第四章 四日目−出生の秘密 其の五−
吉宗が居を構えている城から半刻あまりのところに、父子が住んでいる家がある。
いつもは、月を愛でながらのんびり歩くのだが、今日は四半刻もかからぬ間に、目的地へと到着した。
『あら、軍太夫様。今日はいらっしゃらないと仰っていたのに』
声を弾ませて出迎えた娘の腕には、まだ目も開けない愛娘、おみつが気持ちよさそうに眠っている。
『……話があるのだ。おみつを、小太郎殿に預けて来てはくれぬか』
平静を装ったつもりでも、声にとげを含んでいるのを感じ取ったのか、娘の顔がこわばった。
それに呼応するように、むずがるおみつの口から、小さな声が出た。
娘が本当に風魔の末裔なら、おみつも、風魔の血をひいた子供ということになる。
藩主吉宗に絶対の忠誠を誓っている自分が、風魔との間に子をなしたことは、紀州和歌山藩のみ
ならず、徳川家への反逆にあたることは明らかだ。
娘が、おみつを預けに家へ入った。中から漏れるほのかな灯りとともに、軍太夫の心が揺れる。
『どう、されたのですか?』
か細い声が、娘の動揺を如実に表している。おそらく、自身の不安を感じ取ってしまっているの
だろう。
口にすれば、娘の心を傷つけるのはもとより、返答によっては、この手で娘を斬らなければなら
なくなる。……無論、小太郎やおみつも。
しかし。
『軍太夫さま?』
『……そなた、風魔の血を引いているのか?』
軍太夫の中で育っていた愛よりも長きにわたる、徳川家への忠誠心がそのまま声になった。
娘の顔は見えない。しかし、軍太夫の口から出た「風魔」という言葉に驚き、戸惑っているさま
がこちらにも伝わってくる。
嘘でもいい。違う、と言って欲しい。
軍太夫は心から願う。しかし、娘は何も答えない。
『なぜ、何も言わぬ』
沈黙に耐えかね、軍太夫は再度口を開く。
『……何と答えれば、納得してくださいますか?』
今度は、こちらが言葉に詰まる番だった。
納得する答えなど、とうに決まっている。しかし、その言葉を引き出したところで、胸の奥にく
すぶってしまった火種が、そのまま消えてなくなるわけではないことも、軍太夫は知っていた。
『私は……嘘は、つけません。あなた様の仰るとおりです』
震える声で、それでもしっかりと、娘は言葉を紡ぐ。
軍太夫は天を仰ぎ、きつく目を閉じた。
『俺は、そなたを斬りたくない。……わかるな?』
『はい。近日中に父とおみつを連れ、この里を出て行きます。でも、これだけは信じてください。
私が、あなたを愛していることを』
そっと近づいてきた娘の声が、軍太夫の耳朶を通り抜ける。
『……さようなら』
触れたかどうかわからぬ口づけを残し、娘は家へと入っていく。
いつものように抱きしめたくて伸ばした手を、軍太夫は引いた。もう、彼女と交わることを許さ
れないのが、心の奥底でわかっていたから――。
◇◇◇◇◇
おみつの目からこぼれる雫が、軍太夫の手に、何度も落ちた。
聞きたいことは山ほどある。でも、涙が邪魔をして言葉にならない。
「それで、おみつの母上殿はいかがされたのですか」
「翌朝、もう一度だけ顔を見たくて、あの家へ行きました。するとそこには……」
いきなり、おみつの手が強く握られた。唇を真一文字に結び、何かを堪えるように目を閉じた軍
太夫が、しぼり出すように続けた。
「私に『娘は風魔の末裔だ』と注進した大月兵部以下数人の忍びが、無残にも斬り殺されており、
家の玄関で、背中に深手を負っていた小太郎殿が、泣きじゃくるおみつを抱きかかえたまま倒れて
おりました。しかし、おみつの母は、身につけていた着物が散乱していただけで、どこにも……」
父の様子から察するに、恐らく、大月という男が小太郎と母に襲いかかったのだろう。
ただ、風魔の末裔というだけで、ここまでひどい目にあわなければならないのは、なぜなのか。
言いようのない怒りがこみ上げてきたおみつは、きつく唇をかみしめた。 |