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封珠猪鹿蝶奇伝

作者:回天 要人
こちらの小説は和風小説企画参加作品です。
企画サイトはこちら↓↓
http://wafuukikaku.web.fc2.com/
 牡丹の花咲き誇る頃、根無し草の風来坊・州浜兵部すはまひょうぶはふと思った。
「牡丹といえば…蝶だよな…?」
 州浜はふと独り言を呟き、自分の背後に控える仲間を見やる。彼の背後には長身で細身の男と、小柄で愛らしい少女、巨体の黒牛とイヌワシが思い思いに寛いでいた。牛や鷲は見なかったことにして、州浜は長身の男と少女を交互に見た。彼らは一見ただの人間だが、よくよく見ると耳の形状が普通の人間と少し違っている。男の方は赤茶色の毛の生えた鹿の耳、少女の方は鈍い茶色の毛の生えた猪の耳なのである。
 自分に向けられる妙な視線に気がついた男と少女は、何事かと州浜を見つめ返した。顎に手をやって、気難しい顔で考え込んでいた州浜はポンと一つ手のひらを打つと、胡坐を掻いた姿勢からすっくと立ち上がった。
「ようし決めた…!今後の旅の目的は、蝶の妖怪を探すことにする!」
 州浜の赤髪が風に靡いた。州浜は天に視線を向けて、高らかに宣言した。しかし、仲間たちはいまいちの反応を見せた。男の方は怪訝な顔つきになり、少女の方は困ったような苦笑いをした。鷲と牛は我関せず、あたりを飛び回ったり、のっそりと草を食んでいるばかりだ。
「猪鹿蝶そろえて何するつもり…?」
 瞳を煌かせる州浜に、鹿の男がため息をつきながら尋ねた。
「何って、別になんということもないけど。」
 州浜は少年らしいあどけない笑みを見せる。
「じゃあそんな面倒くさいことしなくても、今まで通り適当に旅して適当に妖怪と戦ってればいいじゃない。」
 鹿男の顔には大きく「めんどうくさい」と書かれていた。この男は何事にもやる気を見せず、常にあくびをしているような気だるい生き物だ。元気はつらつを絵に描いたような州浜とは、根本的に相反する。
「そもそも長年妖怪やってる俺でも、蝶の妖怪なんて聞いたことないよ。」
 ついでのように男が付け加えた一言に、さすがの州浜も眉根を寄せた。縋るような目で猪耳の少女を見るも、少女も鹿男に同意するように、うんうんと頷いていた。

 *

 州浜兵部一行は当てのない旅をしている。というか、結果的にそうなってしまった。元々、州浜はただの鍼師見習いで師匠について方々を巡っていたのだが、旅先でなぜだか州浜ばかり妖怪の類に絡まれ、知らぬ間に事件の渦中にいるようになり、そのうちに鍼の仕事をする暇がなくなり、そうこうするうちに師匠とはぐれ、いつのまにか妖怪と共に旅をする羽目になってしまった。初めは師匠との再会を望んでいた州浜だが、何年間か妖怪と共に旅をするうちに自分は妖怪相手に奔走している方が性に合っていると気付いてしまった。今では仲間も四人に増え、時に迷える妖怪を封じたり諭したり仕置きをしたりと、忙しい毎日を送っている。

 *

 出鼻をくじかれた州浜はぐるりと身体を回して空を飛びまわるイヌワシに問う。
「お前らの中で一番妖怪歴が長いのはお前だろ、燈空ひくう。何か知らないのかよ、蝶の妖怪について。」
 空を飛んでいたイヌワシは傍らの木の枝にとまると、人間の言葉でこういった。
「蝶の妖怪なあ…聞いたことがないわけじゃねえが……。」
 イヌワシは自分の翼を繕いながら答えた。州浜はその言葉を聞いて、それみたことかと鹿男を見た。
「ほらほら!居るじゃないか蝶の妖怪!せっかく牡丹の季節なんだから、牡丹に蝶を探さなきゃ損だろ!」
 州浜は腕組みをして鹿男や少女に詰め寄った。少女は困り顔で鹿男を見て、鹿男は口をへの字に曲げて肩をすくめた。
「じゃあ君は紅葉の季節になったら鹿を探すわけ?俺と出会ったときは真夏だった気がするけど。」
「私の時は冬でしたぁ。」
 鹿男と猪少女は口々にそう言った。するとイヌワシが鼻で笑う。
「はっ、要は動きたくねえ、めんどくせえってんだろ。これだから小鹿のバンビは…。」
 嫌味を言われた小鹿のバンビこと番尾ばんびは木の上にたたずむ鷲の姿を睨んだ。
「誰が小鹿だよ…!そこの耄碌鳥と違って若々しいってことだからね!?君こそ、最近じゃ妖力不足で人化じんかするとすぐ息切らすじゃないか。手首でこっそり脈拍確認するのはやめなよね、じじくさい。」
「何だとぅ!!」
 言って返されたイヌワシの燈空は、木の枝から飛翔すると空中で姿を青年に変えて地面へ着地した。黒髪に褐色の肌が印象的な二十代前半の若者だ。対峙する番尾も燈空と同じ年頃の若者に見える。しかしこちらは燈空に比べると、少しばかり貧弱な印象が否めない。
「誰が耄碌鳥だって?俺たちにとっちゃ、お前ら小鹿は餌なんだよ、ご馳走なんだよ。いつ捕食されても おかしくない状態だって、お前わかってて口利いてるのか?」
「ああそう。老いぼれた鳥が若作りしていきがっても迫力に欠けるよね、迫力に。ガタイがいいとか力強いならまだしも、鳥のときの君は鷲にしちゃ小柄だし、人化しても俺とたいして体形変わらないじゃない。恐れを感じたことなんて一度たりともないから。」
 言い合う鹿と鷲の間に割って入るのは猪の少女・桃亥とういだ。桃色の髪におっとりした印象の大きな目、口元から覗く八重歯というか小さな牙が猪の断片を見せている。
「喧嘩はやめてくださいぃ。」
 おろおろと鹿と鷲の周りをうろつく猪。こんな構図はもう見飽きているとばかりに州浜は三人を無視して牛の背に飛び乗った。この黒牛、名をくろがねという。無口でおっとり、のんびりしており、一行の中では最早荷車的な扱いしかされていないが、立派な妖怪である。と言っても、本人に悪さをする気がないので、黙っていればただの黒い牛だった。ちなみに鐵が人化をすると美女になるとも雄雄しい男性になるとも言われているが、その実、鐵の人化を見たものは一行の中にはいなかった。
「よーし、喧嘩は後回しにして、とにかく出発だ!牡丹の季節は待ったなしだからな!いくぞお前ら!」
 州浜は鐵の脇腹を一蹴りして街道を進んだ。胸倉を掴みかからんばかりににらみ合っていた鹿と鷲はマイペースな州浜の姿に戦意を削がれ、互いにそっぽを向いて州浜の後を追い出した。桃亥は一旦落ち着いた喧嘩に安心して、小走りで一行の先頭へ行くと鐵の鼻緒に結ばれた綱を持った。鐵の先導は専ら桃亥の役目である。

