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87.町から国へ、マッチから電化製品へ 4

 王都からフジワラ領までは遠く、果てしない。

 その距離、およそ五百キロ。

 そんな長い道のりを行くために一万二千人という数の民が、各々数少ない荷物をもって王都を出発した。


 そう一万二千人である。

 信秀が求めたのは、必要最低限の数である四千に、不測の事態に備えて二千を加えた六千人。

 しかし、実際に集まった人員は、倍の一万二千人であった。


 これにはもちろん理由がある。

「小国群においてはイニティア王国軍によって兵士ではない者まで虐殺されたぞ」という嘘ではないが、全てを語っているわけでもない言葉。

 事実はといえば、イニティア王国軍が所属する異種族部隊がある一都市でのみ暴走しただけのこと。

 それ以外ではイニティア王国軍はよく規律を保ち、市民に武器を向けるなどということはなかったのだが、そのような話を貧困街の者が知り得るはずもない。

 差し迫った命の危険に対し、身持ちが軽いということと、家と仕事が得られるという物欲が、多くの貧困者をこの行進に参加させていたのだ。


 さらに、レイナが路上で物乞いしかできない老人の同行まで認めたため、「これはいよいよ、本当ではないのか」と貧困者たちは信用をした。

 本来危機的状況にあって真っ先に打ち捨てられるのは弱者。

 足手まといにしかならぬ者を連れていくことは、それだけの余裕があるということだ。

 このようなわけもあり、フジワラ領への移民希望者は爆発的に膨れ上がったのである。


 一万二千にも及ぶあまりにも長い列は、ただひたすらに北へ北へと進んだ。

 時折、雨に降られ、病人が出ることもあったが、体調の悪いものはあらかじめ用意された馬車に乗せられたため、脱落者は出なかった。

 食糧は簡素ではあったが、全員に配給され、こういった配慮の数々に、人々は北への安心感を強めていく。


 されど人々の北に対する思いとは裏腹に、その歩みはとてつもなく遅い。

 日にわずか十キロの行進。

 たどり着くのは一月後か、二月後か。

 長蛇ゆえに、先頭が出発し、後続が動き出すのが一時間もあと。

 休憩なども挟み、加えて子供や老人も紛れているとなれば、この行進の遅さも納得ものだといえよう。


 救いはといえば、険しい道がなく、また道中でイニティア王国軍の攻撃がなかったこと。

 イニティア王国軍はもちろん、この動きを掴んでいたし、その中に女王がいるのではと考えていた。


 しかし、追撃の部隊を差し向けなかったのは、北に逃げ道がないからに他ならない。

 むしろ北に逃げてくれるのならば好都合。

 女王がいない王都を容易く支配下におさめ、さらに女王は逃げ出したとでも言えば、民心も得られよう、とイニティア王国軍は考えたのだ。


 東方諸国に対しても、よくよく女王が生きていることを知らせるため、密偵は見逃すようにしている。

 レアニスと小松菜だけは、北と聞いて思うところがあるような顔をしたが、それだけであった。


 イニティア王国軍がドライアドにおける北部以外の全ての地を手中に収めると、東の守りを前将軍ロベルト・フレルケンが担い、全体の統括として右将軍リサ・コールハースが王都に入った。

