第二章 二日目−それぞれの朝・其の一−
遠くで鳴くにわとりの声で、京香は目を開けた。
「あら、こんなところで寝ちまったんだわ」
傍らで眠り続ける新吉を起こさないよう、そっと立ち上がり、部屋を出る。
彼が眠っている隣の部屋を開けるけれど、おみつが帰ってきた形跡はない。
彼女はなぜ、突然兄の前から姿を消したのか?
そして、新吉はどうして、執拗なまでにおみつを閉じ込め、捜しているのだろうか?
「……そういえば」
昨日の朝、自分が源三の家から帰る際、町で新吉に話しかけていた人物がいた。
薬屋を装ってはいたけれど、あのたたずまいからして、忍び。それも、公儀御庭番と見て、まず間違いはないだろう。
あのときの新吉はまるで、何かにおびえたような青白い顔をしていた……。
そして、もうひとつ。
昨晩、新吉をおぶったときに源三が言ったひとこと。
『きょうだいそろって、強情なんだから』
きょうだい、と確かに源三は言った。
新吉に二人の兄がいることは承知しているが、京香はおろか、源三もその姿を見たことはないはずだ。
新吉は眠ってしまい気づかないようだったが、どう考えても、あの後の源三の様子はおかしかった。
「……何か、ありそうね」
京香はつぶやく。このまますぐにでも源三の家に赴きたいところだが、眠っている新吉を、このままほおっておくわけにもいかない。
とりあえず朝ご飯を作るために、京香は足音を立てずに下へと下りて行った。
◇◇◇◇◇
「兄さんが?」
驚いたようなおみつの表情を見て、源三はうなずいた。
「たいしたことはないと思うが、いかんせん、眠り薬をかなり深く吸い込んでいるようでな。今、京香がついていてくれてるよ」
「どうして……」
ご飯を食べる手を止めたおみつが、一点をじっと見つめたままつぶやいた。
「岡っ引として下手人を捕らえようとやっきになったのだろう。命が助かっただけでも、よしとしなければな」
おみつが焼いてくれたいわしを頭からほおばり、ご飯をかきこみながら、源三は答える。
これがまた、意外とおいしい。
紀州の山奥で天真爛漫に育ったおみつだけに、料理はできないはず、とたかをくくっていたのだが、家事一般を大方こなすようで、部屋はきれいになっていたし、洗濯物もきちんとたたんである。
「あたし……。兄さんのこと、何にも知らないんだね」
「十年ぶりに会ったばかりだ。知らなくて当然だろう。……どうする? 家に帰るか?」
「それは」
おみつが言葉をつまらせた。
「もし、おみつが素直に帰るのなら、俺が兄さんに口添えをしてやってもいいぞ。紀州に帰るのは、菊池殿を見つけたあとだって構わないだろうからな」
「本当? 先生」
暗かったおみつの表情が、一気に明るくなる。
「ああ。ちゃんと話し合って誤解を解いたほうが、お前たち兄妹のためにも一番いいだろう」
「先生。ありがとう」
おみつの無邪気な笑顔に、源三の顔にも思わず笑みがこぼれた。
◇◇◇◇◇
お粥の炊けたいいにおいが、新吉の鼻をくすぐった。
そっと目を開けると、明かりが差す障子の向こうで、小さな女性の影が動くのが見えた。
「あら新さん、起きたの?」
小さな土鍋をお盆に乗せて、京香が顔をのぞかせる。
今日もいい天気のようだ。直接入ってくる朝日が、目にまぶしい。
「悪いな。すっかり面倒かけちまって」
傍らにたたんであった薄い半纏を羽織り、新吉は起き上がる。
まだ軽いめまいはあるものの、身体のだるさや頭痛はもう取れたようだ。
「何言ってんの。みずくさいわね」
「姐さん、風邪引いたのか?」
少し鼻にかかった声になっている。
「ちょっとね。そこで寝てしまったものだから。すぐ治るわよ」
「すまない」
気にすることないわよ、と笑って、京香がお粥をよそった茶碗を差し出した。
「食わせてはくれないの?」
「そんなこと言う元気があるんだったら、自分で食べなさい」
「ひでぇな」
そう言いながら、一口、また一口とお粥を口にする。
塩加減がちょうどいい。
「ねえ、新さん」
しばらく黙っていた京香が、ふいに名を呼んできた。
「ん?」
「昨日の薬屋、新さんの知り合いなんでしょう?」
口に入れようとした最後の一口が、れんげからこぼれ落ちる。
「……何で、そう思うんだ?」
いつになく低い声が、自分の口から出た。京香を見る目が険しくなるのが、はっきりとわかる。
しかし京香はそれにひるむ様子もなく、ただ、まっすぐに新吉を見ていた。 |