第二章 二日目−真の強さ−
『ここだな』
歩きがぎこちない京香を支えながら山道を歩く源三が、真新しい墓石の前で立ち止まった。
申し訳ない気持ちでいっぱいの京香は、目を向けることができない。
自分が、葵を止めていさえすれば。いや、葵を止められる強さを持っていたならば。
独りぼっちで土に還らずとも済んだろうに。
『……京香』
いつしか、はらはらと涙をこぼしている京香に気づいたのか、源三が、京香の手を強く握りしめる。
『葵が死んだのは京香のせいじゃない。だから、自分を責めるな』
源三の言葉に、ようやく救われる思いがした。けれど、葵を死なせてしまった自分の責は、どうあがいても消えるはずはない。
強くなりたい――今、京香の胸の中に初めて芽ばえた小さな炎。
ここで眠る葵のために今、京香に出来ることは、自分自身を高め、ここへ連れてこられた理由を自らの手で知ることだ。
そのためには、どんなささいなことからも、逃げていてはいけない。
そう決意した京香は涙を拭いて顔を上げると、新しい墓石をまっすぐ見据えた。
◇◇◇◇◇
いつしか目を閉じ、封じ込めていた記憶に入り込んでいた京香の頬に、雨粒が落ちる。
空を見上げた京香の視界に、源三が広げた傘の端が入ってきた。
振り返ると、源三が何もかもをわかっていると言わんばかりの表情で見つめている。
あの日以来、京香に何かがあると一番に異変に気づき、必ず助けてくれるのは源三だった。
今日も、自分が奥底にしまいこんだはずの感情を察知し、そばにいてくれる。
――守られている。いつも。
ありがたいと思う反面、自分の弱さを見せつけられているような気がして、やりきれない。
「……情けない」
「京香?」
「先生にはいつも助けられてばかりで……情けないんですよ。自分が」
『強くなりたい』
京香はあれから、葵を喪ったことを胸に秘め、ただその一心で厳しい訓練に耐えてきた。
それが実り、自分らが集められた目的―庶民のための御庭番として、上様のために働くこと―を知ったとき、もう二度と、葵のような犠牲者を出すまいと誓った。
しかし、その誓いが守られているとは言いがたい。
『もっと、自分が強ければ』――その思いが、常に心の中にある。
「俺は、京香を弱いと思ったことは一度もない」
「気休めはよしてくださいな」
源三が心の底から言ってくれたことくらい、わかっている。
しかし、今の京香にはそれを素直に受け止めることができない。
あの老人の底知れない強さに立ち向かえなかったことが原因で、また、新たな犠牲者を出してしまうかもしれない。
そんな思いが今、京香の胸に染み渡っている。
「本当の強さとは、何だ?」
「……え?」
口調はいつもと変わらない。けれど。
「お前の思う真の強さとは、自分より強い相手に闇雲に立ち向かって行くことなのか?」
源三の視線が、こころなしか鋭く見える。
「真の、強さ……」
うなずいた源三の手が、京香の肩に優しく添えられる。
「相手の力量を察知し、自らを引く。それも『強さ』だ。決して逃げなんかではない」
まるで小さな子供を諭すような源三の言葉が、今度はゆっくりと心に満ちていく。
もし、あの老人に立ち向かって命を落としていたなら、自分は、そのことを草葉の陰で後悔することになったかもしれないのだ。
「そう……ですね」
不思議なほど素直に、京香はうなずいていた。
「第一、京香が目の前からいなくなってしまっては、俺が困る」
「え?」
真剣な源三の眼差しが、京香を見下ろした。
なぜか、いつもは聞こえない心臓の音が、京香の耳に届く。しかし。
「ご飯を作ってくれる人がいないと、俺は死んでしまうからな」
長年一緒にいる自分には、わかりきっていた言葉のはずなのに、なぜ、胸が高鳴ってしまったのだろう。
「……まぁ。そんなこと言う人には」
「ご飯を作ってあげませんよ、だろう?」
言い知れぬ感情を隠すように発したいつもの台詞を先回りされてしまい、京香は思わず、声を立てて笑った。
「さ、行こう。父上が首を長くして待っているぞ」
京香は、少しだけ肩をすくめてうなずいた。
源三と同じ傘の下で歩く、月の見えない夜。
京香は、自分が求めていた『強さ』の意味が少しだけ理解できたような気がして、また一歩、踏み出せるような気がしていた。
しかし。
心を踏みにじるような事件がすぐそこまで来ていることを、今の京香は知る由もなかった。 |