 そして北に向かったのはレアニスと小松菜が率いる軍である。

 無論、右将軍のリサがわざわざ総司令が辺境に向かうことに苦言を呈している。

 曰く「前線に赴くのは配下の務め、総大将は危険のない王都にて全軍を見渡すべし」と。

 しかし、レアニスはこう反論した。


「私と小松菜は若輩ゆえ、全軍の指揮は経験豊かなリサ殿に頼む」


 これがリサの逆鱗に触れた。

「前線にでも行って、勝手に痛い目にでも見るがいい」と言い捨てて、二度とレアニスに忠告をすることはなかった。

 キーワードは『若輩』と『経験豊かな』である。


 リサ・コールハース。

 御歳四十二歳――独身。

 若い頃に武芸にばかり励んで、気がつけば出会いがないまま三十半ばに突入。

 これはまずいと焦ってみたが既に時遅く、今日まで男を知らずに生きてきた女であった。

 ちなみに愛読書はオリーブオリーブの婚約破棄シリーズである。

 主人公に共感できるのだとか。


 ◆


 ――北のフジワラ領へと向かう行列が、王都を発ってから一週間。


 その列の中には薫子の姿があった。

 貧民街に暮らしていなかった彼女が何故ここにいるのか。

 それは、彼女が水魔法の使い手であるからに他ならない。


 道中において水は不可欠。

 そのためイーデンスタムが、水ギルドに所属する水魔法の使い手たちを強制的にこの行進に参加させていたのだ。

 もっとも集まった水魔法の使い手は半分もおらず、多くは北へ行くのを拒み、雲隠れしていたのだが。


 薫子がいるとなれば、当然、彼女が面倒を見る孤児たちもいる。

 薫子と孤児たちは一塊となって、列の後ろの方に加わり、黙々と足を踏み出していた。


 孤児たちが元気であったのは最初だけ。

 今は、しゃべる体力すらもったいない。


 集団の先頭は年長の者に任せ、薫子は孤児たちの一番後ろを歩く。

 全員の様子を常に把握できる位置だ。


 ある時、薫子は列のはるか先を見た。

 何もない景色がどこまでも広がっている。

 先の見えない先に向かって、一列になった人の群れは、道に沿って所々ぐねりと曲がり進んでいくのだ。


 不意に、上空から列全体を眺めたのなら、まるで己が身をしならせながら前に進む蛇のようじゃなかろうか、と薫子は思った。

 まさに読んで字のごとく、長蛇の列。

 しかし、蛇にしてはその動きは鈍足だ。


(この速度なら蛇というよりもミミズかな)


 なんの訓練も受けていない民が歩くのだから、この遅さは当然だった。

 目的地までに時間はどれだけかかるか知れない、と考えるのは薫子だけではないだろう。

 それにしても、と薫子は思う。


(蛇にしろミミズにしろ、日本にいた頃なら考えるのも嫌がっただろうに。逞しくなったなあ、私も)


 蛇の、しゅるしゅるとうねるように地を這う姿は、醜悪そのもの。

 ミミズだって、地面をうにょうにょと蠢く姿は気持ちが悪いの一言だ。

 しかし今、蛇に対して薫子が胸に抱くのは「うまそうだ」という感情であるし、ミミズに対しては、土を耕してくれる益のある生き物だということだけ。

 薫子も逞しさという面では、もうほとんどこの世界になじんでいた。

 なお、さすがにゴキブリだけはこの世界であっても苦手であったが。


 なんにしろこの行進を蛇とたとえた薫子。

 皆、息を切らせ、足の皮がめくれ、それでも前へ前へと進んでいく。

 それは、生きるということに、貪欲であきらめることのない人間の姿だ。

 薫子がかつて暮らしていた世界ではあまり見られない、人間本来の純とした動物的なものを感じさせた。


「あっ」


 前方から聞こえた幼い声。

 孤児の一人がつまずいて転んだのだ。


「みんな、待って!」


 動き続ける列の中、薫子の声に反応して、孤児たちだけが止まる。

 しかし、立ち止まりはするものの、転んだ者を助け起こそうとはしなかった。

 皆、ヘトヘトに疲れているためだ。

 そんな中で薫子が足を速めて、すぐ隣に寄った。


「大丈夫?」


「お姉ちゃん……」


 涙を浮かべて、顔を見上げるまだ十にも満たない少女。

 それ以上、堪えるように何も言わないのは、迷惑がかかると感じているからだろう。


「ほら、おぶってあげるから。背中に乗って」


「うん……」


 薫子が少女を背負う。

 ずしりとした重みが両足にかかった。


「さあ、行こう!」


 薫子の声を合図に孤児たちも再び歩き出す。

 一歩目、二歩目は持ち上げるのも億劫であった薫子の足、けれど三歩目からはもう平気だった。




 ――王都を出発してから、もうじき二月になろうという頃。


 薫子は足を前に踏み出しながら、どれだけ歩いただろうか、と考えた。

 いや、気がつけば考えている、といった方が正しい。

 そして次に考えることは、この先どれだけ歩くのか、だ。


(こんなことなら、三年前に藤原さんの領地に連れてってもらうんだった)


 後悔。

 あの時、信秀についていかなかったのは、自身には安定した職があり、曲がりなりにも生活できていたから。

 生活が苦しくとも長く暮らしていた、というのは薫子にとってとても大きい。

 右も左もわからない、なんの保証もない異世界である。

 たとえ同郷の者が誘ってくれたからといって、長い年月を過ごした居場所を簡単に捨てることはできなかった。


 足が重い。

 全身は気だるく、意思とは関係なしに足が動いているようだ。

 辛い、と薫子は思った。


 しかしそんな時、薫子はいつだって子どもたちを――弟、妹たちを見る。

 泣き言ひとつ言わずに歩いているその姿。

 いつもそうだ。

 あの子たちがわがままを言ったことなどない。

 己よりもはるかに強く生きている。

 すると己が頑張らずにどうするのか、と勇気が湧いてくる。


(私もまだまだ頑張らなきゃ)


