだがな……」
独り言のようにつぶやいた源三に、康太も力なくうなずく。
「よし。路地裏を回ってみよう。もしかしたら、どこかの家に匿われているかもしれん」
すぐそこの角を曲がり、店の裏に出た。小路を川に向かって歩くと、源三の住む長屋の近くに出る。
「先生。あれ」
源三の少し前を行く康太が、左前方の角の家の方を指差した。見ると、おみつと同じような格好
をした少女が、はるか前へ行こうとしているのが見える。
「おみつ!」
間違っていてもかまわない。そう思った源三は叫んだ。
振り返った少女が源三と康太の姿を認め、血相を変えて近づいてきた。やはりおみつだ。
「心配したぞ。どこにいたのだ?」
「私のことなんかどうでもいいよ。それより……」
おみつが源三の腕を強く引っ張る。あの角の家は確か、縫物職のお小夜が、作業場として借りて
いるはずだ。
「どうした?」
「お小夜さんの家に、お姐さんの着物があったの」
おみつの口から出た京香の名前が、源三の胸の奥を打つ。
しかし京香は、仕事で使うときの振袖の刺繍を、お小夜に頼んでいるはず。
平静を装い、それをおみつに伝えると、
「違うの! あの晩に着ていた、灰色の小袖が……」
「何だって? では、京香はそこにいるのか?」
源三を見上げるおみつの顔が、泣き出しそうにゆがむ。たまらず源三は駆けだした。
「先生!」
おみつと康太の声が追いかけてくるが、かまってはいられない。
開け放たれた扉を越え、お小夜の作業場に入る。部屋の中央には、おみつが置き去りにしたであ
ろう、京香の小袖が乱雑に置かれている。しかし、京香本人がここにいる気配はない。
なぜ、着物だけがここにあるのだ? お小夜が川に流された彼女を見つけたのなら、本人
がいる
のが当然なのに。
手がかりになりそうでならない、灰色の着物。それを持ち上げた源三の手に、力がこもる。
「……ごめんなさい、先生」
後ろで、おみつの声がした。泣くのをこらえているのか、声が震えている。
「おみっちゃん。自分を責めちゃいけない。京香だってそれは望んじゃいないはずだ。な?」
自責の念に押しつぶされそうになっているであろうおみつを、康太が励ましている。
「先生。とりあえず戻らないか。清水様が待ってるだろうし」
康太の声で、源三は今、自分が為さねばならないことを思い出す。今すぐにでも京香を捜しに行き
たい衝動を押し殺すように着物を丁寧にたたんで立ち上がった。
「……よし。おみつ。とりあえず道場へ戻ろう」
源三から目をそらし、おみつは強く首を振る。
「おみっちゃん」
「父さんも、いるんでしょう? 私まだ、死ぬわけには」
「私の父が、おみつに会いたいと言って訪ねてきているのだ。軍太夫殿も、父の前でそなたに手を
出すことは絶対にない。だから、一緒に戻ってはくれぬか」
おみつの言葉をさえぎり、源三は彼女の肩に手を置く。
「本当に?」
不安げな表情で、おみつが源三を見上げた。
突然訪ねてきた父の思惑が何であるかは気にかかるが、紀州にいたころの上司がいる前で、忠誠
心を大切にする軍太夫が、娘に手は出せるはずがない。
そう確信した源三は、おみつの目をみてしっかりとうなずいた。 |