94.フジワラ領防衛戦 4
重機関銃を前にして、再び退却した小松菜率いる機甲科部隊。
彼らが本隊に戻った時、大砲は新たに五門失われ、残りはもう十八門しかなかった。
「銃です。敵は銃を持っています。それもただの銃じゃありません。口径は大きく、連射ができ、射程も長い。大砲にも匹敵する恐ろしい武器です」
小松菜が、本隊の先頭に立って戦況を眺めていたレアニスに報告した。
するとレアニスはギリリと歯噛みする。
端正な顔が大いに歪んだ時、面に映る凄絶さはただならぬものとなるが、それもわずかのこと。
スッとまた冷静な表情に戻してレアニスは言う。
「銃、銃か。大砲があるならば、それも当然だろう。私たちも同様に銃を開発しているのだから。しかし、そこまで優れた物となると、少し考えなければならないな。明らかに文明の度合いがおかしい」
日本を知るもので銃を知らない者はいないだろう。
大砲をつくって銃をつくらないという馬鹿な話はない。
当然、イニティア王国でもレアニスの命によって銃がつくられていた。
ただし、現状は秘密兵器として秘匿されおり、いまだ表舞台にはその姿を見せてはいない。
「なんらかの能力か、それとも元々の知識によるものでしょうか」
「さあ、どうだろう。どちらにしろ、私たちよりも先進的な技術を持っているということで間違いない」
小松菜が問うと、レアニスは冷静な口ぶりで返した。
されど、その手のひらに汗を滲ませていたことは、小松菜も気づかなかったことである。
「……どうしますか」
「はっきり言って、逃げ出したい気分だよ、小松菜。だが、ここで彼らを見逃すこともまた恐ろしい。王都からの避難民を加えれば、かの地はより強大になる。人口が増えれば、兵も増える。
彼らの目的はなんなのだろうな。こうして戦端が開かれてしまったが、その前に話を聞けなかったのは残念でならないよ」
戦力差は明らか。
多勢を覆す先進的な火器がフジワラ軍には存在しており、ここに至っては、レアニスも弱気とも思える様子であった。
「一度退いて、密偵を送り込み、その技術を盗んでからでも遅くはないのでは?」
「そう易々と最先端と言える技術を盗めるとは思えないな。加えて私たちにはそんな悠長なことをしている暇はない。東方諸国との戦いも控えていれば、ヨウジュ帝国のジュリアーノ・ヴァッサーリ――永井のこともある。
わかっているだろう? 永井は味方ではない。こちらがあちらを利用しているように、あちらもこちらを利用しているに過ぎないんだ。
とにかく戦いはまだまだ間断なく続く。この地を残すことは不確定要素だ。女王オリヴィアもそこにいる以上、このままにしておけば当然我らが制圧した領地を奪い返そうとするだろう」
「ではこのまま戦うべきだと?」
「小松菜はどう思う?」
質問を質問で返されると、『レアニス自身、判断がつかないのだろう』と小松菜は思った。
小松菜もそう。判断がつかなかった。
このまま戦いなんとかして勝つことも正しいことだと思うし、一度退却することもまた正しいことのように思える。
「……わかりません」
「そうだな、私も判断がつかないよ。ここは一つ、他の者たちにも話を聞いてみようじゃないか。――中隊長以上の者前へ!」
レアニスが透き通った高い声で、集合をかけた。
列中からすぐに各隊長が参上して、その場に円をつくる。
その中には獣人の姿もあった。
「――と、こういうわけだ。皆の意見が聞きたい」
レアニスが現状を説明し終わったところで、全員に意見を求めた。
戦うか退くか。
まずはその二択である。
『……』
答えは苦悶の沈黙。
皆が皆、眉をひそめ、唇をきつく結び、言葉を発することはなかった。
戦うというのならば、策を示さねばならない上、自身が一番手となって戦うことも覚悟しなければならない。
しかし彼らは見ている。
機甲科部隊の目を覆いたくなるような惨状を。
されど退くというのならば名誉が穢される。
