第四章 四日目−出生の秘密 其の二−
二人分の足が床を鳴らす衝撃で、おみつは目を覚ました。障子にほどよく遮られた太陽の光がまぶしい。
再び目を閉じ、まどろみの世界に入ろうとしたが、脳裏に浮かんだ京香の顔が、おみつの意識を
引き戻す。
首だけを動かし、辺りを見る。しかし、二組目の布団はこの部屋にない。
枕元のお盆に乗っている湯飲みも、一人分だけが伏せて置かれている。
(……見つからなかった)
ここにいるのが自分だけだった、と理解した途端に目の奥が熱くなり、涙が浮かぶ。
京香は、生きているのだろうか? その思いだけが、今のおみつの心を埋め尽くす。
自身の力が足りなかったばかりに傷を負わせ、京香が死ぬようなことがあれば、今まで面倒を見
てくれた源三や、新吉に合わせる顔がない。
さっきの足音は恐らく、再び京香を捜しに出たであろう源三と新吉のもの。
自分も、行かなければ。
おみつはゆっくり身体を起こした。ずっと寝ていたせいか、節々が痛い。張っている肩を回して
首を動かすと、目の前が揺れた。きつく目を閉じ、強引に揺れを止めて立ち上がる。
音を立てないように衣裳箱を開けて、自分に合いそうな黒の野袴を見つけると、動きを制限する
白の小袖を脱ぎ捨て、それに着替えた。
箪笥の引き出しをひと通り開けて、護身用の刀などがないかを捜す。だが、この部屋に
はそれらしいものが一つもない。
丸腰で外に出ることに、おみつは一瞬、不安を覚える。しかし、昨日の連中も人通りの多いこの
時間なら、不用意に襲ってくることはないだろう。
そう思い直したおみつは覚悟を決めて、入り口へと向かった。ところが、聞き慣れない足音がこ
ちらへ迫ってきている。
おみつはとっさにふすまが開く方向の反対側へ身体を密着させた。拳を握り締め、大きく息を吸う。
開くと同時に、おみつは拳を振り上げた。しかし、入ってきた人物の手がそれをつかむ。
「……っと。何するんだよ」
聞き覚えのない小さな声が耳元を通り抜けると同時に、おみつの口元に手が添えられた。
目は大きいが鼻が少し低いその男性が、小太郎のいる部屋をちらっと見て、ため息をつく。
「驚かせるなよ。いつ、目を覚ましたんだい?」
「つい、さっきだけど……あなたは?」
口元の手を強引にひきはがし、小さな声で、目の前の男性に問う。
「俺は、小石川養生所の医師をやってる、康太っていうんだ。新吉や源三さん、そして京香の幼なじみだよ」
緊張していたおみつの身体から、力が抜けていく。
「昨日、先生から連絡受けて飛んできたんだけど……。それだけ動けるなら、もう大丈夫だね」
「私のことなんかどうでもいいよ。それより、先生と兄さんは? お姐さんを、京香さんを捜しに
行ったんでしょう?」
「あ……っと、それが……」
表情をゆがめた康太が再度、隣の部屋のほうを見た。
「隣にいるの?」
「ああ。でも、君を向こうの部屋に行かせるわけにはいかない」
「どうして?」
後頭部を掻いている康太の目が、泳ぐ。
「まさか、お姐さんが?」
「いや、京香のことじゃないんだ。……実は、新吉の親父さんって人が来てて」
「父さんが?」
驚いたおみつに向かって、申し訳なさそうに康太がうなずいた。
「なんで会わせてくれないの? 私、父さんに訊きたいことがあるのに」
「頼むから、何も言わずにここにいて。せめて、親父さんが帰るまでは」
おみつを押しとどめて、康太が頭を下げてくる。
「理由も言ってくれないで、ただここにいろって言われたって納得できないよ」
また、涙がこぼれそうになる。声が震えないようにお腹に力を入れて、おみつは続けた。
「私、何も知らないんだもん。父さんとじいちゃんに置いていかれた理由も、兄さんが何度も『紀
州に帰れ』って言う訳も」
言葉を紡げば紡ぐほど、こらえきれない滴が、頬にこぼれて落ちる。
「……私、何も知らずに帰れない。帰るなら、その理由をちゃんと知りたいの」
「おみっちゃん……」
乱暴に涙をぬぐって康太を見据える。目を伏せた彼は、何かをじっと考え込んでいる。
やはり、駄目なのだろうか? 小太郎の仇も討てず、京香の無事を確認することすらできずに、
紀州に帰らなければならないのだろうか?
……いや、そんなことはしない。もし、康太が止めにかかってくるのなら、もう一度、力づくで
も――。そう思ったおみつの肩に、康太の手が優しく置かれる。
「君には、かなりつらい話になるかもしれない。……それでもいいかい?」
「康太さん……」
「俺に、君を止める権限はないもんな。でも」
「大丈夫。何があってもちゃんと聞くよ。約束する」
本当は恐ろしい。けれど、今ここで父に会っておかなければ、後悔しそうな気がしてならない。
「わかった」
うなずいた康太が、出口に近づきふすまを開ける。そのあとについて、おみつは部屋を出た。 |