第二章 二日目−いとこ同士・其の一−
「堀田山城守様の?」
源三の問いに、京香はうなずいた。今日もお座敷がかかっているのか、黒地に蝶の刺繍をあしら
ったいつもの着物に身を包んでいる。
「ええ。迷いもせずに入って行きましたよ」
京香が、新吉の入れたお茶を飲み干した。どことなく表情にかげりがあるように見えるのは、源
三の気のせいだろうか。
「それと、変な老人に会いましてね」
「老人?」
新吉の目が京香に向く。
「この事件から手を引かないと、命を落としますよ、ですって」
京香が、言葉尻にとげを含ませる。どうやら、相当頭に来ているらしい。
「どんな奴だ? その老人」
「背は私ぐらいで、優しそうな細い目をしているんだけど、何だか薄気味悪い感じだったわね」
「……そいつだ」
新吉が、遠い目をしてつぶやく。
「じゃあ、私が会ったあの老人は、新さんを襲った奴と同一人物」
「間違いない。俺を脅すだけじゃなくて、姐さんまで……許せねぇな」
目の前の新吉はそう言うと、嫌悪感を露わにして杯をあおった。
「私も一杯頂こうかしら。先生、注いで下さる?」
隣にいる京香も杯を差し出す。
「おい、京香」
「こんな気分じゃ、お座敷、務まりませんからね」
「今夜のお座敷、誰かに代わってもらうわけには行かないのか? 姐さん」
「そうしたいところなんですけど、お客様がねぇ……」
京香が源三を横目で見た。
「春香と一緒か」
昨日、源三を通して春香に釘を刺されたのを受けて、早速天膳が手配したのものらしい。
「場所はまた『浮雲』かい」
「ええ」
「……ご愁傷様」
意味を察したのか、新吉が笑いをこらえ、京香に向かって合掌する。
「先生。早く」
京香が少し口をすぼませて、再度杯を差し出した。
今新吉が飲んでいるのは、酒に強くない彼自身が水で二倍に薄めたもので、飲み慣れている京香
なら、決して酔うことはない。
しかし普段の彼女なら、どんなに自分らが進めても、お座敷に出る前は決して酒を口にしないのに。
「まったく、しょうがないな」
差し出された杯に酒を注ごうとして源三は気づいた。
ほんのわずかに、だが、京香の手が震えている。
「どうも」
少し頭を下げた京香は、それを一気に飲み干した。
「さ、そろそろ行こうかしら。じゃ、新さん。お大事にね」
ほんの少しだけ笑みを浮かべ、京香は提灯を片手に店を出て行く。
「……相当荒れてるな。姐さん」
新吉は、京香の態度を額面どおりに受け取ったようだが、あの怒りはきっと、その老人に対峙で
きなかった、自分自身に対するもの。
そして。
「あれ? 先生。どちらへ」
立ち上がった源三を、新吉が見上げた。
「忘れ物を届けに行って来る。一人で大丈夫か?」
机の脇にあった自身の傘を掲げる。灯りを最小限にしてあるため、新吉は気づいていないようだ。
「なぁに、いざとなったら上で寝てるおみつを叩き起こして盾にしますよ」
二階を指差して、新吉が笑った。まだ戌の刻(午後八時)を少し過ぎた頃だが、いろいろあって
疲れたのか、おみつはすでに夢の中だ。
「じゃ、すぐに戻るからよろしく頼む」
そう言い残すと、源三は右手に傘を抱え、提灯に火を灯して表に出た。
辺りに吹く木枯しが、源三の身体をなめていく。
月もない暗がりの中で、京香は今何を思うのか。
決して弱音を吐くことのない従姉妹を追い、源三は足を速めた。 |