花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜(24/87)PDFで表示縦書き表示RDF


【用語説明】
・小銀杏……与力・同心の髷の結い方。額の広い月代(さかやき)と、小さく短い髷が特徴で「八丁堀風」とも呼ばれた。
花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜
作:笠原綾乃



第三章 三日目−疑問と安堵−


「死人?」

 末吉のあわてたさまに、新吉はもちろん、源三も京香も緊張した様子で彼の言葉を待つ。

「へい。姐さんくらいの背格好で、黒い着物を着てました。年の頃は六十前後じゃねぇですかね」

 京香が一瞬、こちらを見た。おそらく、考えていることは新吉と同じであろう。

「よし、案内しろ」

 竹刀を源三に預け、腰の十手に手をかけた新吉は、再度京香と顔を見合わせうなずいた。そこへ。

「待って兄さん。私も連れて行って!」

 おみつが前に立ちはだかる。事情を知らない末吉は、おみつを見て、目を白黒させている。

「お前はここにいろ」

「迷惑はかけないから、お願い! その人……じいちゃんかもしれない」

「おじいさん?」

 おみつに問う京香の顔に、戸惑いの色が浮かんでいる。自分だって同じだ。自分らを脅しにかか
ったあの老人と、おみつの祖父が同一人物かもしれないとは。

「兄ぃ。この子は?」

「田舎から出てきた、新さんの妹なの。ね、新さん。おみつさんにも来てもらいましょうよ。いい
でしょう? 先生」

 京香の提案に、黙ったままの源三がうなずく。

「しかし先生」

「大丈夫だ。その代わり、おみつ、絶対に二人から離れてはいかんぞ」

「先生」

 抗議しようとした新吉を、源三が目で制してきた。

 承服しがたいが、源三が承知した以上、ここで言い争ってもらちがあかない。

「……わかった。姐さん、こいつ頼むわ」

「ありがとう、兄さん」

「末吉」

 礼を言うおみつを見ずに、末吉を追って新吉は駆けだした。


   ◇◇◇◇◇


「ほらほらどいた! 御用の筋だ」

 末吉の後ろから現れた新吉を見ると、人垣がさぁっと引く。

「姐さん、おみつとそこで待っててくれ」

 二人を押しとどめ、慎重に死体のあるほうへ近づく。

 少々水に濡れている身体のすぐ横に、空の酒瓶が転がっている。

 新吉は、その口にある水滴を指ですくい、そっとなめた。

 すると、かすかに鼻につく味がする。眠り薬の(たぐい)にしては、風味が強い。

(……毒薬?)

 自ら毒を飲んで死ぬ気なら、こんな往来で実行はすまい。

 と、言うことは――

(殺し、か)

 そう結論づけた新吉は、死体の顔をじっくりと見た。

 さまは変わっているが、小さな目、皺だらけの頬。それらは先日、新吉を脅したあの老人に違い
ない。京香も、見ればわかるはずだ。

 問題は。

「おみつ」

 ざわめいている人垣の前にいる妹の名を呼ぶ。

 ゆっくりと、ふたつの足音が近づいてきた。

 立ち上がり、京香に目をやる。死体のあるほうへ目をやった京香が、間違いない、といった風に
小さくうなずいた。その直後。

「……じいちゃんだ」

 京香の横で、おみつが力なくつぶやいた。

「間違い、ないか?」

 驚きを押し殺し、おみつに訊ねる。するとおみつは、自分に似た小さな目から涙をはらはらとこ
ぼし、しっかりとうなずく。

「どうして? どうして、こんなところで……。じいちゃん!」

 呼びかけると、おみつはひざを落とし、返事のない小太郎にすがって泣き始めた。

 その痛々しさに、新吉は思わず目をそむける。

「そんな簡単に、殺されるものかしらね。あの人が」

 隣にいる京香が、小さな声で新吉に問うてくる。

 確かにそうだ。

 自分をいとも簡単に翻弄し、京香を脅してきた人間が、こんなあっさり殺されるものなのか?

 それよりも、おみつの祖父がなぜ、自分らに『この探索から身を引け』と言ってきたのだろうか?

 答えを求め、再度、京香を盗み見る。

 しかし彼女はしゃがみこみ、泣きじゃくるおみつの肩に手を置いているため、その表情を伺い知
ることができない。

 再度、人垣が割れた。

 新吉が目をやると、髪を小銀杏に結い、端正な顔立ちに緊張の色をうかべた男が十手を持って現
れた。

「笹川さま」

「身元はわかったのだな」

「ええ。恐らく、酒を飲みすぎて川に落ちたものと」

 新吉の上役の同心、笹川将之進(ささがわしょうのしん)の問いに、新吉はうなずき、小声でささやいた。

「そうか……。可哀相に」

 京香の隣で泣き続けるおみつを、将之進は哀れみを持った目で見つめる。

 親代わりを失った妹の悲しむさまを見るのはつらいが、これでおみつを『期日内』に紀州に帰す
ことができる。

 二つの相反する感情に気づき、心の中で苦笑いしながら、新吉は小さくため息をついた。







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