 *

 この世に巣くう妖怪とは、本能的で欲望の塊だ。獣の姿をもつ種族が圧倒的に多く、鋭い爪や牙を持ち、通常の生き物より力も体も強くて丈夫だ。理性に欠け、思い通りにならなければ誰彼かまわず傷つけ、暴れまわる。己のためにだけ生き、誰かに付き従うことは決してしなかった。
 妖怪が妖怪同士の世界を持ち、獣の姿で一生を過ごすのなら、人と野生動物が一定の距離を置いて共存するのと同じように、同じ土地で共に生きることができたかもしれない。けれど妖怪は、人化して人間の世界に紛れ込んだ。妖怪の世界を人間の世界へ持ち込み、妖怪の常識が人間に通用しないとわかると暴れまわった。
 人間は妖怪を嫌った。人よりも遥かに優れた妖怪の力を封じようと、さまざまな道具を作った。道具を操ることに長けた人間は妖怪退治屋になり、それを生業とする者もいる。
 けれど、州浜を取り巻く妖怪たち・イヌワシの燈空・鹿の番尾・猪の桃亥・黒毛牛の鐵は比較的穏やかで人間に近い感覚を持っている。彼らもかつては恐ろしい妖怪だったのだが、州浜と接するうちに角がとれて丸みを帯びた。どうやら州浜には、妖怪に好かれ且つ彼らの性格を穏やかにさせる力があるらしかった。といっても、技や術で妖怪たちを改心させるわけではない。州浜がするのは、妖怪にただ接することだけだ。人間の中で特別強いわけでもない、州浜はただの人だ。むしろ、それしかできない。
 州浜に妖怪たちを改心させたいなどという意思はなかった。その日その日、出会った妖怪と何かするうちにいつのまにか妖怪が改心しているのである。州浜にしてみれば、流れに身を任せ、柳のようにふらふらのんびり人生を謳歌しているだけなのだが、どういうわけか事がすべて丸く収まっている。
 州浜は必然的に妖怪退治屋的なものにならざるを得ず、今に至る。

 *

「で、燈空の知る蝶の妖怪の話ってのは?」
 牛の背に乗り、街道を進みながら州浜は燈空に尋ねた。燈空は番尾の言うように妖力に不足があるのか、再び鷲の姿に戻っていた。
「俺が聞いたのは蝶族ちょうぞくの話だ。山奥に蝶の羽を持つ人化した妖怪が群れになって暮らしているらしい。やつらはいつも着飾って、己を美しく保とうとする。身なり同様、どの蝶族も美しく愛らしい顔をしているとか。」
 燈空は空を飛びながら州浜に告げた。その言葉を聞いて、番尾がボソリと呟いた。
「山奥って、大雑把な話…。」
 一瞬瞳を煌かせた燈空だったが、番尾を無視して話を続けた。
「噂を聞いたやつが北紅山のイヌワシ妖怪だったから、きっと北紅山付近にいるんだろう。」
「北紅山かあ、割と近いじゃないか。」
 州浜は燈空の話を聞きながら、うんうんと頷いた。順調に事が進みそうだと思っているのかもしれなかった。
「いっそ、蝶族の一人を仲間に出来たら万歳なんだけどなあ。なあ、桃亥もそう思わないか?」
州浜は同意を求めるように桃亥に呼びかけた。
「はい、州浜さま。お仲間が増えればもっと楽しい旅になりそうですぅ。」
「だろ~?猪鹿蝶に牛と鷲なんて、豪華じゃないか、なあ?」
 州浜はさらに賛同を求めるように、仲間に呼びかけるのだが、
「俺は嫌。これ以上大人数で動いたらめんどうくさい。」
 と、番尾は答え、
「俺はかまわないぜ。この先厄介な妖怪に出くわす可能性もある。戦闘要員が増えるのは歓迎だ。」
 と、燈空は答えた。鐵は無言のままだが、是非もないだろう。
「さすが老いぼれ鳥は利己的だねえ。自分に体力がないからって、人に頼るんだ?」
 番尾は燈空の答えを聞いて再び角の立つような言葉を発した。
「小鹿のバンビはまた面倒くさいかよ。いい加減お前も自発的に動け。」
 負けじと言い返す燈空に、番尾は何食わぬ顔で、
「はいはい。これだからじーさんは説教くさくてやだやだ。」
 と、首を左右に振った。
 更なる喧嘩が繰り広げられそうな雰囲気だったが、鶴の一声で一行の視線はとある一点に集中した。
「誰かぁ!!誰かお助けください!!」
 こうしてまた、一行は事件の渦中へ飲まれるのである。

 *

「誰かぁ!!誰かお助けください!!」
 そう悲鳴を上げていたのは、街道の端に立つ茶屋の女将だった。歳の頃は三十路をいくらか過ぎたあたりで、姉さん被りをしている。肉付きのよい、快活そうな女だった。女将は店の出入り口から顔を覗かせ、片腕を伸ばして遠くを指し示した。女将が示す先には小袖姿の若い娘がいた。
「どうした、女将さん!」
 州浜は鐵から飛び降りると、駆け足で茶屋の前まで飛んでいった。州浜の後を追うように桃亥が駆け、燈空が降下してくるが、番尾や鐵は歩みを早める気配もない。
「盗人、盗人だよ!あの子を追っかけとくれ!」
「あの子!?」
 女将は声をかけてきた州浜の背を、その太い腕で押す。もうすぐ林の影に隠れて見えなくなりそうな娘を追って、州浜は背を押された勢いのまま駆け出した。が、瞬間州浜は小さく舌打ちをする。相手が若い娘とはいえ、州浜との距離が開きすぎている。娘に撒かれるのは目に見えていた。
 すると、州浜の後方から頼もしい声が聞こえてきた。
「俺に任せろ!」
 駆ける州浜を軽々と追い越して、燈空が娘の元へ飛んでいった。
「必死に挽回だねえ、燈空じいさん。」
 慌てる一同を他所に、のんびりとあくびをしながら歩く番尾は、自慢の翼で飛んでいく燈空を眺めながらそんなことをぼやいていた。

 *

 燈空は無事に盗人の娘に追いついた。追いついた先で燈空が人化をしたものだから、盗人の娘は吃驚仰天し、腰を抜かせた。青年へと姿を変えた燈空に両腕を捕まれた娘は、間もなく追いついてきた州浜や桃亥に引き渡された。娘はよほど驚いたのか、桃亥に抱きしめられながら両肩をぶるぶると震わせていた。
「怯えさせては可哀想ですぅ。」
 盗人の娘を支えながら、桃亥が燈空に文句を言った。
「盗人に優しくしてやろうって考えが間違ってんだよ。で、そこの娘は何を盗ったんだ?」
 燈空はなおも凄んだ様子で娘に詰め寄った。娘はすっかり観念して、つややかなぎょくの飾りを燈空に差し出した。
 玉を差し出した娘の手はあかぎれが酷かった。日常的に水仕事でもしているのだろうか、燈空は娘をじっと見つめた。着ている着物はお世辞にも上等とは言いがたく、ところどころ破れを繕った跡が見える。髪にも艶はなく、邪魔にならないように結ってあるだけ、といったところ。飾り気など皆無で疲れたような顔をしていた。
「何に困ったのか知らねえが、人のもんに手を出すのはいけねえな。」
 燈空は娘に目線を合わせながら言う。すると娘は素直に、
「はい。今後は一切、盗みなどいたしません。」
 と、小声ではあったが、きっぱりとそう言った。
「番所に突き出すような真似はしねえよ。女将さんに謝って、早く家へ帰んな。」
 州浜は意気消沈した娘の肩を叩きながらそう言って笑みを見せた。三人に取り囲まれながら、娘は逃げた茶屋へと戻り、女将に丁寧に頭を下げると、よろよろした足取りで林の向こうへ消えていった。
 娘の姿が完全に消えたころ、ちゃっかりと茶屋で椅子に座りながら茶と団子を食していた番尾が言った。
「俺たちも宿に向かおうよ。捕り物騒動で疲れちゃったし、蝶々探しは明日からでいいじゃない。」
 ずずーと茶を喫し、番尾は湯のみを卓に置いた。
「何もしてない奴が言うか。」
 青年姿のままの燈空は、腕組みをして茶を飲む番尾を見下ろした。
「女将さん。この辺に宿のありそうな町ってある?」
 州浜は番尾の提案を汲んで、女将にそう尋ねた。女将は盗人を捕らえた礼とばかりに、州浜たちに手製の団子をいくつか包んでやっていた。女将は笹の包みを桃亥に渡しながら答えた。
「その街道をまっすぐ進んで、林の先で山に少し入ったところに、小さな宿があるよ。もう少し大きい町まで行く気なら、着くのは夜中になっちまうかもねえ。」
「そうなんですかぁ。」
 桃亥が女将の言葉に相槌を打った。
「じゃあ今夜はその宿に決定だな。」
 州浜はそう言って椅子から立ち上がると、店の外で待たせてある鐵の背にまたがった。

