第四章 四日目−焦燥−
『源三ならば、きっと京香を連れ帰ってくるはず』
康太が、そして新吉が抱いていた一縷の望みが絶たれた。その事実に黙り込む三人を、
玄関口から入り込む陽光が照らしている。
「……よし、やっぱりここは、俺の出番だな」
「康太?」
重苦しい空気を一掃するかのように、康太が両手で頬を叩いた。
「昨日の京香の格好、教えてくれよ。もしかしたら、町医者の中に川でおぼれた京香を診たやつが
いるかもしれない」
「だけど」
「こんなときに、安穏と仕事なんかしてられるかよ。俺にも協力させてくれ」
「康太……」
胸がいっぱいになった新吉は、何も言えずに頭を垂れた。康太の友情が、ありがたい。
「よし……、俺も行く。康太、何軒か案内してくれ」
「何言ってるんだよ。休まなきゃ駄目じゃないか」
医師の立場からか、康太が反対の意見を述べる。
「大丈夫だ」
「何が大丈夫なもんか。そんな蒼い顔して」
見ると、顔色はもちろんのこと、目も充血していて、焦点があまり定まっていないように見える。
「康太の言うとおりだ。先生。少しでもいいから」
「休んでなんかいられるか!」
新吉の言葉をさえぎった源三のあまりに大きな声に、外でさえずっていた雀たちが一斉に飛び立
つ音が聞こえた。新吉も驚き、言葉を返せない。
「こんなときだからこそ、休むんだよ」
隣に立つ康太の真剣な眼差しが、源三を捉える。
「京香がいない。それに加えてあんたまで倒れたら新吉は一人だ。こいつだけに、重責を負わせる
つもりなのか? 先生」
康太の指摘が心に突き刺さったのか、源三が新吉らから視線をそらす。
「姐さんの手がかりは、俺と康太で必ず探し出す。だから先生、せめて半日だけでもいいから、こ
こで休んでいてくれ。そして、おみつと小太郎さんを頼む」
こちらを見ぬ源三に、新吉は頭を下げる。康太の言うとおり、今、ここで源三まで倒れてしま
ったら、事件を解決することも、父からおみつを守ることもできなくなってしまうのだ。
「……京香は昨日、灰色の小袖を着ていた。そして、どこだかはわからぬが怪我をしているらしい」
しばしの沈黙の後、源三がつぶやいた。康太と顔を見合わせ、道場を出ようとする新吉を、源三
が呼び止める。
「すまない。京香を……頼む」
「なぁ、新吉。京香と先生ってどういう関係なんだ?」
昇り行く太陽とともに、個々の営みを始めた江戸の町を早足で歩きながら、康太が新吉に訊ねて
きた。
「どういう……って。いとこ同士だろ。知らなかったのか?」
「いや、知らなかったわけじゃないんだけどよ」
確かに、さっきの源三の取り乱し方は尋常ではなかった。長年一緒にいるが、冷静で、どんな状況
になっても変わらない彼の怒鳴り声を聞いたのは、今日が初めてといってもいいくらいだ。
「道ならぬ恋、ってやつかねぇ」
「何馬鹿なこと言ってるんだ。どっから当たる?」
脱線しそうな康太を引き戻すため、新吉は本題に入った。
「そうだ。まずは二丁先にある良庵先生のところへ行ってみるか。あそこはけっこう評判がいいからな」
康太にうなずいて、新吉が方向を変えようとしたその時、深い編笠をかぶった浪人風の男が、一
丁先の道を横切っていくのが見えた。
「おい、新吉。どうしたんだよ」
「悪い、今回の事件に関わってるかもしれない奴がここ通ったんだ。医者のほう、まかせていいか?」
「わかった。気をつけろよ」
互いの健闘を祈り、康太と拳を突き合わせた新吉は、彼と逆の方向へゆっくりと歩き出す。
少しでも勘づかれるようなことがあれば、事件の手がかりを失ってしまう。
相手との距離を縮めないように気を配り、新吉は慎重に足を運んだ。
いくつかの角を曲がり、大通りへと出る。
使いに出ている商人風の男に、飴売りの娘。きらびやかに着飾った大店の娘らしき少女らが行き
交う道の真ん中にある店の前で、男の足が止まった。
辺りを軽く見回し、奉公人らしき男に案内された浪人が、店の中へと入っていく。
看板を確認した新吉は、思わず目を疑った。
黒塗りのそれに記されていたのは、吉宗の肝いりで御用達になったとの噂が高い、山城屋の名前だった。
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