第三章 三日目−懇願−
「おい! 大丈夫か!?」
源三は、岸からはい上がろうとする人物に手を差しのべた。
川の流れに逆らいながら手を取ったのを確認して、一気に引き上げる。
結っていたであろう長い髪がばらけて顔を覆っているため、誰かはわからぬが、女か、もしくは
元服する前の少年か。
「しっかりいたせ。いったい、何があった?」
「先……生?」
咳き込みながらも自分の通り名を呼んだ人物の髪をかきあげ、顔をのぞきこむ。
「……おみつ」
「先生。お姐さんは?」
「お姐さん? ……京香のことか?」
再度咳き込み、おみつがうなずく。
「何があったんだ。京香がどうしたというんだ?」
「……忍びに襲われた私をかばって、お姐さん、怪我をしたの。このまま……、このままじゃ、二
人とも殺されるからって、一緒に、川に飛び込んだんだけど……」
何度も咳き込みながら説明するおみつの目からは、涙が溢れてくる。
「お願い先生。お姐さんを助けて。じゃないと、私……」
「おい! おみつ!」
薄れゆくおみつの意識を取り戻そうと彼女の頬を叩くが、よく陽に焼けた肌よりも、流れ落ちて
きた涙のほうが温かい。
一刻も早く、京香を救いに行きたい。しかし。
源三は立ち上がり、足下にあった葉を川に浮かべた。すると、いつもより流れが速いことを示す
かのように、勢いよく葉が遠ざかる。
どこまで流されたかわからぬ京香を捜すには、新吉の協力が不可欠だ――そう判断した源三は、
冷え切ったおみつの身体を抱き上げた。
どれだけの時間が流れたのか。
完全に意識を失ったおみつを抱えた源三は、道場の明かりを見て思わず安堵のため息をついた。
「新吉! いるか?」
「先生、一体どうした…………」
扉を開けた新吉が、源三の腕に抱えられたまま、力が抜けているおみつを見て言葉を失った。
「忍びに襲われたおみつと一緒に川に飛び込んだ京香が、行方知れずになっている」
「……何だって?」
「俺は京香を捜しに行く。途中で康太に声をかけておくから、おみつを頼む」
「先生!」
「詳しい説明は、おみつが意識を取り戻してからだ」
新吉の言葉を振り切り、源三は再び闇の中へ飛び出す。
修行中の頃の仲間で、今は医師として、小石川養生所に勤めている康太の家に寄った源三は、足
にからみつく裾を手に持ち、さっきおみつと出会った場所よりも下流の方向に向かって走り出す。
(頼む! 無事でいてくれ!)
気づいた時にはそばにいた従姉妹を想い、源三は心の中で叫ぶ。
もし、京香が目の前からいなくなってしまったら――それを考えただけでも、恐ろしい。
修行中、京香が葵とともに姿を消した夜も、空に月が浮かび、冷えた空気が辺りを覆っていた。
だが、京香を失う恐怖はあの頃よりも強く、源三の心を支配する。
「京香! どこにいる」
流れる水に沿って足を動かしながら、源三は何度も声をかける。
しかし、京香の声はどこからも返ってこない。それどころか、姿すら水面に浮かんでこないのだ。
どこかで誰かに救助されたか、それとも、川底で……。
いや、そんなはずはない。腕に怪我をしたからといって、命を落としてしまうようなやわな女で
はないはずだ。
心を支配しようとうごめく『恐怖』という闇を振り払い、どこまでも流れを追い続ける。しかし。
朝陽が闇を照らし始める頃、ようやく最下流に到達した源三の目の前に京香が現れることはなかった。 |