第四章 四日目−来訪者 其の一−
自分の頭が垂れる衝撃で、源三は目を覚ました。
壁にもたれかかり、長刀を支えに寝ていたせいか、首と肩がやや張っているようだ。軽く腕を回
して立ち上がった源三は、窓の外にある火の見やぐらへ目を向けた。
すでに、昇りきった太陽がやぐらの屋根のあたりから地上を照らしており、巳の刻であるこ
とを江戸の町に知らせている。
新吉と康太が戻ってきた形跡は、未だない。
源三は眠っているおみつを起こさないように廊下へ出ると、小太郎の遺体を安置している隣室へ
足を運んだ。
ろうそくは消され、線香はとうに尽きている。源三はそれらに火をつけると、小太郎に向かって
手を合わせた。
京香が行方知れずになったことを、おみつのせいにはしたくない。無論、京香もそれを望んでは
いないだろう。きっと、おみつを助け、自分自身が生きる道として、冷たい川へと飛び込んだのだから。
しかし。
(小太郎が、そしておみつが江戸に出て来さえしなければ)
気づくと、心の奥から湧き上がるどす黒い感情が、源三を支配しているのがわかる。
『お前はこれから、幼子達をまとめなければならん。常に冷静・公平であれ。そして物事の裏を読むのじゃ』
修行に入る前、父、天膳から告げられた言葉が、今さらながら源三に重くのしかかる。
考えねばならないことは山ほどあるのに、頭が働いてくれない。浮かんでは消える京香の面影が
源三の心を締めつける。
(早く、戻って来い。京香)
どんなに深手を負っていてもいい。お役目に就けない身体になったとしても、生きて戻ってさえ
くれば――。
唇を噛み締めた源三の耳に、扉の開く音が飛び込んできた。
ろうそくだけをすばやく消し、源三は玄関へと飛び出した。すると。
「あ、先生!」
伸びた髪をまとめ、赤い着物を身にまとった少女、千代と、頬を赤く染め、くすんだ緑の着物を
来ている少年、太郎がひょっこり顔をのぞかせた。
「どうした、お前達」
無理やり笑みを作り、彼らと同じ目線まで膝を折ってから、源三は訊ねた。
「先生、もう時間過ぎてるんだよ」
「先生、今日はお休みなの?」
……そうだ。今日は、寺子屋の日だった。
お役目など、源三の都合で急遽休みにする時は、その日の朝五つまでに各々の家に走るのだが、
京香のこともあって、今朝はすっかり忘れていた。
「すまない。今日は急に病気の人を看なくてはいけなくなってな。申し訳ないが休みにしてくれな
いか? 親御さんには、あとできちんと詫びに参る。な」
「この前来てくれたお姉ちゃんは? 今日はいないの?」
太郎が目を輝かせて訊いてきた。寺子屋一のやんちゃ坊主である彼は、自分とずっと遊んでくれ
たおみつを、どうやら気に入ったらしい。
「お姉ちゃんは今、御用があって江戸にいないんだ。もう少ししたら帰ってくるから、それまでお
となしくしているんだぞ」
嘘をつくのは心苦しいが、本当のことを言うわけにもいかない。
「なぁんだ。つまんないの」
「やめなさいよ太郎。先生が困るじゃないの」
少しおませな口調で、千代が太郎をたしなめる。
「ちぇっ。千代はいっつも生意気なんだから」
「生意気はどっちよ。悔しかったら、私より読み書きができるようにならなくちゃね」
「よせよせ。とにかく、今日はみんなで仲良く、気をつけて帰るんだぞ。わかったな」
「は〜い」「先生、さようなら」
口々に言って出て行く二人の後ろ姿を見て、源三は思わず微笑んだ。
何だかんだ言っても、太郎と千代は寺子屋で一番の仲良しだ。
紀州にいた時は、源三も京香と二人で野を駆け回り、同じ先生について勉強したものだ。しかし
このときはまだ、自分らがこのような過酷な役目につくことなど、考えてもいなかったのだが。
まだ小さな子供達に心癒されても、結局また、同じ場所へと戻ってくる源三の心。それらを振り
払うように、小さく頭を振る。そこへ。
「御免」
源三の目の前に、また、思わぬ来訪者が現れた。
「兄上。……それに」
忠直の後ろに控えていた人物は、公儀筆頭御庭番の林軍太夫であった。 |