花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜(32/87)PDFで表示縦書き表示RDF


花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜
作:笠原綾乃



第四章 四日目−驚愕−


(なぜ、山城屋にあの男が?)

 新吉は、浪人が入っていったのを確認して、外に出てきた別の奉公人の少年に近づいた。

「なぁ、あの浪人さん、ここの何なんだ?」

 新吉の手に握られた十手を見た少年は驚いた様子でこちらを見たが、声を潜めて答えてくれた。

「旦那様がお雇いになった用心棒です。名前は確か……平沼様と言います」

「いつからここに出入りしてるんだい」

「確か、五日ほど前からです」

 礼を言って少年に駄賃を持たせると、新吉は店の裏手に回った。幸い、小路に人影はない。見上
げた先の小窓が開いているのを確認して、何ヶ所かに足をかけて飛び上がった。

 音を立てないように中へ潜り、ゆっくり建物の中心へ向かう。

「……か」

 板越しに声が聞こえる。話しているのは、二人だけのようだ。

「はい。明晩決行せよ、と仰せでございます」

「場所は?」

「ここ、山城屋との仰せだ」

 どちらが話したのかはわからぬが、悠然としたその態度に、話を聞いたであろう人物の動きが止ま
ったのが、天井裏の新吉にも伝わってくる。

「冗談はよして下さい。ここを襲えば、どうなるかは」

「だからだ。肝いりで江戸に入った御用商人のお前までも襲われれば、奉行所はおろか、老中の権
威は失墜し、(まつりごと)が立ち行かなくなるのは必定。そこで、堀田様の出番というわけだ」

 御用商人襲撃の裏で糸を引いていたのは、やはり堀田山城守だったのか。しかし、将軍吉宗が自
ら推挙した山城屋まで絡んでいるとは。

「俺達は幼い頃から『風魔を滅ぼした幕府を許すまじ』と言い聞かされて育ってきた。俺とお前は
地方から幕府を倒す足がかりを作るために同輩の者らと紀州へ渡り、基盤を作ろうと根来忍者の中
へ入っていった。だが……」

 山城屋と平沼は、幕府に滅ぼされた風魔一族の生き残り――思いがけない事実に、新吉は息をの
み、次の言葉を待つ。

「ええ。一つだけありましたね。計算外なことが」

(計算外?)

 声を落とした山城屋の言葉を聞き取ろうとした耳をそばだてた新吉は、背後に気配を感じた。ね
ずみの類ではない何かが、動いている。

 胸元に忍ばせた短剣に手を添えたその時、その方向の柱に、何かが突き刺さる音がした。

「くせものだ!」

 その声に、新吉は柱に身を隠した。真下の部屋もにわかにざわめき出す。

 小窓から差し込む光に照らされる二つの影が、刃の交わる音とともに、狭い空間でうごめいている。

(……あの男)

 新吉は、すばしっこい、小柄な男から目が離せなかった。

 あのたたずまい、どこかで見たことがあるような気がするのだが。

 外へと飛び出した小柄な男を追って、すらりとした体格の忍びも姿を消した。

「追え! 逃がすな!」

 平沼の声に、複数の足音が遠ざかる。

「何者ですか?」

「……小者だろう。あるいは、俺らをかぎまわっている公儀の手のもの……」

 平沼が、意味ありげな響きを持たせて言葉を区切った。

「どうしました? 平沼様」

「いや。明晩、おもしろい余興を見せてやろう。幕閣を揺るがす、大きなものをな」

 そう言って高笑いした平沼の足音が、部屋を出て行くのがわかった。

(幕閣を揺るがす余興だと?)

 真意を探るべく、新吉は再び屋根裏から抜け出して店の表へ回った。

 のれんをくぐり、辺りを見回した平沼の後をつけ、新吉はまた大通りの人波にまぎれていく。

 庄屋街を抜けた平沼は大川橋を渡り、地蔵が置いてある小路を抜け、笹やぶの中へと入っていく。

 ふいに、速度を速めた平沼に追いつこうと駆け出した新吉の前に、灰色の装束を着た複数の忍び
が立ちはだかった。

 舌打ちをした新吉は短剣を取り出し、かかってきた男の脇をめがけて振りぬいた。

 叫び声をあげ、くず折れる男に目もくれず、目の前の男に向かって走る。

 一瞬、ちゅうちょした大柄な男の腹に刃を突き立てた。続けて、左から向かってきた男の太刀を
交わして拳をくれ、男が持っていた長刀を奪い、そのまま肩口から動脈を切り裂いた。

 溜めていた力を息とともに吐き出し、新吉は笹やぶのほうへ目を走らせた。しかし、平沼の姿は
もう、どこにも見えなくなっていた。







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