第四章 四日目−出生の秘密 其の三−
廊下には小太郎の、そして軍太夫らがいる部屋から、線香の匂いがただよっている。
おみつの前にいる康太が小さくため息をつき、ふすまを勢いよく開けた。
「どうした? 康太」
心なしか疲れた様子の源三の声が、部屋の中から聞こえてくる。
「おみっちゃん、気がついたぜ」
康太が身体をずらした。すると、小太郎を背にした軍太夫の姿が、おみつの目に飛び込んでくる。
「おみつ……」
行商人の姿をした父が、驚きの眼差しでこちらを見た。
「どうしたんだ。その格好」
着替えたおみつを見て、源三が問うてくる。
「お姐さんを、捜しに行こうと思って。お姐さんは?」
「朝、新吉と康太が捜しに出てくれたのだがな、まだ……」
硬い表情のままで、源三が答える。おみつは目を伏せた。もし、このまま京香が帰らなければ、
自分は源三にどう詫びればいいのだろう。
「何の用だ? おみつ」
新吉があさっての方向に目を向けたままで訊ねてくる。
「父さんがいる、って康太さんに聞いたから」
「康太」
責めるような口調で、新吉が隣にいる康太を見上げた。けれど、おみつのほうを見ようとはしない。
「何も知らないままでいるのは、もう嫌なんだってよ。な」
微笑む康太にうなずいて、おみつは改めて父を見た。軍太夫は腕組みをしたまま、口を開こうと
はしない。
「私、父さんやじいちゃんに置いていかれた理由も、江戸へ出てきた私を、兄さんが必死に帰そう
としていた訳もわからない」
ひとつひとつ挙げていくたびに、こらえきれない想いが涙に変わって、おみつの頬を滑り落ちていく。
「昨日、兄さんにも言われた。私はここにいちゃ迷惑なんだって」
目を閉じたままの軍太夫の表情が、かすかにゆがむ。
「父さんもそう思ったの? だから、私を紀州に置いていったの?」
「その通りだ。おみつ」
おみつを見上げ、軍太夫がよどみなく言い切った。
まるで敵を見るような冷たい眼差しに、おみつの視界が大きく揺れる。
「……っと」
よろけたおみつを、康太の身体が支えてくれた。しかし今の自分に、彼に対して礼を言う余裕な
ど、あるはずもない。康太に寄りかかったまま、呆然と立ち尽くすおみつに追い打ちをかけるよう
に、軍太夫が再度口を開く。
「私は昔……。お前の母親を風魔の末裔と知らずに愛した。お前も知っておろうが、風魔は、幕府
と敵対し、転覆させようと虎視眈々と狙っている一族。その子孫と睦みあい、出来た子供を今生か
しておくわけにはいかんのだ。それが、我らの役目」
「……そんな」
自分は、望まれて産まれて来た子ではなかった。それどころか、命を狙われていたなんて。
「昨日の連中も、父さんが?」
「左様。風魔の陰謀をいち早く砕くために差し向けた連中だったが、まさか同業者に阻止されると
は、思いも寄らなかったがな」
『同業者』 その言葉に、おみつは源三と新吉を交互に見つめた。
「そこにいる二人も、そして行方知れずになっている京香殿も、上様のために、我々とは違う組織
で働くものたちだ。下手をすれば、上様に対する反逆と取られてもやむをえんのだぞ」
「ちょっと待った」
康太の声が、おみつの背中越しにひびいてくる。
「確かに、この二人は上様直属の組織に属してる人間だ。だが、この子は本当に幕府の威信を揺る
がそうとしている危険な人物なのか?」
「康太」
「先生。これは、俺ごときが口を出す問題じゃないかもしれない。だがな、聞けば聞くほど腹が立
ってしょうがねぇんだ」
おみつの肩を抱く手に力を込めて、康太が軍太夫に詰め寄る。
「軍太夫さん、おみっちゃんが江戸に出てきたのは、幕府を脅かすためでも何でもない。いきなり
出て行ったじいさんと、故郷に帰るためだ。だいたい、この子を殺すことなんていつでも出来たは
ずだ。母さんの腹の中にいる時でも、子供の頃でもやろうと思えばいつだってよかったんじゃないのか」
軍太夫が、こちらから視線をそらし、目を伏せた。
「愛してたんだろう? おみっちゃんも、母親も。愛してるから、今まで殺せなかった。そうだろう?」
思わず見上げた康太の横顔に勇気づけられて、おみつは再度、軍太夫を見つめた。 |