 薫子は己を元気づけて、弱気を振り払う。

 そんな時だった。


「おーい村だ! 村があるぞ!」


 その情報が、先頭の方から伝達されてくると薫子は喜色が浮かべた。

 屋根の下で休めるかもしれない。

 そんな思いがあってこそ。


 下を向いていた子どもたちも、顔を上げている。

 後ろからは見えないが、同じ思いなのだろう。


「お姉ちゃん、やっと着いたの?」


 きらきらとした瞳で、子どもの一人に尋ねられた。

 違う。目的地は城郭都市だという話だった。

 しかし薫子は、ウッと口ごもる。

 その少女は、『もう、歩かなくていいんだ』といったような輝かしい顔をしていたからだ。


「そ、そうね。そうだったらいいね」


 真実を話すことができない弱い自分を薫子は嘆いた。

 やがて一行は村に入っていく。

 田畑とぽつりぽつりとした家々があるものの、人の気配はない。


 しばらくすると、田畑がなくなり、建物の数が一気に増えた。

 その発展具合は村ではなく、町といっていいだろう。


「お前たちはこっちだ!」


 兵士に案内される。

 領主の館から連なる大通りに、老人や女子供を優先して家があてがわれた。

 そのため、薫子たちも家に入ることができたのだが、男性に関してはあぶれている者もいるらしい。

 他にも遠くに行けばいくらでも家はある。

 しかし、あまり離れてしまうと出発の際に支障がでるということだろう。


「手の空いている者は来い! 食事をつくる! 水魔法の使い手もだ!」


 家に入ると、休む間もなく外から声がかかった。


「ちょっと行ってくるね。すいません、子どもたちを少しお願いします」


 子どもたちに己が行く旨を伝え、続いてぐったりと床に倒れ込むようにしている名前も知らないおばさんに、一応の挨拶をした。

 薫子が外に出ると、多くの者が疲れているにもかかわらず、手伝いに志願していた。


 運命共同体である。

 皆が苦労を分かち合い、皆で北に行こうという思いが感じられた。


 兵士たちに連れられて行った場所は領主の館にある大きな倉庫だ。

 そこには無数のジャガイモが積み上げられている。


「これ、知ってるぞ! ジャガイモとかいう、新しい食べ物だ!」


 誰かが声を上げた。

 最近になって世に出回ったもの――ジャガイモ。

 都ではまだまだ高く、普通の人はなかなか手を付けられない。


 薫子の家には、信秀からの使いが、たまに届けてくれた。

 今では子どもたちの好物だ。


「さあ、まず皮むきからだ! 芽はしっかりとれよ、毒だからな!」


 兵士の指示の下、皆でジャガイモの皮をむく。

 むき上がったジャガイモは塩ゆでにされて、配給が始まった。


「やった、ジャガイモだ!」


「うめぇー!」


 薫子が面倒を見る孤児たちが顔をほころばせて、ジャガイモをほおばった。

「おいしいね」と、少女が薫子に笑いかける。


「そうだね、美味しいね」


 薫子も疲れを忘れるように、ジャガイモを口に含んで笑顔になった。

 翌朝、一行は村を出発する。

 今いる場所は既にフジワラ領。目的地まではあともう少しだ。


 ◆


 始まりがあれば必ず終わりがある。

 王都よりの長い旅路。

 人々が百万歩に届きそうなほど歩いた時、ようやくそれはあった。


「あれはなんだ!」


 はるか遠くに見える人工物に、先頭の兵士が声を上げた。

 それに伴い、馬上のイーデンスタムは手を水平に額へと当てて、目を凝らす。

 すぐそばにある幾つかの馬車からは、オリヴィアや、その親族たちも顔を出している。


「あそこが目的地でございます」


 先頭の案内人、先の村にてレイナと入れ替わるように合流していた、もじゃ髭のペッテルがイーデンスタムに言った。

 瞬間、兵士たちの中から、わっという喝采が上がった。

 列は先頭の方から勇み足になり、視界に収めた目的地へと向かっていく。


 人と人との距離が離れ、段々列が崩れていくが、イーデンスタムはそれを咎めない。

 それどころか、イーデンスタムも気づかぬうちに、馬足を速めていた。

 あまりの嬉しさゆえのことである。

 そして、とうとう都市の全貌を眼前に捉えて、イーデンスタムは「これは、まさか……」と唸った。