『騎士にとって背を傷つけられることは最大の恥辱である』という言葉があるように、敵を前にして尻尾を巻いて逃げることは恥でしかない。
名誉というものは、時として命よりも大事にされる時代のことであるからして。
兵士たちは皆静かに隊列を組んでいるというのに、その静かさにも増して、ぽっかりとした音のない空間が生み出されていた。
隊長たちは己が指揮する兵士たちの前で、情けなくも口をつぐんだままであった。
だがその静寂に一石を投じた者がある。
「……我らがやる」
絞り出された声。
声の質から、苦慮の末の一言であることが分かった。
しかし、その声の主は誰であるか。
途端、隊長たちの目が鋭くなる。
何故ならばそれを口にしたのは、獣人――狼族の長であったからだ。
「意気込みはわかる。だが闇雲に攻めても死に行くだけだ。策はあるのか?」
「我ら獣人が全員で突撃し、城壁に攻撃を仕掛ける。敵の攻撃は我らに向くだろう。その隙に城壁を大砲で崩せ。敵がこちらの大砲に向けて攻撃を加えるのならば、その隙に我らが城壁を上り占拠する」
レアニスの質問に、すらすらと言いよどむことなく答えた狼族の長。
隊長たちはその気迫に圧されて、ごくりと息を呑む。
狼族の長の黒々とした瞳。
されど、その瞳の奥には真っ赤に燃える決意の炎とでもいうべきものが宿っていた。
「死ぬぞ……」
レアニスは狼族の長の作戦の非情を見抜いていた。
敵からの攻撃だけではない。
城壁を生身で攻めるということは、味方側からの大砲の攻撃を受けることになるのだ。
「ここまでの戦いで我々はなんの手柄も立てていない。
今日、只今よりもたらす戦功をもって、かつての約束を履行してくれ。子どもたちには国を。レアニス殿が面倒を見てやってくれ」
悲壮の覚悟だった。
全滅するかもしれない。それを自覚し、ゆえにレアニスに子を託したのだ。
恵まれた土地に獣人の国を興す。
イニティア王国が主権を持ち、獣人の国には最大限の自治を許す。
これがかねてより結ばれていた約束――今戦争で獣人が活躍を果たした際の対価であった。
レアニスは目を閉じた。
何を考えているかは誰にもわからない。
わずかの間のあと、レアニスが括目して言う。
「――わかった。それで行こう」
「レアニス!」
責めるように叫んだのは小松菜だ。
この大陸の者とは価値観の違う小松菜にとって、自我と知恵を持つ獣人というものは、少し顔が違うだけの人間でしかない。
戦いに犠牲はつきものだ。
小松菜自身、死をもいとわない覚悟が既にある。
だが犠牲と、それ対する勝利の価値は、天秤にかけるべきだと小松菜は思っていた。
だからこそこの地を得ることが、獣人たちの多大な犠牲に相応しい戦果なのかと思わずにはいられなかった。
そこまでして得るべき勝利なのかと疑念を抱かずにはいられなかったのだ。
「……犠牲には必ず報いる。獣人は部族の未来を。私は大陸の未来を見ている。たとえ、ここでの結果がどうであろうとも、獣人との約束を蔑ろにすることはない。ラシアの神に、我が名前に、ここにいる全員に誓おう。
さあ、これが最後だ! 戦いの準備をせよ!」
かくして、獣人たちの死の前提とした一大作戦が決行される。
◆
「何故奴らは退却しないのか」
「ビビッて、動けないんじゃないのか? 怖いよ〜怖いよ〜、ってな」
「はは、そりゃあいい」
城郭の上での、獣人たちの声の弾んだ会話。
頬はだらしなく緩んでいる。
それを叱責することなく眺めているのは信秀だ。
(緒戦からの大勝利で少々浮かれている感じもするが、緊張するよりはいいだろう)
つい先ほど実際にガチガチに緊張して、敵に狙いをつけられなかった彼らの姿を信秀は見ている。
敵側の意表をついた作戦のせいでもあったが、それを抜きにしても、訓練の時とは雲泥の差であると言ってよかった。
「敵が動いたぞ!」
獣人の中から誰かが叫んだ。
信秀が双眼鏡を覗く。
歩兵たちが城郭から一定の間隔を取りつつ、東西に分かれていくのが見えた。
(なんのつもりだ? 南の城壁以外から攻めるつもりか?)
