花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜(3/87)PDFで表示縦書き表示RDF


【用語説明】
下知げじ……将軍が命令を出すこと

・花ぐるま……椿の花の一種、「江戸椿」の別名
花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜
作:笠原綾乃



序章 前 夜−依頼−


『依頼』――それは、時の将軍吉宗から、天膳に向けて発せられる「指令」のことを言う。
「大岡様を通じ、上様より下知があった。このたびの事件のことは皆も知っておろう」
 一月ほど前から、幕府御用達の大店の主人が、次々と暗殺される事件が起きている。
 米問屋の秋田屋、呉服商の能登屋、絹問屋の唐津屋。いずれも、吉宗が将軍職に就いてからその人柄、商売の様子などを見込まれて、御用商人になったものばかりだ。
「最近わしは、油問屋山崎屋の主人に化けて『浮雲』に頻繁に通っていた。というのは、奴らの次の標的が山崎屋との知らせが、公儀御庭番衆よりあったからだ」
 京香はもちろん、あの場に居合わせた新吉も、忠直も驚いた様子で天膳を見る。
「それと同時に、今回の事件の黒幕は、上様の御政道に弓を引こうとするある旗本であるらしいとの情報をつかんだのだが、まだ、肝心の証拠が何一つない」
「そうなると、町方では手が出せない、ということですね?」
 十手を預かる身の新吉の問いに、天膳がうなずいた。
「そこで、我々の出番というわけだ。『庶民のための御庭番』として、一刻も早くこれを解決し、市中に平和を取り戻せ、とのことだ」

『庶民のための、御庭番』

 これは、天膳が指揮する隠密組織『花ぐるま』に指令を出すとき、吉宗が必ず口にする言葉だ。
 御庭番と言っても、吉宗に直接仕え、諸藩の内情や世情の探索をする公儀の者とは一線を画し、どちらかというと私兵組織の意味合いが強い。主に町奉行では手の出せない事件の探索に当たり、ことの次第によっては斬り捨て御免も許される。
 ゆえに、その人選は幾重にも慎重に行われた。
 十年前、早世した七代将軍家継に代わり征夷大将軍に任命された吉宗はまず、幕臣として登用した二百人の紀伊藩士の子供たちの中より候補者を募った。
 そのうち残った十人を天膳に預け、武芸・忍術・芸事などをみっちり仕込んだもののうち、残ったのが、天膳の息子の源三。公儀御庭番林軍太夫の三男、新吉。
 そして。
 天膳の妹で、今は紀伊和歌山藩剣術指南役の佐々木小十郎の妻、りくの娘、京香。
 この三人が、吉宗からの『依頼』を天膳より受けて、江戸庶民の平和を守るため隠密裏に活動を始めてから、もうすぐ一年になる。
 普段は各々仕事を持っており、江戸庶民と変わらぬ生活を送っているが、この『依頼』が来ると彼らの生活・行動は事件を解決することが最優先となる。
 岡っ引の新吉や芸者の京香はともかく、一番やっかいなのは源三だ。
 浅草で道場を開いているのみならず、最近では、近所の長屋のおかみさんに頼まれて、寺子屋の先生まで始めたのだから、子供たちを巻き込まないようにするのに、かなり神経を使うらしい。
 しかし、事件は待ってはくれない。
 天膳が目配せをすると、新吉の隣に座っている、忠直がうなずいた。
 立ち上がった忠直が、隣の部屋から、底が浅い大きな木箱を手に戻って来る。
 その中には、各個人が使用する様々な刀と、三人分の封書が整然と置かれていた。
 新吉が、清水家の家紋である椿の花が描かれた小太刀と手裏剣を、源三が大小の刀を、京香が刃の仕込んである番傘をそれぞれ手に取った。
 そして、忠直から葵の紋が入った文を受け取る。
 これは、吉宗から京香たちに向けての斬り捨て御免の赦免状。この文があって、初めて下手人を斬ることが許されるのだ。
「上様より告げられた期限は七日間だ。皆の者、頼んだぞ」
 天膳の言葉を聞いた三人の視線が、一瞬ぶつかった。
 幼い頃より共に修行を重ね、助け合ってきた仲間の心は、京香も新吉も源三も、互いにわかっている。
 視線をはずし、天膳に向き直った京香たちは、両手をついて深く頭を下げた。







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