花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜(14/87)PDFで表示縦書き表示RDF


花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜
作:笠原綾乃



第二章 二日目−再会・兄と妹−


「どうしたんだ? 姐さん」
 上から、新吉の声が降ってきた。
「新さん、ちょっと」
 再度二階に上がり、新吉が着ている青い半纏の袖口を引いて下へ降りる。
「……おみつ」
 一階に下り、おみつの姿を見た新吉の声が、また低くなった。
 かと思うと、京香の手を振り払い、まっすぐおみつの方へ歩いて行く。
「新さん!?」
 京香や源三が止める間もなく、新吉の手がおみつの頬を強く打った。
 その反動で、おみつの身体が玄関脇に飛んでいく。
「新さん! 何もいきなり殴ることはないじゃないの」
「姐さんは黙ってろ。おい、おみつ。一体、どれだけ人に心配かけりゃ気が済むんだ!」
「…………」
「何とか言ったらどうなんだ? え?」
「訳も聞かずにいきなり殴られたんじゃ、言いたいことも言えないだろう。なぁ、おみつ」
 倒れたままのおみつに、源三が助け船を出す。
「新吉。お前が妹を心配する気持ちはわからんわけではないが、まず、おみつが江戸に出てきた理由を聞いてやるのが先だったんじゃないのか」
「おみつさんが新さんの妹だってこと、知ってらしたんですか? 先生」
 立ち上がったおみつが着ている桃色の小袖についた土ぼこりを払ってやりながら、京香は訊ねる。
「ああ。昨日の朝、本人から聞いた。林殿の娘だということもな」
「それじゃ」
 昨日、昼近くに訪ねて行った際、すでにおみつと会っていたということか。
「すまない。内緒にしていて欲しそうだったからな」
 京香の視線に気づいたのか、源三が申し訳なさそうに小さく頭を下げる。
「……あきれた。で、おみつさん。どうしてあなた、江戸に出てきたの?」
 おみつに背を向けたまま動かない新吉に代わって、京香は問いかける。
「……人を、捜してるの」
「人を?」
「うん。私のおじいちゃん。名前は、菊池小太郎って言うの」
「菊池小太郎? それがじいちゃんの名前か」
 黙ったままだった新吉が、おみつのほうを振り返った。まだ少し顔色が悪い。
「お母さんは亡くなったって聞いたけど、その時のこと、覚えてない?」
「こいつが俺達のところに来たのが一歳半で、やっと歩き始めたばかりだったからな」
 首を小さく振ったおみつのすぐあとに、新吉が答えた。
「ねえおみつさん。菊池殿はどんな人? 紀州では、どんなお役目に就いていたの?」
「どうした? 京香。やけにいろいろ訊いてくるじゃないか」
 京香の様子に不審を持ったのか、源三が問うてくる。
 京香は言葉に詰まった。殺されてしまうかもしれない本人を目の前にして、本当の理由が言えるわけがないではないか。
「先生、ちょっといいです? 姐さん、おみつのこと頼むわ」
「新さん」
 京香は驚いて新吉を見る。
 京香を見返した彼の目には、ある種の決意があるのか、さっきとはうって変わった力強い輝きがあった。
「いいだろう。俺も、おまえに訊きたいことがあるからな」
 うなずいて、新吉は階段を上っていった。源三もそれに続く。
 二人の後ろ姿を、頬を真っ赤に腫らしたおみつが不安そうに見つめている。
 源三の『訊きたいこと』は京香にもだいたい察しはついている。そして、その答えも。
 その答えを源三が知ったとき、彼は、この兄妹をどうするつもりなのか――。
 京香も少し、不安だった。


   ◇◇◇◇◇


「……そうか」
 自分が思っていた以上の答えを突きつけられ、源三はそのまま押し黙った。
「あいつのこと、黙っていてすみません。もし、清水様に報告する必要があるなら、して下さっても構いません。でも……」
 流れる沈黙。
 新吉が言いたいことはなんとなくわかっている。
 林家では禁忌とされているはずのおみつの存在。
 もし、それが天膳や忠直よりも上、つまり将軍や幕閣に知れたら、御庭番筆頭としての軍太夫の地位が危なくなる。
 新吉は、それを心配しているのだろう。
 どうすればいい。
 おみつの存在を知ってしまった以上、自分の上司でもある父や兄に報告しなければならないのは、わかっている。
 しかし……。
 源三も知りたかった。軍太夫が江戸に出てきたおみつを殺す、と言ったその理由を。
 彼女が江戸にいられる猶予はあと二日。
 その間におみつを助けて小太郎を見つけ出すことができれば、彼を江戸へ連れ出し、京香たちに襲いかかった、頬に火傷の跡がある浪人との関わりを聞きだせるかも知れない。
「親父達には言わん」
「先生……いいんですか?」
 驚いた様子で顔を上げた新吉に、源三はうなずいた。
「ただし、これはおみつにもお前にも、辛い仕事になるかもしれん。それでもいいか?」
「おみつも……ですか?」
 源三はうなずいた。兄である新吉には、小太郎と浪人のことを話しておいたほうがいいだろう。
「実はな」
 そう、口を開いたそのとき。
 階下で大きな物音がするのを、源三は聞いた――。 







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