地雷は東西南北全てに埋めてある。
点火スイッチも狼族の誰それに渡してあり、万全の態勢だ。
だが敵の歩兵たちは東西に分かれるにあたって、大砲すら持って行かないようである。
信秀がしばらく覗いていると、やがて敵は城壁の陰に隠れてしまった。
すると――。
「お、おい、あれ……!」
「まさかっ!?」
周囲の者たちの様子がおかしい。
信秀はすぐに双眼鏡を中央に戻した。
レンズを通して網膜に入りそれが映像化され、信秀の脳は初めて認識する。
敵側からここ南の城壁へと向かってきたのは、人間ではない姿をした者たち。
――獣人だった。
「ふ、フジワラ殿、ど、どうするのだ!?」
牛族の族長の声は震えていた。
その気持ちは痛いほどよくわかる。
敵の中に獣人がいることはわかっていたことだ。
だがいざこうして目の前に現れると、言い表せない複雑な感情が信秀の胸によぎった。
しかし信秀は、違うと思った。
彼らは、己を裏切った獣人たちだ、と自身に言い聞かせる。
そう思うことで、精神の安定を信秀は図ったのである。
「やることは変わらない。射程に入ればただ撃つのみだ」
「せ、説得をすることは」
「後方に動きがある。おそらくあの獣人たちに城壁を攻めさせ、それを囮として、後方から大砲で攻撃するつもりなのだろう。説得する暇はない」
合点がいった。
先ほどの東西に分かれた歩兵たちに攻める意思はない。
あれらは、東西北を守る者たちを釘付けにするためのものだ。
「ちょっと待て! 城壁を敵方の獣人が攻めている間に、敵は大砲を撃つということか!? それは、それでは!」
「そういうことなのだろう。あの獣人たちは捨て石にされたのだ」
もし獣人が城壁までたどり着いたのならば、今度は味方から城壁もろともに狙われるということなのだ。
恐ろしい手だ。
あまりに非情すぎて、普通は考えつかない。
だが、それだけに効果は絶大だ、と信秀は思った。
「そ、それならばなおのこと、話せばこちらの味方になってくれるのではっ!」
「仮に説得に頷いたとしてどうする。城門の中に入れるのか? それが偽りの降伏だったらどうする。こちらは攻撃する以外に道はない」
信秀の決定に、牛族の族長は「ぐぅぅ」と唸り声をあげて、もう何も言わなかった。
牛族の族長もわかってはいるのだろう。
だがそれでも、捨て石にされる彼らを憐れみ、互いが生きる道を探したのだ。
信秀はもう一度双眼鏡を覗いた。
砂煙を上げて向かってくる獣人たち。
千は下らないだろうか。
それぞれ手には剣や弓矢に城壁を上るための梯子。
さらに大砲なんて物を持ちながらも、屋根の付いた破壊槌まで持ってきていたようだ。
また、獣人たちも一部族だけではない。
幾つかの種族がいる。
そう、複数の部族。
――その中に狼族がいた。
信秀の腕が震えた。
老いた狼族の者が必死の顔で走っている。呼吸は荒い。息づかいがここまで届いてきそうだ。
不意にジハルの顔がその老いた狼族に重なった。
信秀はズキリと胸が苦しくなり、金縛りにあったように全身が締め付けられる心地がした。
子どもこそいなかったが、そこには女性もいた。
美しくも、どこかあどけなさを残す狼族の女性がこちらに向けて走っている。
どこかミラに雰囲気が似た女性だった。
その瞳は、覚悟に彩られている。
なんの覚悟か。
言うまでもない、死ぬ覚悟だ。
「フジワラ殿! 線を越えたぞ! 砲撃の合図を!」
牛族の族長の声が聞こえる。
だが、それを信秀が理解することはない。
まるで信秀の頭から脳ミソがなくなり、牛族の族長の声がその空洞の中で響くようであった。
「フジワラ様!」
傍に控えていた護衛のうちの一人――ミラが、現状を見かねて、名前を呼びながら信秀の肩をゆすった。
信秀はハッと我に返ると、すぐさま状況を把握し、命令する。
「う、撃て!」
その声には驚くほど覇気がなかった。
仕方なく「撃て! 撃てー!」と言い直したのは牛族の族長である。
こうしてその場を任された砲兵たちは一応の砲撃を開始した。
しかし櫓を挟んだ他の組からの砲撃の数は驚くほど少ない。
狼族だけではない、敵の中には鼠族と蜥蜴族もいた。
このどこか見知ったような敵を前にして、同胞と重ね、憐れみ、攻撃の手はあろうことか緩んでいたのである。