花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜(13/87)PDFで表示縦書き表示RDF


【用語説明】

・縫物職……衣服に様々な色の糸を使って刺繍をほどこす者のこと。
花ぐるま事件帳〜恩讐の彼方〜
作:笠原綾乃



第二章 二日目−それぞれの朝・其の二−


 どれほどの時が過ぎたのか。

 新吉と京香はまだ、何も言わずに互いを見やっていた。

「何とか言ったらどうなんだよ」

 いたたまれなくなり、先に目をそらしたのは、新吉だった。

「それはこっちの台詞。新さんこそ、私たちに何か隠してるんじゃないの?」

 痛いところをつかれ、一瞬、京香の胸元に視線をやる。

「いくら辻斬りの仲間に襲われたからって、あんなところで大の字になって寝てる新さんを見たら、
何かがあったことくらい、察しがつくわよ」

 ……京香の言うとおりだ。

 いつもの自分ならば、煙幕を張られる前にそれを察知し、何らかの防御はしたはず。

 なのにそれをせず、やすやすと倒れてしまったのは、あの男におみつのことを言われて頭に血が
上ったからにほかならない。

「眠り薬を吸わされただけだったからまだよかったものの、あそこで命を落としたら、だれが一番
悲しむと思ってるのさ」

「……悪い」

「謝る相手が違うでしょう」

 震える声でぶっきらぼうに言うと、京香は袖口で涙をぬぐい、改めてこっちを見た。

「答えてもらうわよ。あんたと、あの薬屋にどういった関わりがあるのかを」

 京香の目が、再び新吉を見た。

 もう、隠し通せない――新吉は、覚悟を決めて京香に向き直った。


   ◇◇◇◇◇


 外へ出ると、晩秋の空に高く昇った太陽が、おみつを照らした。

 大きく吐き出した息はすでに白く、江戸の町に冬が近いことを教えてくれる。

「さ、行くぞ」

 中から棒をつっかけ、家の戸締まりをした源三がおみつに声をかけてきた。

「うん」

 歩き出した源三に小走りで追いつき、小さくため息をつく。

「何か心配ごとか?」

「うん……。兄さん、怒ってるだろうなって」

「そりゃ当然だ。黙って家を出て、外泊したんだから。張り飛ばされるだけじゃすまないかもな」

「そんな〜」

「大丈夫だ。俺はあいつの弱みを握っているからな。うまく言っておくよ」

 心底困ったおみつの頭にそっと手を添えて、源三が小さく笑った。そこへ。

「あら、先生」

 小ぎれいな格好をした女性が、大きな風呂敷包みを持って声をかけてくる。

 年の頃は三十過ぎだろうか。少ししわがめだつが、目の大きい、きれいな人だ。

「お小夜さん。また仕事か」

「ええ。注文がひっきりなしなもので。……そちらは?」

「ちょっと事情があって預かっている、おみつって子だ。こちらは縫物職のお小夜さん」

「よろしくお願いします」

 おみつは小さく頭を下げた。しかし、お小夜はそれに答えずに、ただじっとおみつの顔を見つめ
ている。

「お小夜さん? どうした?」

「え? ……ああ、ごめんなさい。ちょっと知り合いのお嬢さんに似ていたものだから」

 源三に向けて笑みを浮かべてはいるが、目が笑っていない。

「じゃ、急ぎますから。おみつさん、また」

「……はい」

 軽く会釈をして去っていくお小夜の後ろ姿から、おみつはなぜか目が離せなかった。


   ◇◇◇◇◇


「……三日以内に紀州に帰さなければ、殺す?」

 新吉から告げられた事実が、京香の胸を突き刺した。

「はっきり言ったわけじゃねえがな。多分、そういうことだろうよ」

 胸の前で手を組んで、新吉が大きく息を吐いた。

「どうして、林様がおみつさんを殺さなければならないのよ。いくら妾の子だからって、林様にと
って、おみつさんは実の娘じゃない」

 身体の奥から、怒りがこみ上げてくる。

 保身のためか何なのかは知らないが、存在自体をなかったことにしたあげく、江戸へ出てきたか
らって殺すだなんて、冗談じゃない。

「ねえ。おみつさんの母親って、どんな人なの? 身分は?」

 母親の素性に疑問を持った京香の問いに、新吉は、皆目見当がつかないと言った表情で小さく首
を振る。

「あいつを親父から紹介されたときに、母親は死んだって聞かされた。身分も知らねえ」

「そう。……でも、本当に亡くなったかどうかは、まだわからないのよね」

「何、考えてる?」

 暗くよどんでいた新吉の目が、京香の言葉に反応して輝いた。

「早くおみつさんを捜し出して、母親のことを詳しく聞くのよ。どうして、彼女の存在が林家から
抹殺されなきゃならなかったのか。それを盾に林様に詰め寄れば、どうにかなるかも知れないわ」

「そんな簡単に言うなよ。相手は公儀筆頭御庭番だぜ。だいたい、俺たちにはやらなきゃならない
ことがあるじゃねえか」

 弱気な台詞を口走った新吉に、京香は思わずむっとした。

「あ、そ。じゃあ、おみつさんがこのまま殺されてもいいって言うのね?」

「そんなこと、だれも言ってないじゃねえか」

「決まりね。私、おみつさん捜しに行って来るわ。先生が来たらお願いね」

 立ち上がって部屋を出たのと同時に、階下の扉が開く音が聞こえた。

「あら。先生」

「新吉は寝てるのか?」

 店の内側にかけてあるのれんをくぐって、源三が訊ねてくる。

「いえ。起きてますけど……。何か?」

「新吉の捜し物を届けに来たんだがな。おい」

 振り返り、身体をずらした源三の後ろには――。

「……おみつさん」

 昨日と全く違う装いをしたおみつが、うつむいたまま立っていた。







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