花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜(26/87)PDFで表示縦書き表示RDF


花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜
作:笠原綾乃



第三章 三日目−襲撃−


 辺りはもう、すっかり暗くなっていた。

 黒い空間をほのかに照らす月明かりが、周りの建物の輪郭(りんかく)を、くっきりと浮かび上が
らせる。

 京香は、道場から飛び出していったおみつを捜すが、近くの武家屋敷街にも、源三が住む長屋に
も、姿は見当たらない。

 闇の帳を告げた鴉の鳴き声は、いつしか犬の遠吠えに変わり、京香の不安を煽っていく。

 時が経てば経つほど、おみつを捜している京香の脳裏には、昔失った少女の泣き顔が浮かんでくる。

(……葵)

 まだ小さかった自分が守れなかった、幼い少女。

 この仕事に就いてから、思い出したことは一度もなかったのに。

 昨日、小太郎より感じた底知れぬ恐怖が、過去の自分を呼び戻したのか。

 もし、命を狙われているおみつを見つけられなければ、自分は、同じ過ちを繰り返すことに――。

 大店が立ち並ぶ庄屋街を流れる川岸に立ち尽くし、小さく身震いした京香の耳に、小さな水音が
聞こえてきた。

 顔を上げると、前方にある川面(かわも)が不規則に揺れている。

 川をまたいでいる大きな橋の真ん中に、見覚えのある影が月に照らされて映っていた。

 深くため息をついた京香は早足で橋に近づき、少女の名を呼ぶ。

「おみつさん」

「……お姐さん」

「心配したのよ。ずっと、ここにいたの?」

 少し気まずそうに、おみつはうなずいた。

「さ、帰りましょう。新さんも心配してるわよ」

「でも……、私がいたら、迷惑なんでしょう?」

「何言ってんの。新さんの妹なら、私や先生にとっても妹同然よ。新さんがどう考えようと、迷惑
だなんて思ってない」

 一瞬、探るような目つきで見てきたおみつだが、京香が笑みを浮かべてうなずくと、少しだけ表
情がゆるんだ。そして。
 
「おととい、ここで、先生に初めて会ったんです」

 頬を優しくなでていく風に揺られる水面を見下ろし、おみつが口を開いた。

「私、ならず者に囲まれてて。先生は、あっという間にそいつらから私を助けてくれた。そして、
『もう、小さな頃の君じゃない。俺が保証する』って言ってくれたんです」

 言葉の意味をはかりかねている京香に、おみつは真剣な眼差しで問いかけてきた。

「お姐さんは、私がじいちゃんの仇を取ることには反対ですか? 私じゃ、じいちゃんの仇を取っ
てあげることはできないんですか?」

 京香は、言葉に詰まる。

 実力だけなら申し分ない。事実、源三や新吉以外の人間で、自分をあそこまで追い詰めたのは、
おみつが初めてだ。だが……時間がなさ過ぎる。

 父である軍太夫に命を狙われている彼女の時間は、残り少ない。

 その間に小太郎の殺された原因を探り、仇を捜し出すのは不可能に近いのではないか。

「お姐さん?」

 おみつがまた、不安そうな眼差しを京香に向けてきた。

 その瞬間、京香の周りの空気に、静かな殺気が忍び寄る。

「お姐さん」

 言い募ってきたおみつを制し、京香は胸元の短刀に手を伸ばす。

「おみつさん、私から離れては駄目よ」

 言い終わる間もなく、京香とおみつの間の手すりに、棒状の手裏剣が突き刺さった。

 同時に背中の刀に手をかけた数人の忍び装束のものが、二人に向かって駆けて来た。

 京香は、手すりにあった手裏剣を引き抜くと、刀を抜いてすぐそばまで来た男の肩口に、渾身の
力を込めてそれを突き立てた。

 大きな叫び声とともに男の手から離れた刀を奪い、自らの短剣をおみつに差し出す。

「お姐さん」

躊躇(ちゅうちょ)したら駄目。いいわね」

 引き締まった顔でおみつがうなずく。

 と、同時に幾人かの男達が二人に襲いかかってきた。

 振り下ろされた刀を受け流し、よろけた相手の脇腹めがけて刃を振り抜く。

 おみつを見ると、彼女は身の軽さを最大限に活かし、流れるように男達の急所を斬りつけ
ている。

 今朝、長刀を持っていたときよりも動きは早く、まるで、短刀がおみつの手のように自在に動い
ている。

 これならば、心配はいるまい。

 小さく息を吐き、京香は精眼の構えで、自分を囲う三人の男に目を光らせた。







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