番外 ひらりひらりと舞う 17
戦闘シーンあります。ご注意ください。
古く長く続く組織や集団であれば、多少の差はあれ、総意に反する側というのは存在する。
オッファは、これまでじっと息を潜め、自分を支持する者を少しずつ増やしながら、反旗を翻すその時をひたすら待っていた。
……こんなことさえ起きなければ。
凍りつき、動きを止めたセリエをオッファは冷めた目で見やり、そのまま興味を失ったようにふいっと顔を背け、ドリアードの化身と相対した。
彼にとってこの精霊は、敬うへき対象でもなければ、護るべきものでもない。
ただ、障害としてそこに在るにすぎない。
おまえも相当鈍ったなとバスケスに皮肉たっぷりに告げれば、バスケスの方はまあそうだなと苦味を口にしたような表情であっさり受け入れ、ダガーを構えた。
「なんじゃ。オッファが動くとは」
いち早く回復したらしいグリエルが、結界内ではあのやりとりは聞こえなかったのか、居並ぶ二人の顔を交互に見、怪訝な表情を作る。
「なにいってんですか。俺だってやるときはやりますよぉ」
即座にオッファは道化の仮面を被り、いつものように話す。
「お嬢様を護るようにと、言われたんで」
それを聞いたセリエも、はっと冷静になり、小休止をして回復を図っていたクローディアの傍へ寄る。
あんな、あんな不審者に彼女の隣を任せるわけにはいかない!私が守らないと!
いつでも反撃できるようにと、オッファと、ドリアードたちを睨み、油断なく構え、精霊たちへと呼びかけていく。相変わらず反応は薄いが、それでも出来ることを、と探る彼女に、
「あ、じゃあそれで」
軽く言ってオッファは、クローディアの傍を任せ、少しは回復できたのか、こちらに戻りつつあるグリエル、レブレンス、生き残った守役のジュリアスとツェーロから、自然に見えるよう距離を取り、薄く黒ずんだ剣を構えた。
忌々しげに睨みつけるも、セリエはクローディアの傍を離れず、結界をいつでも展開できるよう準備をし、同時に呼びかけを続けていく。
「本体はどれなの……?」
クローディアが、より力を感知するモノを、と懸命に目を凝らして気配を追う。それは、ちらちらと場所を写し、留まってはいない。
やがてオッファに対し忌避行動を取っていた精霊の化身たちが、警戒し、臨戦態勢に移った……と思った次の瞬間、一斉に弾けた。
白い綿毛に包まれた種子が、広がり、ふわふわと上から落ちてくる。
「大気に漂うものよ……薄く」
セリエは、反応の薄い水の精霊へと、一心に呼びかけた。空気が乾き、パリパリと肌が乾燥してひりつき始める。
「精霊たち、お願い」
クローディアが空中に指先を滑らせ文様を描きながら自分を中心にぐるりと円を張った。炎の精霊は忠実に従い、熱風が辺りを襲い、種子に火を点ける。レブレンスが、よし、と頷き、さらに広範囲に炎を広げサポートした。
ドリアードのたちが身を躍らせ、比較的弱そうなツェーロを取り囲もうとするが、それより早く、
「風よ……頼む」
バスケスは風を纏い動く。オッファはまどろっこしい、と懐からもう一つ短剣を取り出し、こちらも闇を纏わせ、少女の一人を貫き、次へと向かった。花びらが茶色く萎れて散る。
『くッ』
三体、四体、五体……増えたドリアードがひとまずと二人を迎え撃ち、また別の一群がセリエと、それから、クローディアをじわじわと包囲する。
ドリアードの少女たちの猛攻に合い、少しずつ皆から離されていたヘイグは、少しばかり焦りながらも、空気中の細菌を活性化し、その触れようとする手を、腐らせることで対応していたが、傍にいたジュリアスの姿が見えないことに気づく。
包囲網を解こうとクローディアが炎を練り、展開させるその向こうで、大分離れた位置に追いやられていたジュリアスの地面が裂け、噴き出した木の根が彼を絡み取り、土の中へと一気に引きずり込まれるのが見えた。
強く緊張に満ちた叫び声とともに、地面が揺れ、シン、と静まり返る。
『やっとひとり……あんまりしつこいのは好きじゃないわ』
ふう、と首を振り、少女はぐるりと視線を巡らせた。その体にバスケスとオッファが同時に肉迫し、刃を食い込ませる。
少女の体はいくつもの弾丸に分かれ襲いかかり、咄嗟に張られたバスケスの結界にぶつかり弾け、回避しきれなかったオッファの腕を斬り裂いた。
舌打ちして布を破き、すぐさま止血をしながら、彼は、くそが、と吐き捨て、随分と来ちまったな、とぽつり呟いた。
その呟きを耳にしたバスケスにふと、オッファがまだグリエル老の下でともに、ただひたすら純粋に、修行に明け暮れてた頃を思い出した。
‘バスケス、こんなんじゃまだまだだぜ。おれはもっと強くなる!この村を出て、旅してまわって、最強を目指すんだ!’