 *

「ごめんくださぁい。」
 間延びした桃亥の声が、宿の玄関口から建物内へと響いた。すると奥の方から、
「はぁい!ただいま!」
 という女の声がした。
 板の間の廊下を素足で駆けるような音がした後、
「いらっしゃいませ!」
 と、先ほどの返事の主、明るい声の若い女将が姿を現した。きちんと髪を結って煌びやかな簪を刺し、唇には紅まで差している。女将はよほど着飾ることが好きなのか、宿の外観にそぐわず、女将の姿だけが異様に煌めいていた。
「私たち、旅の者ですぅ。一晩泊めてください。」
 桃亥は両の手のひらを胸の前で合わせ、女将にそう頼んだ。女将は桃亥の肩越しに玄関の外で待機する州浜一行を見て、
「うちには牛小屋がないのですが…それでもかまいませんか?」
 と、言った。
「はい。この牛さんは妖か………、」
 桃亥は妖怪である鐵の正体を明かそうとした。すると、いつの間にか桃亥の背後に現れた番尾にその口を塞がれてしまう。桃亥が抗議する間もなく、番尾は交渉役を奪い取ると、矢継ぎ早に話しだした。
「この牛はよぉおっく人に懐いてるからさ、小屋に入れなくたって逃げたりしないよ。それはそうと、俺とこの桃色頭だけ部屋分けてくれない?あっちの鳥とか小僧は一緒でいいし、むしろ格下の雑魚寝くらいで。あ、格安にね?」
 番尾はにこやかに微笑む。どうやらこの鹿男は、自分の利益の為なら自発的に行動するらしい。
「は、はぁ…。」
 若い女将は困惑した表情を浮かべつつ、客に対する笑みだけは絶やさなかった。

 *

 部屋へと案内された一行はしばらく思い思いに時を過ごした。一行が再び出発すべく顔を合わせたのは翌朝のことだった。
「みなさん、朝餉の時間ですよ。」
 と、廊下に響き渡る女将の声に触発されたのか、宿の庭に居た鶏の元気な鳴き声が聞こえ、州浜は茣蓙の上から身を起こした。
「ふああぁ、もう朝かぁ。」
 肩や背中を擦る州浜の傍らで、
「あの鹿野郎、ひどいもんだぜ…。本当に州浜を茣蓙で寝かせるたぁ…。」
 すでに目覚めていた燈空は梁の上にとまって州浜を見下ろす。
 すると州浜は、
「番尾はあれでも、いざというとき頼りになるんだ。」
 と、言った。どうしてか我儘放題の番尾に州浜は文句一つ言わない。燈空の顔には「ホントかよ」と書かれていた。
 州浜と燈空が部屋から出ると、丁度桃亥が自室から顔を覗かせたところだった。
「あ、おはようございますぅ。」
 爽やかな笑顔で桃亥は言う。旅の疲れなど欠片も見えなかった。
「朝餉は広間だそうですぅ。」
「ああ、そうみたいだな。」
 州浜もつられて笑みを見せる。桃亥と州浜、燈空の三者は廊下を広間まで並んで歩いた。
「で、噂の鹿男はまだ寝てるってのか?」
 燈空は誰ともなしにそう尋ねた。それを受けて州浜は桃亥の顔色を窺ったが、
「私はまだお顔を拝見していないですぅ。」
 桃亥は顎に指をつけて上目遣いに記憶を思い起こしたが、今朝目覚めてからは一度も、番尾の姿を見ていない。
「燈空、ちょっと行って起こしてこいよ。」
 州浜は言う。
「何で俺が、」
 と、文句を言いかける燈空だったが、
「身軽だろ?ほら、自慢の羽で一っ飛び。」
 と、州浜に促され、しぶしぶ旋回して、来た道を引き返した。
「あの野郎、手間かけさせやがって……。」
 燈空は程なくして番尾の部屋の前にたどり着いた。鷲の姿のままでは引き戸が開けにくいので、その場で人化し、廊下に降り立った。そして片手で乱暴に引き戸を引くと、
「おい鹿野郎!飯だぞ!」
 と、不機嫌に声をかけた。すると部屋の中には、
「げっ!!お前、何してんだ!!」
 一体の鹿の姿があった。本来ならあるはずの角が折れて無くなってはいるが、それでも体格のよい美しい若い鹿だ。
「…………ッ!!」
 大鹿は何か訴えたい様子なのだが、言葉になって聞こえてこない。地団駄を踏むように前足を踏み鳴らしているばかりだ。様子からして、何かに怒っているようではあるのだが。
 そこで燈空は、以前州浜から聞かされた話を思い出した。番尾は獣化じゅうかすると人の言葉を話せず、覚醒が長く続くと人化していた時の記憶を無くすというのである。
 州浜が番尾と出会った当初、番尾は手がつけられないくらいの暴れ鹿で、大きな角で誰彼かまわず傷つけていたという。州浜はその頃から本格的に妖怪と関わるようになり、州浜の噂を聞きつけた商人が封印の札やら壺やら甕やらを売りに来る機会も多かった。州浜は当時たまたま所持していた封珠ふうじゅで番尾の角を封じ、無理やりに人化させた。以来番尾は自ら人化を解くことはなく、州浜の側でどうしてか旅を続けている。州浜は改心したのだろうと言ってはいたが。
「あぁそういや、人化が解けるとお前は話せねえんだったな…。おおい!州浜!封珠もってこい!小鹿の野郎が……。」
 燈空は部屋の入り口から顔だけを覗かせると、廊下の先へ向かってそう叫んだ。州浜は燈空の呼び声に返事をした。

 *

「え、封珠?代わりの封珠なんて持ってないぞ?」
 州浜は燈空に呼ばれるがまま、番尾の部屋までやってきた。鹿の姿へと変貌した番尾を見て、困ったように眉根を寄せる。
「その首にかかってるのは封珠だろ。人間のお前には必要ないじゃないか。」
 燈空は州浜の首を指し示す。州浜は自分の首にかけてある珠を撫でたが、
「これは番尾の角を封じてるんだ。俺の首からこいつを外すと、番尾は昔のような暴れ鹿に戻るかもしれない。」
「角だって?」
「ああ。それに番尾の角は俺の腹に刺さってるんだ。今は見えないけど封を解いたら角が実体化して俺の腹に風穴が開くぞ。」
「お前が封珠つけてるのって、ただの飾りじゃなかったのかよ……。」
 事も無げに言う州浜に、燈空は呆れ顔だ。
「しかし、話せねえとなると事情がさっぱりわからねえな。」
 燈空は鹿になった番尾を見る。州浜も同様に困ったような目で番尾を見た。
「そうだなあ。誰かに封珠を奪われたんだろうけど、番尾がそんなヘマをやらかすとも思えないし。」
「いや、こいつは案外ぼやぼやっとしてるところあるぜ?寝ている隙に盗人に取られたり…、」
 燈空が盗人と言う言葉を発した瞬間、番尾は再び地団駄を踏んだ。
「ん?本当に盗人に取られたってのか?」
 州浜が番尾へ確認するように尋ねると、番尾は再び地団駄を踏む。
 そうこうするうちに、廊下の向こうから州浜を呼ぶ声が聞こえてきた。
「州浜さま~!アツアツの白飯ごはんが冷めてしまいますよぉ~!」
 番尾の部屋へ行ったきりなかなか戻ってこない州浜を追って、桃亥もこちらへやってきたようだ。桃亥は部屋の前できちんと「失礼しますぅ。」と声をかけると、両手で引き戸を開いた。
「「あぁっ!!」」
「………ッ!!」
 州浜と燈空、番尾の三者は一斉に声をあげた。
 桃亥の一歩後ろに、侍っている少女がいる。少女は、こちらを向いてあんぐりと口を開けた三者に小声で挨拶をした。
「おはよう、ございます…。」
 三人が驚いたのも無理は無い。娘は、昨日の捕り物騒動の犯人だった。