 縦の高さはそれほどでもないが、横へと連なる長さは王都の比ではない。

 一辺が二倍以上。奥行きも同等だとすれば、城壁が囲う広さは王都の四倍以上になるだろう。


「尋常ではない……こんなものをつくっていたとは……」


 今日までの長い旅路に、どこか不安にも似た疑念が湧き上がってきたところである。

 それを吹き飛ばすような、巨大な城郭都市。

 城壁の上には大筒が並んでいた。

 しかし、大筒の隣にいるのは、はたして何者であるか。


「じゅ、獣人だ! か、壁の上に獣人がいるぞ!」


 目ざとく見つけた者から悲鳴が上がった。

 悲鳴は恐怖となり、蛇が頭から尻尾まで体をしならせるように、列の先頭から後方まで伝搬していく。

 しかしペッテルは冷静な声で、皆を落ち着かせるように言った。


「心配いりません。敵意があるのなら、既に攻撃されているはずです」


 確かにその通りだとイーデンスタムは思った。

 獣人を使って、この都市をつくったというのなら、獣人がいてしかるべきなのだ。

 大きな筒というのも、説明があった新兵器と合致する。

 何もかもがレイナより聞かされた情報通り。


 しかし、イーデンスタムの気は晴れない。

 遠目でもわかるほどに、獣人たちの面には憎悪の念が色濃く浮かんでいたからである。


 城門が開いた。

 迎えに出てきたのは信秀とレイナ。


「これよりまず戸籍登録を行う! 家で休むのはそれからだ! そのままついて来い!」


 女王がいるにもかかわらず、気にも留めない物言い。

 イーデンスタムは憎々しげに思ったが、大砲と獣人の存在がある中で、異を唱える度胸はなかった。


 列はおとなしく城門の内へと入っていく。

 すると、見たこともない景色が広がった。


「な、なんだこれは……」


 イーデンスタムが思わず漏らした驚きの声。

 城門より続く道幅数十メートルにも及ぶ大通り。これもまた王都の比ではない。

 左右には白い壁の家々が建ち並び、鼠色の屋根が陽光を眩しく照り返している。


 見たこともない建築物だった。

 されど均等で洗練された街並みは、感嘆の一言である。

 イーデンスタムは、まるで別世界に迷い込んでしまったかのような錯覚を受けたのだ。


 いいや、イーデンスタムだけではない。

 城内に入った者は皆等しく茫然と立ちすくんでいた。


「これを獣人たちが、フジワラがつくったというのか……」


 圧倒されながら、辺りを見回す。

 野次馬であろうか、大通りに入らぬように人々が詰めかけている。

 そこに獣人はおらず、皆人間だ。

 さらに視界を広げると、イーデンスタムはあることに気付いた。


「城壁につながる階段がない……?」


 都市を囲む城壁であったが、まさか外側に階段があるわけでもなし、内側に階段がないというのは不思議である。

 ならば獣人たちは、どうやって城壁に上ったというのか。

 そう考えて、イーデンスタムはハッとした。

 城壁内の都市は、横幅に比べて奥行きがその半分ほどしかないのだ。

 つまり奥には、もう一つ城郭都市が繋がっているのではないかとイーデンスタムは予感した。


「我々は、籠の中の鳥か……?」


 イーデンスタムは悟った。

 ここに来て全てが繋がった。


 かつて見たあの体を覆った護衛たちの正体。

 どういういきさつかはわからないが、ここに来る以前より信秀が獣人たちとただならぬ仲であったことを。


 サンドラ王国を拠点とするポーロ商会。

 サンドラ王国が以前、獣人に負けたなどという噂が流れたことがあったが、誰も信じなかった。

 しかしそれは事実であり、ポーロ商会が関わっていたのだろう。

 理由もそのいきさつもわからないが、信秀はここに獣人の住処をつくろうとやって来たのだ。


 だがそれを知ろうとも、イーデンスタムにはもはやどうすることもできない。

 己はもう無力な避難民でしかないのだから。


次回は、信秀が何をしていたかの話です。


私事になりますが、書籍をご購入してくださった方々、本当にありがとうございました。

Twitterなどをやっておりませんので、この場を借りてお礼申し上げます。



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