鍛錬中何回もバスケスに一撃を食らわせ、風を操って反撃を防ぎ、完膚なきまで叩き伏せたあと、傷だらけの顔で宣言したあの少年は……もうどこにもいない。
何回も脱走し捕まっていたオッファはあの頃バスケスよりも精霊術の才能があると言われていたのに、坂を転げ落ちるように鍛錬をしなくなり、グリエルを避け、何度もの叱責にもやる気というものを見せなかった彼は、いつのまにか自警団の一員として目立たぬ生活を送っていた。
その、道を分けた違いはなんだったのだろう。自分もまた、同じものを見、強さを目指していたはずだったのに。
穢れを纏うオッファに精霊は寄り来ず、バスケスが風を纏い動きそうするのと同じように彼は自力でドリアードの一人を追い詰め、その身を滅ぼした。
クローディアたちと分かれた、ナスターシャ、ゼルネウス、ロッドの三人は屋敷に絡みつく、木の根がはびこる場所の奥へなんとか入れないかと、ぐるりと一周し、ここなら一番屋敷へと影響がないだろう、という、東の一角へ来ていた。
茂み、としかいいようのないほど根がびっしり覆っており、最奥まで辿り着くのには、相当の労力がいる、というのがひしひしと感じられた。
「…………焼き払うしかないっ、か」
決意を籠めて睨むナスターシャに、ロッドが、
「アーシャ、クローディアに渡された守り石を」
「え、ここでもう使っちゃうの?」
ため息を零し、
「いや、きちんと使えるよう直すだけだ。これは彼女仕様だから」
握り締め、再びナスターシャへと戻す。
「で、どうする。伐るのか、燃やすのか?」
カチャリ、とゼルネウスが剣をもたげ、ロッドは首を振った。それから手を根に当て、
《かつての盟約の縁を受けし一人、ロッドが問う。彼の存在の意志を》
と穏やかに投げかければ、やがて根は緩み、ひとりでに道を開いた。
驚きながらも、ナスターシャは、ずっと心の奥底に留めていたことを再び胸に思う。本来、ドリアードというのは、心優しき樹木の精霊だった、と。
そしてその中央には、決して通すまいと睨む、ドリアードの化身である少女の姿があった。
「ロッド……これは」
不安げにロッドを窺うナスターシャに、ロッドは静かな声で、
「アーシャ……こんなことを言うのもなんだが、僕は今一度、精霊に問い直したいと思っていた。なぜ、このようなことを、とね」
「それは……!!」
確実に、元は人が原因を作っている。ただ、それを告げれば、彼らは……!!
苦しみ悩むだろう。精霊に仕えてきた者たちならなおさら。そして、この局面において、それは、この村の破滅を意味する。アーシャは口を開きかけ、そして再び閉じた。
「アーシャ。君が精霊から知り得た、大元の原因を隠しているのは知っている。此度のことで知り、その事実を黙っている者も少なくはない」
「…………じゃあ、なぜ」
今ここでそれを問うのか。
アーシャは動揺を抑えながら、ロッドを見やった。ゼルネウスは油断なくドリアードの化身を見据えながらも、状況を見守っている。
『遅きに失したわね。ここに穴を掘りましょう。深く深く深く―――――』
地面が揺れ、堪えきれなくなったかのように足元の土が一気に崩れ落ちた。砂が下へ崩れ去っていく。
「祈りを、これへ」
「……お願い」
ゼルネウスが受け身を取るのと同時に、ロッドとナスターシャの双方が土の精霊へと働きかけ、下へ衝突の衝撃を減らす。
木の根の下にぽっかりと空いた空間は……洞窟というよりは、何か巨大な生物が這いずりまわった後のような様相をしていた。それを裏付けるかのようにズズズズズ、と引きずるような音が、底から地面を揺らしていく。
ロッドはまったく動揺した姿を見せず、本来なら、これは君が担うべき役目だった、だけれども……やはり遅すぎたんだろうね、とアーシャに聞こえるだけの声で呟き、何が起きても信じるままに進むように、と言って精霊に対峙した。
『一度、自分の言葉で問いかけてみたかったのです。樹木の精霊の長よ。貴方ともあろうお方が、直接動き、向かおうとするその理由は、何ですか?』
『先ほども申したはず。遅きに失した、と。精霊の声を、その心を聞き、正しく伝えられるものは、ここの所途絶えていた。血が流れ、これまでと同じ。しかしもはや、詮無きことよ』
ロッドはただ穏やかに笑みを浮かべ、静謐であり神聖、といってもいいほどの空気と緊張感の中で、再び口を開く。
『気づかぬままならそれでもよかった。しかしその心を聞き、意志を欠片にも知ったのならば、繋げる者として、務めを果たしましょう。それが、盟約なれば』
『代するか。ならば、その覚悟を示せ』
『御心の、ままに』
瞬く暇もなかった。突如として少女の体から鋭い木の触手が生え、相対するロッドの、その胸を、貫いていた。
ぐらり、と傾ぎ、倒れたその体から、どくどくと血が流れていく。
「あ、あ……ロッド!」
静謐な空気は掻き消え、少女が冷たく残酷に言葉を紡ぐ。
『彼は、覚悟を示したわ。それであなたたちは、その彼の信頼に、値するのかしらね』
地鳴りが大きくなり、やがて、少女の体が薄れていく。そして、先ほどまでの音の正体、穴を掘り進めていたであろう、巨大なムカデがその鎌首をもたげ、ナスターシャとゼルネウスの目の前に、姿を現した。