 *

「あんた、昨日の、」
「昨日は大変ご迷惑をおかけいたしました。」
 州浜が戸惑ったように言うと、娘は深々と頭を下げた。盗みをするような人間とは思えない丁寧なお辞儀だった。
「お前、なんでこんなところに居るんだ。」
 燈空が尋ねると、
「ここは私の家なのでございます。昨夜皆様をご案内した若女将は、私の姉にございます。」
 家の者に盗みの話を隠しているのか、娘は常よりも小声で「昨日のことは、どうか御内密に。」と言った。
「ッ!!」
 娘の登場によって、番尾の鼻息は荒くなる。しきりに地団駄も踏んだ。
「おい、州浜。まさか…。」
「まさか、なぁ?」
 燈空と州浜は互いに顔を見合わせる。二人の顔には困惑の色が窺えた。
「昨日の今日でまだ盗むか?しかもつい今さっき昨日のことを謝ったばかりじゃないか。」
 と、娘を庇う州浜に対し、
「馬鹿野郎、演技かもしれねえだろ。下手に出ておいて俺たちを油断させようって魂胆かもしれねえ。じゃなきゃ、小鹿が何で怒る?」
 と、燈空は厳しい意見を述べる。
「それによぉ、昨日小娘が盗ったもの、ありゃ玉だったぜ?」
「玉だから、どうした。」
「封珠だって、玉じゃねえか。効能はどうあれ、見た目だけは小娘が欲しがりそうな代物だ。」
「じゃあ、どうする?」
「どうするって、そりゃ、」
 州浜と燈空は昨日の娘を見つめた。ここは単刀直入に尋ねてみようと言うのだ。もし娘が犯人であるならば、まともな返事が返ってくるとは到底思えないが…。
「おい小娘。」
 燈空は睨みをきかせつつ、娘を見下ろした。娘は一寸肩を震わせ生唾を飲み込んだが、そろりそろりと燈空を見上げた。
「お前、こいつの首にかかってるような、玉の飾りを知らねえか?」
 燈空は州浜の首を指差しながら尋ねた。
「………。」
 娘はしばらくの間、州浜の首にかかっている封珠を見つめた。
「いいえ、存じません。」
 が、娘の口からはそんな返事が返ってきた。首を小さく左右に振りながら、怯えた様子で、瞳に僅かな涙さえ浮いていた。
「………。」
 州浜の目には娘が潔白であるように映った。

 *

「手詰まりだぜ…どうする?」
 燈空はイヌワシの姿に戻って、昨晩寝泊りした格下の部屋の梁にとまっていた。茣蓙の上で胡坐をかく州浜、その隣で正座をする桃亥を見下ろしながら二人に問う。
「仕方ない。ここは番尾に事情を聞いてみるしかないか。」
 州浜は腕組みをしながら燈空を見上げた。
「聞いてみるって、どうやって?」
「ちょっと大事になるけど、俺の封珠を外すしかない。そして今度は、外した封珠で番尾を封じる。」
「腹に風穴が開くんじゃなかったのかよ。」
「開くさ。開くから大事なんじゃないか。」
「州浜さま、まさか番尾さんのために命を……?」
 桃亥は両の手のひらを頬にあてて、怯えたように首を振った。
「命をなくす前にお前たちが番尾から話を聞くんだ。手際さえよければ、俺が死ぬ前にまた角を封印できる。大丈夫。再封印は、別に何か難しい呪文が必要ってわけじゃない。話が済んだら、俺の首に封珠をかければいいだけだ。」
 州浜は常になく真剣な様子で二人に告げた。燈空には番尾と喧嘩をするなと忠告し、桃亥には何があっても番尾の話だけ聞けと念を押す。決して自分のことには構うな、と。
「いいか。手際が勝負だ。俺がこいつを外したら、すぐに番尾の首にかけてやれ。」
 いつもは飄々としている州浜が真剣な様子でそう言うので、燈空と桃亥はだんだんと緊張してきた。額に冷や汗が滲んでさえくる。二人とも己の心のうちでもしものことを考えては、そうさせたくないという思いを強くした。州浜が居なければ今の自分たちはない。なんだかんだと、州浜がいるからこうして旅をしているようなものだ。州浜が居なくなれば、自分たちは本当に目的もない、ただ暴れまわることしか知らなかったあの頃へ戻ってしまう気さえした。

 *

「じゃあ、いくぞ。」
 州浜は己の首にある封珠に手をかけた。
 州浜と燈空、桃亥の三者は、再び番尾の部屋へ戻った。番尾はだんだんと覚醒時を思い出してきたのか、顔つきが野生味を帯びてきた。あと一刻も放っておけば、人化していた時のことなど忘れて、暴れ鹿に戻ってしまいそうだった。
 生唾を飲み込む燈空と桃亥。燈空は再び人化して青年の姿に戻っていた。鳥のままでは暴れ鹿を押さえ込むにも、苦しむ州浜に封珠をかけるにも力不足だからだ。
「死ぬなよ、州浜。」
 顔面蒼白の桃亥は息をしているのがやっとの状態。燈空は動悸を無理やり抑えて、州浜に告げる。
「ああ。お前たちの腕次第だ。」
 州浜はにやと笑った。空元気かも知れないが、今の燈空や桃亥にはありがたい笑顔だった。
 州浜は手にした封珠を一気に首から引き抜いた。
「─────ッ!」
 声にならない悲鳴が、空気を切り裂いた。封珠を持った姿勢のまま、州浜はその場に倒れこむ。
「州浜!」
「州浜さまぁ!」
 燈空と桃亥は同時に叫ぶ。州浜から返事はなかった。封珠が州浜の首から離れた途端、州浜の腹には三尺ほどの長い角が出現した。角は角自身で意思を持っているのか、四方八方に暴れ周って州浜の腹から抜け出そうとしていた。痛みの為か、州浜は声も出せない。歯を食いしばり、暴れる角を押さえ込もうと力のない両手で角を握った。
「州浜さまぁ!」
「うろたえるな、桃亥!早くそいつをよこせ!」
 おろおろしながら、州浜に手を伸ばした桃亥を、燈空は怒鳴りつけた。桃亥は州浜の側に転がった封珠を拾うと、震える手で燈空に手渡した。
「燈空さん!血が!血が一杯ですぅ!」
 州浜の腹、角と肉との接合部から次々と鮮血が流れ出た。流れては畳に吸収され、あたりに鉄臭い香りが充満した。
「うるさい!ピーピー騒ぐな!お前は角を押さえてろ!」
 燈空は桃亥に怒鳴りながら、豪快に封珠を番尾の首にはめ込んだ。

