第四章 四日目−追手−
勢いよく道場を飛び出したおみつの周りに、殺気が忍び寄る。
父、軍太夫が手配した忍びが、自分と併走しているのがわかったおみつは、人気の多いところへ
行こうと、身を翻して逆方向へ駆けだした。
身の軽さは自認しているが、護身用の小刀すら持たない今のおみつでは、囲まれただけで勝負が
ついてしまう。
自分の記憶が正しければ、少し先にある角を左に曲がると、庄屋が立ち並ぶ大通りに出る。
あと、少し。
あそこを曲がれば身の安全はとりあえず保証されるはず。
いつ飛んでくるかわからない手裏剣に神経をとがらせつつ、進路を左に取ろうとしたおみつは、
突然襲ってきた衝撃にはじかれ、尻もちをついてしまう。
「大丈夫ですか? 父上」
少し慌てたような男性の低い声で、おみつは、人にぶつかってしまったのだと悟る。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
慌てて起きあがり、恰幅のいい相手に手を差し出す。
「いやいや、平気じゃよ。お嬢さんこそ大丈夫かな?」
髪をきれいに結い上げた、頬のふっくらした老人に笑顔で問われ、おみつはうなずく。
しかし、おみつの手をとって立ち上がろうとしたその老人は、顔をゆがめて腰を押さえてうずくまる。
「父上。だから申したではありませぬか。まだ治りきっていないゆえ、無理はしないように、と」
精悍な顔つきの侍が、おみつの反対側から支え、ようやく老人は立ち上がった。
「何を言う。忠直。こうやって歩かんと、足腰が弱ると医者が言っておったぞ。なぁ、お嬢さん」
いきなり話を振られたおみつは、大きく目を見開いた。
「その娘に同意を求めて逃げようとしても駄目です。急いでおるのだろう? 行きなさい。次から
は気をつけるのだぞ」
「ありがとうございます。ごめんなさい、おじいちゃん」
忠直、と呼ばれた侍に促され、再び走り始めたおみつの背中に、老人の笑い声が聞こえた。
その声が、在りし日の小太郎の笑顔に重なる。
もしかしたら、野辺の送りをしないまま、小太郎の所へ逝かなくてはならないかもしれない……。
突如湧き起こる感傷を振り払うように、おみつは小さく首を振って、さらに一つ角を曲がる。
どうにか、人が多く行き交う通りへ出た。しかし、さっきとは別の人間の影が、少し距離を置き
ながらも、おみつの後ろについたのがわかった。
振り切れる、と思ったのは甘い考えだったか。
おみつは小さく舌打ちをした。一旦立ち止まり、大きく息を吸う。勢いよく足下を蹴り前へ進む
と、建物の間に身を滑らせた。
しかし。
「おとなしくしてもらいましょうか。おみつ殿」
眼前に刃が突きつけられた。どうやら、別の忍びに先回りをされていたらしい。
「さすが軍太夫様の娘……と言いたいところですが、あなたにはこのまま、消えてもらわねばなりません」
薬売りを装った男が、おみつの後ろに目配せをした。
背後から間合いを詰めてくる男をかわすことができれば、まだ、勝算はある。
おみつは少しずつ息を吐き出し、一歩だけ大きく下がる。その瞬間、男らの呼吸が乱れた。
おみつは後ろを見ずに、ひじを鋭く突き出した。刃がかすったような痛みと共に、男のうめき声
が耳に入る。
「この!」
早い切っ先をよけた反動を利用して、目の前の男のみぞおちに拳を入れた。
手から離れた短刀を拾い上げ、おみつはそのまま駆け出した。
「待て! ……」
もんどりうっているであろう男らに目もくれずに通りを突っ切り、すぐ近くの角にあった建物の
扉を勢いよく開けて、中へと入る。
「だれ?」
衣擦れの音とともに、女性の鋭い声がおみつを迎え入れた。
「ご、ごめんなさい。少しでいいから匿って欲しいんです」
「……おみつ、さん?」
自分の名前をいきなり呼ばれ、思わず顔を上げる。
すると、見覚えのある女性が驚いたような表情を浮かべ、こちらをじっと見入っていた――。 |