花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜(34/87)PDFで表示縦書き表示RDF


花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜
作:笠原綾乃



第四章 四日目−来訪者 其の二−


「突然申し訳ない」

 新吉によく似た面差しの軍太夫が、小さく頭を下げる。

「こちらに、小太郎殿のご遺体と、おみつがいることを知って参った」

 源三は、自らの表情がこわばっていくのを肌で感じた。

「はい。二人ともここにおります。ですが、何用で?」

 軍太夫はおみつの命を狙っている。しかし、自分がそれを知っていることを、悟られるわけには
いかない。そう思った源三は、慎重に言葉を選んだ。

「いや、その……。二人が江戸へ出てきていることを小耳に挟んだので、会いたいと思うて」

「小太郎殿はともかく、おみつは今伏せっておりますゆえ、話ができますかどうか」

 源三は、小太郎をまっすぐに見た。ほんの一瞬だけ、心の動揺がかいま見えたのは気のせいだろうか。

「昨晩、何者かに襲われまして、川へ飛び込んだ際に水を多く飲んだようです。命に別状はありま
せぬゆえ、ご安心を」

 目の前の軍太夫は表情を変えず、源三の言葉にうなずいた。

 おみつ抹殺の指令を出したのは……軍太夫か。

 兄に目配せし、源三は二人を小太郎の眠る部屋へと案内した。

「京香と新吉はどうした?」

 軍太夫が小太郎に手を合わせている後ろで、忠直が耳打ちをしてくる。

「……京香は、おみつの一件で行方知れずになっております。新吉は康太とともに手がかりをつか
むべく、探索を続けております」

 努めて冷静に、事実だけを伝える。

「何?」

 普段は感情を表に出さない忠直だが、さすがに、共に育った京香の安否不明を聞き動揺を隠し切
れぬようだ。

「かたじけのうござった。おみつは何処(いずこ)に?」

 兄弟の様子を意に介さず、向き直った軍太夫が頭を下げた。

「隣の部屋におります。目を覚ましたか確認しますので、少々、お待ちいただきたい」

 礼をして立ち上がると、源三は二人を残し、部屋を出た。

 隣のふすまを開き寝床へ近づくが、おみつはまだ目を覚ましてはいない。

 規則正しい寝息をたてている彼女の頬に、いく筋もの涙が流れている。

 祖父を亡くした涙か。それとも、行方知れずになった京香を思い、流した涙か。

 新たにこぼれた涙をそっとぬぐい、源三は、軍太夫をここへ通すか思案する。

 軍太夫がもし、存在を消すために現れたのだとしたならば……。

 京香の無事が確認されるまで、先ほど覚えた感情を拭い去れるとは思えないが、新吉のために、
そして何より、彼女を救おうとしたであろう京香のためにも、おみつを渡すわけにはいかない。

 遠い未来の風魔の頭領としておみつを育てた小太郎は、もういない。軍太夫の娘としては叶わな
くとも、新吉の妹として、この江戸で暮らすことへのさまたげはもうないはずだ。

 源三は意を決して立ち上がった。おみつをもう一度見下ろし、隣の部屋へと戻る。

「どうであった?」

「まだ、眠り続けております。目覚めるまでにはまだしばらく時間が必要かと」

 軍太夫の隣に座る忠直に、源三は言った。

「林殿。おみつを如何なされるおつもりか?」

 軍太夫に向き直った源三は、思い切って訊ねた。『無』だった彼の表情が、みるみる強張るのが
わかる。

「おみつの出自は、新吉と、そこにいる兄、忠直に聞いてだいたい知っております。なぜ、彼女の
存在を消す必要があるのか、お聞かせ願いたい」

「源三」

 忠直が口を挟む。しかし源三はあえて兄を無視し、軍太夫を見据える。

「数日彼女と共に過ごしてまいりましたが、小太郎殿はまだしも、おみつに幕府打倒の意思がある
とはとうてい思えませぬ。むしろ、小太郎殿が江戸へ出てきた理由すら知らない様子。そんな彼女
を討つ必要はあるのでしょうか」

 言葉を紡ぎながら、源三は、今さらながらおみつの気持ちを理解する。

 彼女はただ、紀州での楽しい日々を取り戻したかったのだ。小太郎と二人、紀州の山奥でおおら
かに暮らしていたあの頃に、戻りたかっただけなのだ、と。

 源三は、京香を思うあまり、いつしかおみつの存在を閉じていた自分の心を恥じた。今一度、軍
太夫に心から向き直る。

「林殿」

「源三殿。私は……」

 源三をさえぎり、軍太夫が顔をあげたその時、玄関が勢いよく開いた。

 近づく二人分の足音。ふすまの開く音に、後ろを振り返る。

「……親父」

 源三の視線の先で、驚いた表情の新吉が、茫然と立ち尽くしていた――。







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