花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜(2/87)PDFで表示縦書き表示RDF


【用語説明】
月代さかやき……おでこから頭頂部までの髪を剃り落とした部分のこと。江戸時代では元服
(成人)した男子のあかしでもあった。

立髪たてがみ……月代を剃らず、頭上の毛が立っている髪型のこと。おでこは四角に剃って
いる。
花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜
作:笠原綾乃



序章 前 夜−集合−


「父上! 何を考えておられるのです!」 
 あのあと、駆けつけた配下の者とともに、傷ついた供侍と天膳をどうにか屋敷へ連れ帰った京香と新吉を待っていたのは、天膳の長男であり、京香の従兄弟でもある、現、紀伊和歌山藩江戸家老の清水忠直の怒鳴り声だった。
「近頃、頻繁に『浮雲』に通っていらっしゃると聞いて、いやな予感はしていたのですが……。まさか京香や新吉を巻き込んでの犯人捜しとは、好奇心も度が過ぎますぞ!」
 おでこの月代に布をやり、冷や汗を拭きながら、忠直は声を荒げた。
「そんなに怒らなくてもいいではありませんか」
「京香。父上から話を聞いたときになぜ止めてくれなかったのだ。お前なら、父上がこうなることを知っておっただろうに」
 京香は見かねて口をはさむが、忠直の怒りが、今度はこちらへ向いてしまった。
「こうなるとは何だ! 忠直! ……いたたたた」
 思わず起き上がった天膳が、痛みに耐えかねて腰を折った。京香は慌てて天膳に手を貸し、部屋の中央にある布団へと再度横たえる。
「とにかく、辻斬りのことは大岡様を中心に奉行所で探索しておりますゆえ、金輪際、手出しは無用に願います。わかりましたね!」
 まるで小さな子供を叱るかのような口ぶりで、忠直は天膳に言い渡した。しかし。
「だがな忠直。我らが動かねば、辻斬りの手がかりを得ることはできなかったのだぞ。なあ、京香」
 天膳は、目を細めて京香に問いかける。
「ですが旦那……いや、清水様。手がかりといいましても、わかったのは頬に火傷のあとがある男というだけでは」
 それまで黙っていた新吉が、やや遠慮がちに口をはさんできた。
「新吉! 余計なことを申すな」
「父上、やつあたりはおやめ下さい。新吉の言うとおり、それは手がかりとは申せません」
 不満げな表情を浮かべる天膳を、忠直が勝ち誇った顔で見つめた。
 その姿が滑稽だったのか、新吉が声を押し殺して笑っている。
 しかし、気にかかることがある京香は、笑えずにいた。
 それは、あの男を見たときの天膳の反応だ。
 まるで、思わぬところで意外な人物に出会ったときの、あの態度。
 考えたくはないが、見る限り、あの男と天膳には、何か関わりがあるとしか思えない。
「失礼します」
 物思いにふけっていた京香の意識が、そこで途切れた。
 襖が開き、浅草にある示現流の道場を切り盛りしている天膳の次男、源三が姿を見せる。
 頭を立髪に結い、薄い灰色の着流しに身を包んだ源三の面立ちは、父に似た精悍な顔つきの兄とは違い、やや目が細く、黙って座っていれば色事に明るい優男に見えなくもない。
「兄上。先ほどからの大声は何事ですか?」
「ちょうどよかった、源三。お前からも言ってくれ。年甲斐もなく、無茶はしないでくれと」
 なおも苦虫をかみつぶしたような表情で今の状況を説明する忠直に、京香の隣に座った源三は笑みすら浮かべて答えた。
「それは無理というものです、兄上」
「何!?」
「今まで、この父上が、私たちの言うことに耳を傾けてくれたことがありましたか?」
「……確かに、ないな」
 わずかな沈黙ののち、忠直が納得したように返事をする。
 それと同時に、ついにこらえきれなくなったのか、新吉が吹き出した。
「こ、これ! 新吉」
 天膳の狼狽ぶりが、今度は京香の笑いのつぼを刺激する。
「京香、お前まで! ……もう、知らんわ!!」
 完全にへそを曲げてしまった天膳には申し訳ないのだが、新吉同様、京香の笑いも止まらない。
 しかし。
「ところで父上。火急の用ということで参ったのですが」
 源三の言葉が、なごやかな雰囲気を一気に断ち切った。
 渋い顔をしてそっぽを向いていた天膳が腕組みをし、目を閉じた。
 笑い続けていた京香や新吉はもちろん、忠直も、天膳のほうへ緊張した面持ちを向ける。
「父上、もしや」
 さっきとはうって変わった低い声で、忠直が問う。すると。
「……さよう。『依頼』じゃ」
 目を見開き、おごそかに天膳が告げた――。







ネット小説ランキング>歴史部門>「花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜」に投票 ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。(月1回)





ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




BACK | TOP | NEXT


小説家になろう