 *

 番尾が人化するや否や、燈空は番尾を殴りつけた。
「…んの、馬鹿小鹿ぁっ!!!」
 壁際まで吹っ飛ばされた番尾は、背中を打ちつけて僅かにうめく。殴られた頬を押さえながら、獣の時の名残を残して畳の床を踏みしめ立ち上がった。
「いきなり何すんのさ!」
「何じゃねえ!見ろ!お前のせいで州浜は瀕死だ!一人で人化くらい出来ろってんだ阿呆っ!」
「け、喧嘩は駄目ですぅ!州浜さまの言いつけですぅ!」
 桃亥自身、州浜の様子の酷さにうろたえ、州浜の忠告など忘れかけていたのだが。「州浜の言いつけ」という言葉で我に返った燈空は、番尾の胸倉を掴むと凄みながらこう言った。
「どういう話だ!?お前、どこで封珠を無くした!」
 番尾は燈空と同じように、燈空の胸倉を掴んだ。互いの額がぶつかり、がつんと鈍い音を立てた。
「あの娘だよ!あいつが、俺の封珠をくすねたんだ!何も知らないような顔して、俺はしっかり見たし聞いたよ!夜中にぶつぶつ繰言を唱えながら、妙な術を使うところ……!」
「妙な術!?」
 睨み合っていた燈空と番尾だったが、番尾ふと視線を床へ落とした。
「妙な粉だ。御免だの許してだの念仏みたいに唱えながら、変な粉振りかけられた。そした急に手足が痺れて…力が……、ああもう!思い出すだけで腹が立つ!あの小娘!!」
「で、お前の封珠はどこにあるんだ!小娘は他に何か言ってなかったのかよ!」
「封珠のありかがわかればとっくに取り返しに行ってるさ!他に何かって言われたって…、」
「思い出せ鹿頭っ!」
 燈空に怒鳴られ、番尾は小さく舌打ちをする。次いで、傍らで苦しむ州浜を見て眉間に皺を寄せる。番尾の額にも冷や汗が滲んでいた。
「………この玉で満足してくれるはず。」
 番尾は一寸考えた後、そう呟いた。
「はぁ!?」
 小声で呟かれた為か、興奮状態の燈空は大げさに聞き返す。すると番尾も、
「『この玉で満足してくれるはず。』そう言ったんだ!」
 今後は大声で怒鳴り返した。
「満足、だと!?まさかあの娘、誰かの指示で動いてるのか!?」
「知らないよ!そんなこと!」
 知らないと言い捨てる番尾に、燈空は歯軋りをした。掴んでいた番尾の胸倉を、壁に叩きつけるように突き放す。
 またも手詰まりかと思いきや、燈空は長年の記憶からある事柄を思い出す。
「いや待て…玉が好きな奴で……、痺れ粉…?まさか、まさかな、」
「何か、わかったんですか!?燈空さん!」
 桃亥が聞き返す。
「いや…俺の勘でしかねえ。けど、ひょっとしたら、」
「ああもう!なんでもいいから、今は君の勘に任せるよ!これ以上は州浜が危ない!」
 ぶつぶつ呟いてばかりいる燈空をよそに、番尾は封珠に手をかけた。
「州浜を殺したら許さないよ!」
「お前が言うか!元はといえばお前がどんくさいのが原因だろうがっ!」
「お二人とも喧嘩は駄目ですぅ!」
 三者は思い思いに喚いていた。何事かと気付いた女将たちが部屋へ駆けつけた頃には、傷口はないのに血まみれの州浜と、今にも泣きそうな顔でへたり込む桃亥、力を使い果たしたのか鳥の姿へと戻ってしまった燈空と、鹿の姿の番尾がおろおろとあたりを飛び回ったり動きまわったりしているだけだった。
 州浜のものと思われる出血に女将は顔を青ざめさせたが、歳若くも女将、冷静に判断して医師を呼んだ。

 *

 宿の女将の手によって、番尾は鐵の居る屋外へと連れ出された。泣き出しそうな桃亥に多くは尋ねず、女将はどこからともなくやってきた鹿に州浜が襲われたと状況を解釈したらしい。州浜を襲った鹿を退治しようと一時は躍起になった女将だったが、桃亥の訴えで屋外へ連れ出すに止まった。人を襲うような鹿をこのままにしておくわけにもいかない女将だったが「自分に任せて欲しい」と訴える桃亥を無碍にも出来ず、鹿のことは桃亥に任せることにした。
「大丈夫でしょうか、州浜さまぁ………。」
 桃亥は外に連れ出された番尾の傍らに居た。のっそり草を食む鐵も側に居る。
「燈空さんも、あのあとどこかへ飛んでいってしまわれるし………。」
 桃亥の瞳に涙が浮かぶ。
「こんなとき、役に立つ妖術でも使えたら、少しは州浜さまのお役に立てたかも知れないのにぃ。」
 桃亥は本格的に泣き始めた。慰めのつもりか、番尾は桃亥に鼻を寄せる。茶色の毛皮が桃亥の頬を擦った。

 *

 あくる日の朝。床から起き上がった州浜は部屋の中を見回していた。仲間の姿を無意識に探すが、桃色頭の女子も角のない鹿も、飛び回るイヌワシも居ない。州浜は自分の両手を見つめて、手のひらを握ったり閉じたりを繰り返した。どうやら自分は、この世に留まれたらしかった。
「おぉ-い。お前らー。」
 声を出すと僅かに腸に痛みが走るが、傷口と思われる部位を触ってもつるりとした肌があるだけで、包帯も巻かれていない。首元に手をやると、外したはずの封珠が元どおり戻っていた。
「桃亥―?」
 言いながら、州浜は桃亥の部屋の扉を開けた。中はがらんとしていて桃亥が居る気配はない。
「番尾―、燈空―、どこ行ったー?」
 名前を呼びながら廊下を歩いていると、州浜に気がついた女将が慌てたように駆けてきた。
「起き上がって、大丈夫なのですか!?」
 女将は州浜の前に立ちはだかって通せんぼをする。
「大丈夫、大丈夫。なんともないって医者も言っただろ?打ち所が悪くて倒れただけだって。それより、俺の連れはどこに行ったんだ?」
「桃亥さんなら、鹿の見張りをするって、徹夜で表に出てらっしゃいます。私たちが代わると言っても聞いてもらえなくて…。」
「表か…。」
 倒れた後の記憶はぼんやりとしか残っていなかったが、桃亥はおろおろしながらも燈空と番尾の喧嘩の仲裁をしていたように思う。三者の中で一番大人なのは桃亥かもしれない。
 州浜は女将に言われたとおり、玄関口から番尾や鐵のいる庭の方へ歩いていった。

