花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜(23/87)PDFで表示縦書き表示RDF


【用語解説】
・四半刻……今の時間に換算すると約30分。
・下っ引き……岡っ引きの子分のこと。
花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜
作:笠原綾乃



第三章 三日目−秘めたる力−


 昨夜の雨とは打って変わった、雲一つない青空。

 新吉の店からは歩いて四半刻(しはんとき)ほどかかる源三の道場には、昇りたての朝日が、格子
戸から降り注いでいる。

 その中央で、紺の稽古着に身を包んだ京香が、肩で息をしていた。

 その表情は、古いつきあいの新吉ですらあまり見たことのない、緊迫したものだ。

 一方で、彼女と対峙している妹のおみつは、多少息をはずませているものの、額に汗がにじんで
いる程度で、どこかしら余裕を感じさせる。

(……こいつ)

 新吉は、京香を(しの)ぐおみつの身の軽さに目を(みは)った。

 幼い頃は、二人の兄に『ぐず』『のろま』とののしられ、泣いてばかりいたおみつが、今、自分
と同じくらいの実力を持つ京香と対等、いや、それ以上に渡りあっているのだから。

 京香が息を大きく吐き出した。白い肌には玉のような汗がいくつも浮かんでいる。

 正眼に構え、腰を落とした京香が目を閉じた。

 おみつに翻弄され続け、動揺しているであろう心を閉じ、「無」になろうというのか。

 京香のそのさまを見たおみつが、真っ正面から踏み込んだ。

「ばか! ……」

 新吉が二の句を告げる前に、おみつの剣が空を切った。

 前のめりになり、膝をついたおみつが振り向いた瞬間――。

 京香が振り抜いた木刀が、おみつの眼前すれすれで止まった。

「それまで!」

 白の着物に紺の袴をはいた源三の声が、場の緊張を解いた。すると。

「悔しい〜!!」

 座り込んだままのおみつが、口をとがらせた。

「お姐さん。もう一本!」

 立ち上がたおみつは京香に向けて、人差し指をつきつける。

「待て、おみつ。今度は俺が相手をしてやろう」

 まだ息が上がっている京香の様子を察したのか、源三が竹刀を持っておみつの前に立った。

「先生、負けないからね」

 竹刀の先を軽く合わせて、おみつが源三に敢然と立ち向かっていく。だが、源三相手では、おみ
つも苦戦しているようだ。

 源三は、まるで子供をあしらうように、おみつが逃げる先を見切り、軽く竹刀をあてがっていく。

「強いじゃないの。おみつさん」

 いつしか隣に腰を下ろしていた京香が、源三らに視線を向けたままつぶやいた。

「完全に油断していたわ。もし、あの子がまっすぐに向かってこなければ、負けていたかもしれない」

 京香の口から、小さく息が漏れたとき、ふと、新吉の脳裏に疑問がよぎる。

『なぜ、おみつは普通の少女として育てられなかったのか』と。

 閉じ込めることばかりを考えていたため気にも留めていなかったのだが、たすき掛けをした白い
着物の袖からのぞく腕は、厳しい修業に耐えた京香と同じような形をしており、おみつも、何らか
の訓練を受けていたことは明らかだ。

「どうして、先生がおみつさんと手合わせをしろって言ったのか、わかった気がするわ」

「え?」

「新さんも手合わせしてみたら? そうすればわかるかもしれないわよ」

 言った意味がわからず問うた新吉に、含み笑いをしながら京香が返した。

 その瞬間、源三のくり出した一手が、おみつの肩を強襲した。

 おみつが倒れ込む大きな音が、道場内に響く。

「おみつ!」

 心配した新吉が膝を立てる。しかし。

「痛いよ先生。手加減してくれたっていいじゃないの」

 肩を押さえて、おみつが立ち上がる。しかし、息は全くと言っていいほど乱れていない。肺の機
能が相当鍛えられている証拠だ。

「そなたに手加減などしたら、こちらが寝首をかかれるからな」

「何で二人ともそんなに強いの? 紀州じゃ私が一番だったのに」

「馬鹿。上には上がいるんだよ」

 京香の脇から竹刀を取った新吉は、二人に歩み寄った。

「今度は俺が相手になろう」

 新吉が竹刀を構える。すると、目の前に来たおみつが目を輝かせた。

「兄さんには負けないからね」

 静かに対峙する。

 構えはそれなりになっているものの、見た限り、竹刀の裁きかたはまだまだなっちゃいない。

 ならばなぜ、京香があそこまで追い込まれ、源三が本気を出したのか――。

(紀州で培った実力、とくと拝見させてもらおう)

 竹刀を軽く合わせる音。すずめの鳴き声。

 それらが、おみつの胸元を見据える新吉の耳に入ってくる。

 互いの剣先が力強くぶつかる。

 先に踏み込んだのは、おみつだった。

 真正面から来た彼女の切っ先を受け流し、右から竹刀を左に叩き込む。

 しかし、おみつは身を(ひるがえ)して新吉の剣をすっとかわした。

(……こいつ)

 想像以上の速さだ。

「やるじゃねえか。おみつ」

「……兄さんこそ」

 三人も相手にしているせいか、おみつの息が徐々にあがってくる。

 新吉は構えなおすと、素早くおみつとの間合いを詰める。

 一瞬、おみつの反応が遅れた。

(ここが、勝負!)

 新吉が「満」の構えから斬り込もうとした、その時――。

「兄ぃ! 兄ぃはいませんか!?」

 騒がしい足音が、緊張を解いた。間に割って入った源三が、新吉の太刀を軽く受け流す。

末吉(すえきち)さん、どうしたの?」

 とんだ血相で飛び込んできた下っ引きの末吉に、京香が優しく声をかける。

「た、大変です。そこの河原に、死体が――」







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