第二章 二日目−それぞれの朝・其の二−
どれほどの時が過ぎたのか。
新吉と京香はまだ、何も言わずに互いを見やっていた。
「何とか言ったらどうなんだよ」
いたたまれなくなり、先に目をそらしたのは、新吉だった。
「それはこっちの台詞。新さんこそ、私たちに何か隠してるんじゃないの?」
痛いところをつかれ、一瞬、京香の胸元に視線をやる。
「いくら辻斬りの仲間に襲われたからって、あんなところで大の字になって寝てる新さんを見たら、
何かがあったことくらい、察しがつくわよ」
……京香の言うとおりだ。
いつもの自分ならば、煙幕を張られる前にそれを察知し、何らかの防御はしたはず。
なのにそれをせず、やすやすと倒れてしまったのは、あの男におみつのことを言われて頭に血が
上ったからにほかならない。
「眠り薬を吸わされただけだったからまだよかったものの、あそこで命を落としたら、だれが一番
悲しむと思ってるのさ」
「……悪い」
「謝る相手が違うでしょう」
震える声でぶっきらぼうに言うと、京香は袖口で涙をぬぐい、改めてこっちを見た。
「答えてもらうわよ。あんたと、あの薬屋にどういった関わりがあるのかを」
京香の目が、再び新吉を見た。
もう、隠し通せない――新吉は、覚悟を決めて京香に向き直った。
◇◇◇◇◇
外へ出ると、晩秋の空に高く昇った太陽が、おみつを照らした。
大きく吐き出した息はすでに白く、江戸の町に冬が近いことを教えてくれる。
「さ、行くぞ」
中から棒をつっかけ、家の戸締まりをした源三がおみつに声をかけてきた。
「うん」
歩き出した源三に小走りで追いつき、小さくため息をつく。
「何か心配ごとか?」
「うん……。兄さん、怒ってるだろうなって」
「そりゃ当然だ。黙って家を出て、外泊したんだから。張り飛ばされるだけじゃすまないかもな」
「そんな〜」
「大丈夫だ。俺はあいつの弱みを握っているからな。うまく言っておくよ」
心底困ったおみつの頭にそっと手を添えて、源三が小さく笑った。そこへ。
「あら、先生」
小ぎれいな格好をした女性が、大きな風呂敷包みを持って声をかけてくる。
年の頃は三十過ぎだろうか。少ししわがめだつが、目の大きい、きれいな人だ。
「お小夜さん。また仕事か」
「ええ。注文がひっきりなしなもので。……そちらは?」
「ちょっと事情があって預かっている、おみつって子だ。こちらは縫物職のお小夜さん」
「よろしくお願いします」
おみつは小さく頭を下げた。しかし、お小夜はそれに答えずに、ただじっとおみつの顔を見つめ
ている。
「お小夜さん? どうした?」
「え? ……ああ、ごめんなさい。ちょっと知り合いのお嬢さんに似ていたものだから」
源三に向けて笑みを浮かべてはいるが、目が笑っていない。
「じゃ、急ぎますから。おみつさん、また」
「……はい」
軽く会釈をして去っていくお小夜の後ろ姿から、おみつはなぜか目が離せなかった。
◇◇◇◇◇
「……三日以内に紀州に帰さなければ、殺す?」
新吉から告げられた事実が、京香の胸を突き刺した。
「はっきり言ったわけじゃねえがな。多分、そういうことだろうよ」
胸の前で手を組んで、新吉が大きく息を吐いた。
「どうして、林様がおみつさんを殺さなければならないのよ。いくら妾の子だからって、林様にと
って、おみつさんは実の娘じゃない」
身体の奥から、怒りがこみ上げてくる。
保身のためか何なのかは知らないが、存在自体をなかったことにしたあげく、江戸へ出てきたか
らって殺すだなんて、冗談じゃない。
「ねえ。おみつさんの母親って、どんな人なの? 身分は?」
母親の素性に疑問を持った京香の問いに、新吉は、皆目見当がつかないと言った表情で小さく首
を振る。
「あいつを親父から紹介されたときに、母親は死んだって聞かされた。身分も知らねえ」
「そう。……でも、本当に亡くなったかどうかは、まだわからないのよね」
「何、考えてる?」
暗くよどんでいた新吉の目が、京香の言葉に反応して輝いた。
「早くおみつさんを捜し出して、母親のことを詳しく聞くのよ。どうして、彼女の存在が林家から
抹殺されなきゃならなかったのか。それを盾に林様に詰め寄れば、どうにかなるかも知れないわ」
「そんな簡単に言うなよ。相手は公儀筆頭御庭番だぜ。だいたい、俺たちにはやらなきゃならない
ことがあるじゃねえか」
弱気な台詞を口走った新吉に、京香は思わずむっとした。
「あ、そ。じゃあ、おみつさんがこのまま殺されてもいいって言うのね?」
「そんなこと、だれも言ってないじゃねえか」
「決まりね。私、おみつさん捜しに行って来るわ。先生が来たらお願いね」
立ち上がって部屋を出たのと同時に、階下の扉が開く音が聞こえた。
「あら。先生」
「新吉は寝てるのか?」
店の内側にかけてあるのれんをくぐって、源三が訊ねてくる。
「いえ。起きてますけど……。何か?」
「新吉の捜し物を届けに来たんだがな。おい」
振り返り、身体をずらした源三の後ろには――。
「……おみつさん」
昨日と全く違う装いをしたおみつが、うつむいたまま立っていた。 |