 *

「州浜さまぁぁあ!」
 州浜が倒れている間、何度泣いたかわからない。桃亥はとうに枯れたと思っていた涙がまた溢れてくることに驚いた。
「よかった!よかったですぅ~!」
「お前らもよくやってくれたな。何か話せたのか、番尾?」
 人の言葉を話せない代わりに、番尾は足を踏み鳴らし返事の代わりにした。
「えっと、番尾さんは一昨日の娘さんに封珠を奪われて…。そのとき、粉を、痺れる粉を振りかけられたそうですぅ。」
「粉?」
「はい。燈空さんはその粉に何か思い当たるところがあるようで…。」
「そういえば、燈空はどこに行ったんだ?」
「角を再封印した後、どこかに飛んでいってしまわれましたぁ。」
 ぐずぐずと鼻を鳴らしながら桃亥は言う。州浜は思わず空を見上げた。
「張り切りすぎて、どこかで倒れてなきゃいいけど。」
 州浜は呟く。青い空から燈空が飛んでくる気配はない。
 燈空───イヌワシ妖怪として生きて早数百年。妖怪も人と同じく肉体あるものだ。当然衰える。妖怪はただ衰えを己の妖力でコントロールしているに過ぎない。燈空の場合は見た目に重きを置いているらしく、見た目こそ若くあろうとするが、肝心な機能に関しては衰えたまま知らないふりをすることが多い。
「おーい!」
 州浜が遠い目で空を見上げていると、どこかから呼び声が聞こえた。
「真相が分かったぜ!封珠の在処もな!」
「燈空!無事だったのか!」
 声は段々州浜たちへ近づいた。遠い空からイヌワシが一羽、こちらへ飛んできていた。燈空は遠くからでも目立つ桃亥の桃色頭を着地点に定めると、勢いを殺してふわりと降り立った。
「無事だったのかはこっちの台詞だ。失血多量で死ぬんじゃねえかと冷や冷やしたぜ。」
「俺の方こそ、あれほど言ったのに殴り合いの喧嘩を始めるから、あやうく三途の川まで行くところだった。」
「……殴りあってはねえ。ま、殴りはしたが;;」
 燈空は照れたように羽根をつくろう。一行が揃って空気が和んだところで、早く真相を告げろというのか、番尾が地面を踏み鳴らした。
「で、真相がわかったって?」
 州浜は燈空に聞き返す。
「ああ。俺の仲間に話を確かめに行ってきた。北紅山の蝶族の話を。」
「北紅山の蝶族?」
 州浜の思いつきで蝶の妖怪を探そうという話にはなったが、一連の騒動のせいで蝶の妖怪探しは頓挫している。どうして今蝶族が話題に上るのか、州浜と桃亥は不思議に思った。不思議そうな顔をする二人をよそに、燈空は続けた。
「小鹿が言ってた粉のことだ。人間が作った粉なんて、たとえヒヨッコでも妖怪である小鹿には大して効きはしねえ。なのに力が抜けて、まして身に着けてたはずの封珠を奪われるなんて、普通じゃ考えられねえ。だとしたら、その粉は人間が作った薬の類じゃなく、」
 燈空が言葉を切ると、州浜が続きを引き取った。
「妖怪が絡んでるってことか。」
「違いねえ。」
 燈空は頷く。
 州浜は眉間に皺を寄せ、さらに不思議そうに問う。
「けど、そこでどうして蝶族が出てくるんだ?」
「『この玉で満足してくれるはず。』小娘は封珠を奪い去るとき、そう言ったらしい。小娘は誰かにそそのかされて封珠を奪ったに過ぎない。いや、黒幕そいつはただ玉が欲しかったんだ。自分を引き立ててくれる美しい玉が。」
 美しい妖怪は人を惑わすことに長けている。というよりも、そのために美しくあろうとする。爪や牙を持たない代わりに、人や妖怪を惑わせて己の牙の代わりにする。宿屋の娘は妖怪の牙となり、番尾の封珠を奪ったのだろう。
「番尾の封珠を奪ったのは、蝶族だっていうのか?」
「蝶族は己を着飾って美しく保とうとする。それはこの間も話しただろ?粉の話も調べがついた。蝶族は羽からしびれ粉を撒き散らすってな。黒幕が羽から粉を採って、あの小娘に手渡した。そうに違いねえ。」
「美しく………、そういえば、」
 奇妙な者が一人いる。この宿の女将だ。宿の外観にそぐわず、異様に着飾った若い女将。
「あの小娘、言ってただろう。あの女将は姉だって。姉はあんなに着飾るくせに、妹のあいつは酷い有様だ。同じ家に暮らす姉妹にしちゃ、おかしいと思わねえか?」
「それじゃあ、あの女将は、蝶族の一人だってのか…?」
「確かめに行こうぜ。女将が封珠を持ってりゃ、俺の推測は当たりってわけだ。」
 一行は覚悟を決めて女将の元へ乗り込むことにした。が、州浜はまだ本調子ではない。獣化した番尾を戦闘の場に引き出せば、妖怪の本能を思い出して暴れ鹿に戻るかもしれない。一晩中情報収集に飛び回っていたはずの燈空にも、徹夜でおろおろしていた桃亥にも疲労の色が見える。鐵は元来戦闘向きではないし、一行には不安要素がいくつもあった。

 *

「ほら、姉さん。約束どおり大きい玉よ。きらきらして、見ているとなんだか吸い込まれそう。」
 そう言ったのは宿屋の娘。宿の仕事は人前に出て愛想を振りまいていれば勤まるわけではない。宿の裏方仕事は、働き者のこの娘が一手に引き受けていた。
「まぁ本当ね…!あなたならきっと、私のためにとって来てくれると思っていたわ。」
 姉のほころんだ顔を見て、娘はほっと息を吐いた。これでもう、人様の物に手を出さなくて済む。姉が満足さえしてくれれば、二度と盗みは働かない。
 「あの玉が欲しい」と姉は何度も、妹に頼んだ。「あの玉が欲しい。あの玉を取ってきて」と。頼まれる度、妹は盗みを働いた。玉を手にしなければ、姉は機嫌を損ねて仕事をしてはくれない。自分では、人前になんて出られない。姉のように美しくなければ、お客は離れていってしまう。妹は宿からお客が離れることを何より恐れていた。
「姉さん、これで最後にして頂戴ね?人様の物に手をつけるのは、本当に心苦しいの。」
 娘はそう言いながら、玉の首飾りを姉の首にかけた。
「……姉さん?」
 すると途端に、姉は大きく目を見開き、
「この玉は……!」
 身に起こった異変にうろたえた。
「羽を奪われる感覚は気持ち悪いだろ?」
 襖の向こうから、そう尋ねる低い声が聞こえた。
「俺も翼を持ってるからな。できればそんな物、身に着けたくはねえ。けど、そいつがないと困る妖怪もいるんだ。自分じゃ人化のできない落ちこぼれの小鹿がな。」
 姉は両手で襖を開いた。
「本当に、人間が妖怪を………!?」
 驚いて姉が見つめるのは、桃亥の頭上で羽を休める燈空ではなく、武器も持たないただの少年・州浜。姉は彼らに出会ったときから、彼らの正体に気がついていた。人間とともに旅をする妖怪の一行。何か裏があるのだろう、自分と同じようにゆくゆくは人間を利用して己の欲望を満たすのだろう、そう思っていたのだが、この状況は明らかに自分の予想とは違っている。
「その封珠は妖怪を人化させるためのものだ。人化の上手いあんたには必要ないよな。」
 州浜はにこりと笑いかけた。驚く姉妹は部屋の中で固まったまま。
 姉は心の内で呟く。これでは本当に、妖怪と人間が協力し合って仲間を助けようとしているようにしか見えない。
「どういうこと…?」
 妖怪を姉と思い込んでいる宿屋の娘は、戸惑いながら姉に問う。
「姉さんは、姉さんよね…?」
 姉は妹の言葉など聴いてもいない。
「なんてことなの…妖怪を従えた人間がいるだなんて…。」
 ありえないと呟きながら、姉は首を左右に振った。
「従えてるつもりはないけど。こいつらが勝手についてきてるだけだし。」
 州浜は飄々と答えた。
「勝手についてくる…?そんな話聞いたこともない。」
「そういえば、俺も俺以外でそんな人間は見たことないなあ。」
 州浜は視線を空中に彷徨わせ、一寸考えた。妖怪退治屋には何人か出会ったが、妖怪と共に旅をしている人間は見たことがなかった。
「おい州浜、会話してる場合か。そろそろ小鹿の本能が目を覚ますぞ?」
 のんきな州浜に燈空は呆れる。桃亥もわずかに苦笑した。州浜は「そうだった」と呟きながら、荷物の中からある道具を取り出す。
「あんたにはこっちの方が必要みたいだ。」
 州浜がそう言って取り出したのは、手のひらで握れるほどの小さな鏡だった。
「これは本当の姿を映し出す鏡。これであんたたち姉妹を映したら、何が見える?」
煌く鏡に視線が集まる。戸惑う宿屋の娘の隣には、大きな羽を持つ生き物が映し出された。
「きゃあああ!」
 宿屋の娘は悲鳴を上げる。顔からは血の気が引いた。目の前にいる美しい姉の姿が、鏡の中では化け物に見えたからだ。
「返さない!返さないわ!この珠は妖怪を人化させるものなのでしょう?私はずっと美しい姿でありたい、獣の姿なんて、私には必要ないのよ!」
 蝶妖怪は開き直ってそう叫んだ。妹はショックのあまりその場でうずくまってしまう。蝶妖怪は懐から布袋を取り出し、州浜たちに投げつけた。州浜たちの眼前には、黄金色に輝く粉が舞った。
「しびれ粉…!いったん散れ!」
 州浜の指示で一行はその場から思い思いに逃げ出した。
「っ…!」
 が、州浜の脚が数歩で止まる。急に走り出したため、腸に痛みが走ったのだ。
「州浜さまぁ!」
 異変に気がついた桃亥は咄嗟に人化を解いた。獣化した方が、桃亥は動きがすばやくなる。廊下には鋭い牙を持つ大きな猪が姿を現した。滑り込むように州浜を背に乗せると、一直線に駆け出した。
「桃亥!」
 桃亥のおかげで、しびれ粉からは逃げることができたが、今度は廊下の突き当たりが州浜の目の前に迫った。
「げっ!桃亥!停まれぇ!」
「とっ、停まれません~~っ!!」
 大猪は突き当たりの壁に体当たりをした。州浜はかろうじて受身を取って体勢を立て直したが、
「桃亥っ!」
 桃亥は目を回して廊下に倒れた。
「州浜!蝶が逃げたぞ!」
「何っ!?」
 燈空が宿の外から叫んだ。州浜は声の方向へ視線をやる。蝶妖怪は封珠を首にかけたまま、林の奥へ逃げ込もうとしていた。
「まずい!」
 蝶妖怪には地の利がある。入り組んだ山に入られてしまっては探し出せない。州浜は窓から外へ飛び出した。その間、燈空は蝶妖怪を追いかけようと空へ舞い上がる。
 が、すぐに力を失い、がくんと地面へ降下した。
「燈空!?」
 州浜は倒れた燈空の側に寄る。
「悪いな州浜…、俺も限界らしい。」
「燈空!」
 燈空はそのまま目を閉じた。体力切れで意識を失ったようだった。
 蝶妖怪の足は思いの他遅い。遅いのだが、今の州浜では追いつけそうにはなかった。
「くそっ…!」
 走り去る蝶妖怪の背を、黙って見ているしかないのか。州浜が悔しさに顔をゆがめていると、庭の方から獣の足音が聞こえてきた。現れたのは大きな鹿だった。
「番尾!」
 鹿は呼びかける州浜の声に耳を貸さない。それどころか、州浜の頭上を軽々と飛び越えて山の方へ駆けていく。蝶妖怪にも、すぐに追いつきそうだった。
「嫌っ!この玉は私のものよ!!」
 番尾の勢いに恐れを感じたのか、蝶妖怪は駆け足を鈍らせた。喚きながら、ぶんぶんと首を振る。
「嫌ぁっ!!」
 鹿は蝶へ追いつくと、逃げる蝶の背を足蹴にしようとした。
「よせ、番尾っ!」
 州浜は叫ぶ。しかし、番尾は止まろうとしない。
 鹿の足は蝶の背を蹴り上げた。
「きゃあああ!」
 背を蹴られた蝶妖怪は、叫び声を上げながら木の幹に身体を打ちつけた。
「番尾っ!!」
 州浜は腹を押さえつつ山へと走り出した。我を忘れた番尾では、蝶妖怪を殺めかねない。宿の娘を騙し、盗みを働いたとはいえ、命を絶つとは過ぎた罰だ。
「やめろ、番尾っ!」
 州浜は何度も制止の声をかけるが、番尾は聞く耳を持たなかった。
「ッ…ガハッ!」
 何度も蹴り上げられた蝶妖怪は、終いには吐血した。
「番尾っ!!」
 彼らの側へたどり着いた州浜は、咄嗟に蝶を庇う。番尾と蝶の間に割って入り、両腕を広げた。しかし番尾の足は止まらない。急に飛び出した州浜の胸を鋭く突いた。
「……ッ!!」
 州浜の身体は山の斜面に打ち付けられた。肋骨が数本折れたかもしれない。痛みのあまり気を失いかけた州浜だが、またも蹴りを繰り出そうとした番尾を見て、重い体を両腕で起こした。
「思い出せ!番尾っ!」
 州浜は起き上がると、自分の首から封珠を引き抜いた。暴れる番尾の首を腕で締め上げながら、もう片方の腕で封珠を番尾の首にはめ込んだ。
「…………!!」
 封珠はすぐさま効果を発揮する。番尾は再び人化の姿を取り戻した。
 番尾の記憶はしばらく飛んでいた。燈空に殴られ、怒鳴りながら事情を話した。角に腹を貫かれた州浜が、倒れて大量に血を流していた姿は覚えている。封珠が州浜の首へ返され、いったんは危機的状況を回避したことも記憶にあったが、燈空の話す真相を聞いている途中から記憶が曖昧だ。
 今、番尾の目の前には口から血を流す蝶妖怪がいた。その酷い姿に目を奪われていると、背後でどさりと、何かが倒れる音が聞こえた。音につられて首を回せば、自分の背後に傷を負った州浜が居た。
「州浜っ!!?」
 州浜の首には封珠がなかった。角は再び姿を現し、州浜の腹から抜け出ようと生き物のように動き回った。
「……!」
 番尾は事情を飲み込んだ。我を忘れた自分を封じるために、州浜は再び己の封珠を解いたのだ。またかこの光景か、と番尾は思った。州浜の腹に刺さっている角は番尾自身のもの、番尾の妖力の源だ。角は意思を持ったように暴れる。が、その実本体に還ろうとしているだけである。番尾が獣化してもある程度正気でいられるのは、州浜の腹に角を封じているおかげだ。角と本体が再び出会えば、番尾は二度と正気に戻れない気がした。
「州浜っ!!」
 番尾は蝶妖怪の首から封珠を引き抜いた。暴れる角に触れないよう気をつけながら、州浜の首に封珠をかける。
 すると角は姿形を一瞬で消した。
「州浜!」
 州浜の身体を起こし、声をかける番尾。州浜はゆっくりと目を開けた。
「州浜!」
「………番尾、戻ったんだな。」
 州浜は力なく微笑む。
「俺……っ、」
 番尾はらしくもなくうろたえた。一度ならず二度も州浜を苦しめた。番尾は悔しさに歯軋りをする。
「大丈夫…血の気は足りない気がするけど、死にはしねえや、………。」
「州浜!?」
「……後は任せた…。」
 州浜は静かに目を閉じた。番尾は咄嗟に、州浜の心の臓の音を確かめた。鼓動はどうにか、一定の調子で動いている。それには一寸安堵した。
 だがしかし、ふと周囲を見て番尾は呆然となる。
「………………これ、全部俺が片付けるわけ……?;;」
 あたりはひどい有様だ。すぐ側には力なく横たわる州浜と蝶妖怪。宿と山の丁度中間点には、だらしなく羽根をのばして倒れる燈空。宿の窓から中を覗き込むと、廊下の突き当たりで伸びている大きな猪がいた。暴れまわったおかげで廊下には破れた襖や障子が散らかっているし、しびれ粉も畳や廊下の上にぶちまけられていた。宿屋の娘はショックで気を失ったまま、女将の部屋の中で倒れている。
 誰から介抱して、どこから片付ければよいのか、考えると気が遠くなりそうだった。

 *

「うぅ……。」
 わずかなうめき声が室内に響いた。腹と胸が痛い。息をするとチクチクと腸に針を刺されるような心地がする。目を開ければ、州浜は床に寝かされていた。
「州浜さまぁ!」
「気がついたか、州浜!」
 うめく州浜を覗き込んだのは、桃亥と燈空。桃亥は少女の姿、燈空はイヌワシの姿でこちらを見ている。
「…番尾は?」
 姿の見えない番尾の居所を州浜は尋ねた。
「表だろ。今回ばかりは責任感じてるんじゃねえか?普段がああだから、気落ちしてるのを見ると気味が悪いけど。」
 燈空は答える。州浜は片手をついて体を起こした。起き上がると頭がくらくらとした。完全に血の気
が足りていない。
「まだお休みになった方が…!」
 桃亥が起き上がろうとする州浜を制止する。しかし州浜は微笑みながら制止を無視する。
「今回、俺は寝てばっかりだからな。最後くらい締めないと。」
「州浜さまぁ……、」
「蝶妖怪はどうなった?」
 州浜が尋ねると、桃亥と燈空の視線が部屋の隅の方へ注がれた。部屋の隅には州浜と同じように布団に寝かされた蝶妖怪と、宿屋の娘の姿があった。
「まだ目が覚めないようで…。あのお嬢さんは、ずっと侍って看病していらっしゃいますぅ。」
「まだ姉だと思い込んでるのか…?」
 州浜が疑問を口にすると、宿屋の娘は返事を返した。
「いいえ…、この方が私の姉さんではなかったと、すでに承知しています…。私は妖怪の術で惑わされていたのですね。本当の姉は、ずっと昔に、私が幼い頃に行方知れずのままなのです。そんなこと、知っていたはずなのに、姉さんが生きて帰ってきてくれたって、夢を抱いてしまって………。」
「そうだったのか………。」
「私ひとりでは宿を切り盛りする自信がなかったのです…。人に頼ってばかりで、お恥ずかしい。だから妖怪に目をつけられたんです。」
 宿屋の娘は力なく自嘲した。桃亥や燈空はじっと娘を見つめていた。州浜は床から起き上がると、俯く娘の側へ寄って、その肩を軽くたたいた。
「俺も、はじめの頃はそうだった。師匠とはぐれて心細いし、行く先々で妖怪には関わりあうし。」
「………。」
 俯いていた娘は、州浜を見上げた。
「けど、ある時から気分が変わった。鍼の仕事とは縁がなかった、妖怪に絡まれるのは、妖怪には縁があるからだろうって思った。出会う妖怪たちはみんな凶暴だったけど、俺があいつらに向き合ったら、みんな穏やかになっていった。」
 州浜は笑顔で娘に告げた。
「あんたもさ、できるかどうかわかんねえけど、とりあえず始めてみたらどうだ?案外うまくやっていけるかも知れねえ。」
 励ます州浜に付け加えるように、燈空も口を開いた。
「俺は向いてないとは思わなかったぜ。礼儀も知ってるし飯もうまいし。それなりに身なりを整えりゃ、綺麗になると思うがな。」
 桃亥も燈空の横でにこにこと微笑んでいる。
「……ありがとう、ございます。」
 娘は再び俯いた。頬にはわずかな紅潮が見られ、赤く色づいた頬に一滴の涙が伝った。

 *

「目が回るぅぅ………。」
 州浜は番尾の背に負ぶわれながら呻いた。
 気がついた蝶妖怪を鐵の背中に乗せて、一行は再び旅立った。蝶妖怪は手足を縄で拘束され、すっかり戦意喪失している。
「馬鹿野郎、無茶するからだ。」
 燈空が桃亥の頭にとまりながら州浜に言う。
「俺が動かなきゃ番尾は止められなかったんだ……。」
 州浜がそう呟くと、燈空は冷ややかな目線で番尾を見た。
「ハイハイ、俺が悪かったよ、すいませんでしたぁ。しょうがないじゃん、俺の妖力強いんだし?」
 皆から離れて物思いにふけっていると思いきや、皆の元へ戻ってきた番尾は実にあっけらかんとしている。
「お前、反省してたんじゃなかったのかよ!ちっとはしおらしく、ごめんとかすまんとかありがとうとか言えねえのかっ!」
「したじゃん。ちゃんと宿は片付けたし、君たちも介抱したし。今だって重たい荷物背負ってるし?過ぎ去ったことは水に流して前を向いて歩こうよ。」
「お前な…っ;;」
 燈空は呆れてものも言えなくなる。
「猪鹿蝶はそろったよ、州浜。こいつ連れてきてどうするわけ?仲間にするとか言い出したら、残念だけどここからは自力で歩いてね?」
 番尾は背にいる州浜に告げる。燈空は何か言いたげな視線で番尾を見たが、口を開きはしなかった。
「うーん、そうだなあ………。」
 宿から連れ出しはしたものの、州浜も蝶妖怪の沙汰を考えているわけではなかった。宿屋の娘が動き出すには、蝶妖怪が側に居ては邪魔だと思いはしたのだが。
「仲間の元へ返してやるか。燈空の話じゃ、蝶族は群れで暮らすらしいじゃないか。どうして一人だけ人里ではぐれてるのか、気になるし。」
「えぇ!?じゃあしばらくこいつと一緒に旅するわけ!?」
 番尾は州浜の提案に素っ頓狂な声を出す。
「まあ、そういうことになるよな。」
 州浜はにやと微笑んだ。怒った番尾は州浜を支えていた両腕を放す。
「ぐぉっ!」
 地面へ尻餅をついた州浜は、呻いて腹やら胸を押さえた。
「州浜さまぁっ!」
「小鹿!てめえっ!!」
「宣言はしたでしょ。州浜が悪いよ!」
 喚く三人の足元で、州浜が呟く。
「…やべ…、……肋骨、」
 胸の違和感がぐっと増した。州浜は胸を押さえて地面へ蹲った。
 番尾に肋骨を蹴り上げられたことは、州浜しか知らない。背から落ちた程度で何を大げさに、と番尾をはじめこの場に居る皆が思った。三者は足元の州浜を見下ろす。
「今ので…完全に折れた……………。」
 息も絶え絶えに州浜は呟く。脂汗が浮いて、ただでさえ悪かった顔色が青ナスのように青ざめた。州浜の骨折をたった今知った三者は、思い思いに喚きだした。
「折れてたなら言ってよっ!!!」
 と、番尾。
「すすす、州浜さまぁ!!州浜さまぁ!!」
 桃亥は州浜にすがり付き大声で泣き出した。
「馬鹿小鹿ぁっ!!てめえ責任とりやがれっ!!」
 燈空は番尾の頭上を旋回しながら、自慢の羽で番尾の頭を幾度も叩く。燈空の翼を己の腕で遮りながら、番尾は怒鳴り返した。
「しょうがないじゃん!俺だって今の今まで知らなかったよ、肋骨のことなんてっ!!」
 怒鳴りあう鷲と鹿の側で、おろおろと歩き回る桃亥。
「お医者さまっ!どなたかお医者さまはぁっ!!」
 これが、元は凶暴な妖怪だったのか、慌てふためく三者を見ながら、蝶妖怪は思う。仲間など、こちらの方から願い下げだ、と。



<終>
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